缶詰が好きです

以前のプロバイダーが閉鎖になるので、Gooブログに引っ越してきた、缶詰が好きな、ダメ料理人のブログです。

千歳船橋

2022年07月25日 | 東京
「千歳船橋」  東京
う~・・・なにやら風邪っぽい・・・娘の運動会が雨天決行だったからカナ?

それはさておき、過日、用があって祖師ヶ谷大蔵に行ってきました。

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小雨混じりの天気のなか、駅前の小さな広場に、ウルトラマンがぽつんと立っていました。

一応、ウルトラマンの前で3分待って見たのですが、ウルトラマンは別に慌てて帰る事も無く、その場に立ちつくしていらっしゃったので、ちょっと心配になりました。
しかしながら、ここでウルトラマンが斃れたとしても、医者ですらないワタシに何も出来ることないと判断し、また、広場の一角に大きな交番があるので、もし、ウルトラマンになにかあっても大丈夫であろうと判断したわたしは、用事もすんだので、そのまま千歳船橋へと散歩することに致しました。

しばらく歩いて振り返ると、まだ、ウルトラマンはそこに立っていました・・・剥製・・だったのかな?

小田急線にそって新宿方向に歩くと、12分くらいで千歳船橋に到着します。

ここは、30年くらい前に毎日通っていたところなのですが・・・・・
30年の月日は余りにも多くのモノを変えていました。

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小田急線が高架になったのに伴い、昔の商店街やなんかの位置関係がまるで変わってしまっていました。
30年前の記憶しかない人間は、変わっていない状態の街ですら迷うでしょうが、千歳船橋は道が変わってしまっていました。
こうなるとお手上げであります。

そんな訳で、とりあえず、通っていた高校へと行こうと思ったのですが・・・・道を聞かなきゃ辿り着けないとは情けなや・・・・

なんとか辿り着いた都立高校を眺めていたら、明らかに不審者を見る目付きで女性の先生が出ていらっしゃり、小生に質問をなさいました。

「あ~コレコレ・・・・チミはなにもんダニ?」
「ハイハイ、拙者はこの高校の卒業生でござるナリ」
「アーアー、ソーデスカ、チミは卒業生だったかニ、ならばヨイダニ、ゆるりと御覧になるがヨカローダニ」
「先生殿、かたぢけないナリ、では暫しの間、ここに居させてもらうナリ」

と会話を交わし、しばらく眺めておりました。
それにしても、自分の学校の先生が自分よりはるかに若いと言うのは・・・
キミョーキテレツフシギなカンジナリ!

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なぜか道路の真ん中に立つ木。
これなら車が通れないだろうな・・・しかし、この木は記憶に無いです。
この木なんの木か教えてもらおうと思ったのですが、先生殿はワタシの人間性に大いに満足を感じたらしく、早々に番屋へと引き上げてござるナリ。
訊きそびれたナリ

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校門の写真
ここまで辿り着くのに、駅前から道を訊かねばならないほどに街の位置関係が変わっていました。ここまで変わるのも珍しいな~・・・・

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商店街には必ずある、揚げ物売っているお肉屋さん

千歳船橋には、こういうお肉屋さんが何軒もあります。
実際、ちょっと歩くとお肉屋さんにあたるような気がします。
どうしてお肉屋さんが多いのかは判りませんが、お肉屋さんが多いことを神に感謝するひとが居ても、文句をつける人がいるわけアリマセン!
神様に感謝を捧げたくなるような街だから、この街は素晴らしい街だと言えるナリ!

