今年の11月に、なんと、あのゴーリキー『どん底』が復活することになりました!
そこで今回の号では、ゴーリキーとはどんな人だったのか、簡単ですがその人生を辿ってみたいと思います。
<過酷な人生体験を余儀なくされた幼少期>
(以下の記事は、WIKIを参考にさせてもらいました。画像は全てWIKIから使わせてもらっています)
ゴーリキーは、1868年、ボルガ川流域のニジニ・ノヴゴロドという町で生まれました。
5歳で父を、10歳の時には母を肺結核で亡くし、ゴーリキーは11歳の年で社会に出て働かざるを得なくなります。
靴屋の小僧、製図工の徒弟、ヴォルガ川を往復する汽船の皿洗い、売店の売り子、芝居の下っ端役者、イコン作りの弟子など、多種多様の職業に就き、ロシアの下層社会の生活を身をもって体験することになりました。
この過酷な幼少時代、ゴーリキーの唯一の慰めとなったのが、話上手な祖母アクリーナに育てられたことでした。
祖母はかしこく、善良で、天分豊かな、「世界に対する無私の愛」に満ちた人物でした。ゴーリキーは祖母から「過酷な人生に耐えて行く強い力」を学んだそうです。
その祖母の死は彼を深く動揺させました。19歳の時、自殺未遂事件を起こした後、ロシア各地を、職を転々としながら放浪し、その後、地方新聞の記者となります。
24歳の時にトビリシで、『カフカス』紙に最初の短編『マカル・チュドラ』が掲載され、はじめて筆名としてゴーリキーを名乗りました。
その後30歳になってサンクトペテルブルクで短編集『記録と物語』を刊行した頃には、一躍人気作家になっていました。
その名声はたちまちアントン・チェーホフやレフ・トルストイと比されるまでになりました。
そして1902年、34歳の時、代表作である『どん底』を発表し、同年モスクワでコンスタンチン・スタニスラフスキーの演出で上演され、翌1903年、ベルリンでも上演されました。