昭和30年築、玄関から東側は昭和46年に増築した。
朽ち果てる前に解体します。
平成4年に私達の家を建築する際、この家を解体して、両親の家の隣に建てようと思いましたが、秀爺は自分の父親「猪吉」爺に建ててもらったこの家は壊さないとして、別の土地へ建てた経緯がありました。
その頃は、秀爺は65歳位で母「勝代」も元気だったので、まだ気力・体力もあったと思います。
秀爺も、なんとか元気にしているので、その元気にうちに取り壊すのがベストだと思い、更に、秀爺の孫が来春結婚する予定で、その隣の家を使用することになったこともあり、取り壊します。
玄関を入り、右側を増築する前は土間でした。
昭和52~3年位まで養蚕をしていて、この左側と奥の和室は養蚕部屋でした。
夜寝ていても、蚕がザワザワと桑の葉を食べる音が聞こえたのを思い出します。
朽ち果てる前に解体します。
平成4年に私達の家を建築する際、この家を解体して、両親の家の隣に建てようと思いましたが、秀爺は自分の父親「猪吉」爺に建ててもらったこの家は壊さないとして、別の土地へ建てた経緯がありました。
その頃は、秀爺は65歳位で母「勝代」も元気だったので、まだ気力・体力もあったと思います。
秀爺も、なんとか元気にしているので、その元気にうちに取り壊すのがベストだと思い、更に、秀爺の孫が来春結婚する予定で、その隣の家を使用することになったこともあり、取り壊します。
玄関を入り、右側を増築する前は土間でした。
昭和52~3年位まで養蚕をしていて、この左側と奥の和室は養蚕部屋でした。
夜寝ていても、蚕がザワザワと桑の葉を食べる音が聞こえたのを思い出します。
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