優しさに包まれると、ひとはメッセージが見られるそうでありますが、コロッケやメンチカツの匂いに包まれると、ひとはウレシソーに踊りながら歩いているヒトを見られるようになります。

世の中には、お肉の塊を見たり、お肉屋さんの揚げ物の匂いを嗅いだりすると、嬉しさのあまり踊りだしちゃう人がいますね。
こういう方達をミートダンサーと呼びます。又、特定のお肉に反応する方の場合は、ポークダンサーとかビーフダンサー等と呼びます。
注・ベリーダンサーと言うのはバラ肉に反応する人ではアリマセン
で、もし暇があったら、是非お肉屋さんの前で張り込みをしてみてください。
必ず発見し、確保に繋がるはずです・・・あ、確保はしなくてイイナ
兎に角、そういうダンサー系の方が千歳船橋には多いんじゃないかな? (信じたらイカンよ)

そんな訳で365日お肉の街・千歳船橋
365日サラダな街とか、365日サシミの街とか、365日断食の街とか・・(それはナイやろチッチキチー)よりもずっと行きたくなりますでしょ?

  365日お肉の街・千歳船橋!

・・・・・行きたくなるのはワタシだけ?

本当に合った怖い話

2022年07月25日 | 無ジャンル
「ほんとうにあった恐い話」  
更新サボリにサボッてもう半年・・・・・だったら終結宣言すればイイジャン!って話ですが、これがなかなか終結できない・・・
こんなブログなのに毎日アクセスをしてくださる方々が居るんですから・・・

やはりトシをとって、仕事が終わってからPCに向かうのがつらくなってきたことと、ウィンドウズ10にうっかりしちゃってから、PCを観たくなくなってしまったこと、食欲もあまりなく、あまり缶詰を食べなくなっちゃったってことでしょうか?
すこし頑張って缶詰食べよう!頂いたのも溜まっているし、開けなきゃナ~・・・・

そんな訳で、今日は缶詰カンケーなく、本当にあった恐い話。

昨夜、子供と「本当にあった恐い話」というTV番組を観ていて、そういえば・・・と、昔のことを思い出しました。
あれ、以前ブログにUPしたよな~・・・と、思い出し探して見ました。
で、再放送。
これは皆様への残暑見舞いです。夏の残りを薄寒くお過ごしいただけたら幸いです。

「ではお便りを朗読してください」
「ハイ・ゴメスさん」

   東京 O,Yさん投稿
       青いバランスボール 
     
これは2011年のおはなしです。


近頃職場で妙なことがあったので、記憶が確かなうちに書いておこうと思います。

私は只今自分の店を閉めまして、別の職場に居るのですが、ここが色々と妙な話の多い建物でして・・・・
夜、一人で残業をしていると誰かが玄関で呼ぶ声がしたので行って見ますと誰も居ない・・・とか、
トイレに入ったら誰も居ないのに誰かにぶつかった・・・・とか、
誰も居ない庭にベビーカーを押している女性がいた(じゃ、誰か居たんじゃん!)・・・とか・・・

そのような噂がけっこうある建物なのですが、ワタクシ、そこに朝イチバンに行く仕事なんです。
秋冬は真っ暗なのでかなり怖く、去年も誰かが私の横を通り過ぎたような気がしてならないと言うことが二回ほどありました。

で、先日・・・・・・
私が着替えるためにロッカールームへ行くとき、遊戯室のようなところを通って行くのですが、そこにバランスボールがありまして、私が階段を上がって行きますと、先ずボスッと言うかボコッと言うか、そんな音が聴こえました。
そして階段を上がりきり、遊戯室へ向うと、青いバランスボールが壁と柱の間をひとりでに行ったり来たりして、ワタクシはなんだ、ボールが壁と柱に当たっている音だったんだと合点がいきました。

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怖いけど昼まで待ってブログ用に写真を撮ってきました'_';

で、ワタクシはそこで考えるのを止めてしまいました。誰も居ない締め切った部屋で、舟の横揺れみたいにボールが左右に行ったり来たりしている状況について、ワタクシの心がこれ以上考えるのを止めさせたようでした。
私は動いているボールの横目で見ながらなんの感情も湧かずにロッカールームへと入りました。
すると今度はロッカールームの入り口にある暖簾(のれん)のような長さのカーテンがヒラヒラと動き出しました。
風が吹いてカーテンが動くときはカーテン全体が動きますが、其のときの動きは誰かが暖簾をくぐってだれかが出て行ったように、下のほうがチョコチョコっとめくれるような動きでした。
ワタクシは着替えながら「カーテンも動いているナ~」とボンヤリと考えておりました。

あとで考えると、所謂恐怖体験をした人たちは大概気を失ってしまうそうですが、わたしも、これ以上考えることを止めてしまった・・というか、脳が勝手に思考を停止させて精神を防衛したんではないかなと思います。こう言うことを気を失うというんだな~・・と合点がいきました。

さてさて厨房に入って一息つくと事の重大さに思い至り、全身に鳥肌(鳥肌と言うのはこういうふうに使う言葉です。決して感動したときに使う言葉ではアリマセン・・・カンケーないけど重要なことなので言って置きます)
が出っ放しでした。それ以来厨房の控え室で着替えるようにしています。

あとで他の職員さんにその話をしましたところ、その職員さんは黙って、手振りで私についてくるように促しました。
ついていきますと、その遊戯室からロッカールームに通じるところの鴨居のようなところに、古いお札と、小皿にもられた塩が置いてありました。

なんでもこの施設は、今の障碍者用施設になる前は幼稚園で、今のロッカールーム部分は、建て増した部分だそうでして、建て増してからへんなことが起きるようになったらしいと教えてくれました。
いったい何があったんでしょうね・・・・・

そんな訳で、ワタクシの変死体が職場で見付かったときのために、この事を書いておきました。


これが当時の私の体験であります。
あれいらい私はバランスボールを観たくないですね・・・・うちには絶対に置きません・・・。

 

戸隠キャンプ場

2022年07月25日 | キャンプ
「戸隠キャンプ」  
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戸隠キャンプ場 2012・5・10 12:00

一人で車をノンビリと長距離・・と、言っても300Kmくらいが限度カナ?・・兎に角運転しながらカントリーウェスタンを聴いているのが好きです。

これから新しい仕事が始まって色々とあるでしょうし、車を私一人で何日も使うのも難しいでしょうし、遠くまで一人で行くキャンプも人生で最期になりそうですし、どうももこの10年ばかり、心が疲れてしまっているのも自然が足りていないからだと思いますし・・・・・子供が出来る前はしょっちゅうキャンプに行っていたのに、この15年ほど一回も行っていませんし・・・・・そんな訳でこのタイミングで長野県、戸隠の長野市営戸隠キャンプ場に一人でキャンプに行きました

この戸隠キャンプ場は物凄く広くて、綺麗で、市営なのでリーズナブルな値段で、キャンプ場内に川が流れていて、牧場があって・・・兎に角素晴らしいキャンプ場なので、一度行ってみたいと思っていました。
で・・・・行っちゃた

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これ、場内の川です。夏は気持ち良さそうですね
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水芭蕉も咲いてます・・凄いでしょ?^_^

朝早く、東京を出発して、ジュディ・コリンズを聴きながら関越道を藤岡にむかいます。
そして藤岡で降りて安中・碓氷峠・軽井沢・上田・長野と一般道を使って戸隠へと向います。浅間山が綺麗なんです。
で、このルートは、私がまだ青雲の志を持っていた頃(今では青雲のお線香が必用なトシになりつつあります)上信越道が出来る前に通ったルート。
若い頃を思い出しながらのセンティメンタルジャーニー・・・柄じゃないですね
しかし、この日、日本列島を覆った冬型の気圧配置による地獄が待っていようとは、神ならぬ身の私になぞ判ろう筈もなく、そのまま一直線に過酷な運命へと突き進んだのであります。

到着時は陽も差し、半袖でもよい位の天気でありました。
キャンプ場の受付のお嬢さん達はすごく美しく、そしてとても親切で感じの良いお嬢さん達で、男性の職員さんもとても穏やかで感じの良いかたばかりで、チェックインから期待が湧き上がります。
しかし、この日の天気予報は一時の予報。
その予報を、素晴らしい景色や親切な職員さん達のお陰で気分が高揚していた私は、この一時の予報をタイタニックの船長のような気持ちで甘く見ていたのでした。

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4日くらい前から仕込んだベーコン用の豚バラ肉とチーズを燻製箱に入れてスモークチップに点火して、テントを張ったりします。夜にはベーコンも出来て、食事も出来るという目論見でありました。

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しかし、これが最初の悲劇になるのであります。

テントの設営も終り、イスも出し、テーブルにテーブルクロスを掛けた頃・・・・・強い風邪が吹き始め、霧というか、雲と言うか・・・・そのような天気になって来ました。

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戸隠キャンプ場 2012・5・10 16:00
標高1900mの雪の残る戸隠連峰に霧というか、雨雲がかかり始めました

すっかり忘れていたけど、この戸隠高原は標高が1200m以上の高地で、当然「山の天気」なので変わりやすいのでありました。

風邪はドンドン強くなり、テントが転がって行くような風に成長していました。
数日前の竜巻の災害が頭をよぎります。
私は夜に備えて薪を多目に買い込み、倒木のようなものも探してきました。
薪や倒木を抱えて帰ると・・・・・強い風が抑えていた石を転がして、スモークボックスが倒れ、燃え上がっています´Д`

慌てて駆け寄り消火活動を始めようとすると、ジーンズに何かが引っかかり、裂け目が出来てしまいました。そんなことに構わず消火及びベーコンの救出に全力を傾けましたが、活動空しく、ベーコン、チーズ供に救出することがかないませんでした。
ベーコンは見るも無残に巻いてあった伸縮性のネットが溶けて、とても食べられる状態ではなく、チーズさんも溶けて、テレビから出てきた貞子みたいになってなって地面に倒れていました。

そんな訳で今夜の食事は燃えてしまいました・・・・・TдT
もう、料理なんか出来そうもないし、缶詰を食べることにしました・・・・あ~缶詰があって良かった。

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戸隠キャンプ場 2012・5・10 17:30

風に混じって霧雨が降る・・・と言うより雨が吹いてきました。
気温はドンドン下がり、いまは息が白くなるくらいになりました。
後で聞いたところ、松本では氷点下まで下がり、長野県内や新潟県では異常な低温を記録したそうです。

5時になり、職員さん達は帰宅して、この広い野原一杯・・・じゃなくて、広いキャンプ場一杯、私の貸切になりました・・・・・そうだよな~・・・こんな日に来る愚か者は私ぐらいでありましょうね~・・・・

折角貸切なのに、屋根が有るファイアープレイスから動くことが出来ません。
兎に角火を絶やさないようにしてそこから動かないようにします。
雨は本降りになってきて、風も一向に収まらず、背中がドンドン濡れて来ます。
オマケにジーンズの、裂け目がどんどんと広がり、そこから冷気が侵入します。

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戸隠キャンプ場ファイアープレイス 2012・5・10 20:00
数年前にタバコを止めて以来、オイルライターを持ち歩かないので、火をつけるのが大変でした。

朝出がけにトーストを1枚食べたきりで、この時間まで何も食べていないのですが、風と雨で調理器具が使えず、なにも食べる気が起きません。空腹ではあるのですが、なにか作ろうと言う気力がまるで起きません。
♪戸隠の雨にうたれてこのまま死んでしまいたい♪
と歌いたい気分であります。
兎に角、なにか食べなきゃマズイとは解っているのですが、食べることに関する全てが面倒な気分になり、缶詰を食べようと思って取り出してみると・・・・冷たい!
金属特有の冷たさで、缶を長く持っているのが嫌になるくらい冷たくなっていて、とても食べる気分になりません。温めて食べようと思う前に、缶詰に対する拒否反応が出てしまいます。冷えは多分缶詰最大の弱点じゃないでしょうか?

仲間でも居れば励ましあって前進するのでしょうが、一人きりですと、ミジメな気持ちが先に立ち、もうなんにもしたくなくなります。

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昼間に入れたコーヒーの残りをおきの上に置いて温めます。

多分今の気温は2~3℃くらいじゃないかな~と考えながら、なんとか温かいコーヒーとウィスキー(氷が無いのにオン・ザ・ロックのように冷たい)を流し込むと、一息ついたところで米軍のMREを持ってきたことを思い出しました。
なんといいましょうか、MREを食べるのには非常に正しいシチュエーションのような気がしてきたので、MREを食べることにしました。

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メニューはチキン・カヴァテッリ・・・・・・はっきり言って、メニュー内容なんて全然興味が湧きません。メニューなんかもはやどうでも良いことなのであります。
多分、チキンの蒲焼と照り焼のハイブリッドだと思います。

キャンプのときは、いつもポケットに入れているオピネルのナイフで封をきります。
キャンプのときは、オピネルのナイフ、ジッポーのライターはいつでも身に付けておくのが良いですね。
今回はライターが無くて困りましたが、以前に非常食と防災グッズ&ミリメシこば殿に頂いたエマージェンシーキットのなかにライターが入っていて助かりました。
こば殿、ありがとう御座いましたm(__)m
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メインのチキンの他にプレッツェルとピーナッツバターとパンとパウダー飲料が入っていました。

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これがピーナッツバター・・・カロリー高そうです。

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パンに塗ったところ・・・・・疲れすぎているのか、とても喉を通りません。

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チキンカヴァテッリ
カヴァテッリとは蒲焼と照り焼のハイブリッドではなく、パスタの種類で、巻いた感じみたいな形のパスタですね。
で、チキンは形成肉みたいです。
ソースはイタリア風のトマトソースではなく、メキシコ風のチリソースですね。これは他のメニューとの使い廻しでしょう。

付属の発熱剤はまるで発熱してくれなくて、殆ど冷たいままで食べましたが・・・・やはり喉を通りませんでした。もし自衛隊のMREがあれば、もう少し食べられたと思うのですが・・・・口に合わないと言うことが、ここまで食欲を左右するとは、正直思っても見ませんでしたね~・・・。

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ありゃ・・・涙で・・ピンボケだな~・・・。

そんな訳で、一人ぽっちで、空腹で、寒くて、濡れそぼって、ズボンが破けて・・・殆ど昔の童話みたいな惨めな気分のキャンプ。

「戸隠~長野市内」  
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雨と風で疲れきってしまった私は、米軍のMRE(携帯戦闘糧食)を半分も食べないうちに胸につかえて喉を通らなくなり、食事を諦めて酒を呑むだけにしました。
ところで冷えた体にウィスキーやブランディーやウォッカを呑むと体が温まると言うのは・・・どうも本当ではないような気がしますが・・・それでも呑めば一瞬胃袋がカッとして温まったような気がしますね。

さてさて、この長野市営戸隠キャンプ場には、定点カメラが設置してあって、ホームページの右上にキャンプ場のライブ映像が流れています。
キャンプ場の職員さんが、私の家人がインターネットで私を見ることが出来るように、カメラを私のテントの方に向けておいてくださり、私の姿が世界中に流されることになったのであります。
これで、翌朝、私が変死体で発見されても捜査が非常に楽になるのであります。

しかしながら、世界中に私の映像が流されているとすれば、もし私が寒さに負けてスゴスゴとテントに潜り込んだとしたら・・・ロンドンでもモスクワでも、デリーでもバンコクでも、キャンベラでもリマでもワシントンでも、昭和基地でも大笑いが起こることは必至であります。
日本男児が世界中の笑いものになるようなことがあってはならない!ここは絶対に逃げてはならないと決意し、薪がなくなるまでは絶対に撤退しないと心に誓ったのであります。

・・・・なにやら妄想が始まったような気が・・・します・・・。

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     2012 5・10 22:00
薪も残り少なくなってきて、雨も益々酷くなり、ウィスキーの酔いも廻ってきて、ようやっと眠くなって来ました。
ヨシ!よく頑張った!残りの薪も無くなり、まだ薪があるのに撤退したと非難されることも無くなったので、私はテントに入り寝袋に潜り込みます・・・オヤスミナサイ・・・しかし!暫くウトウトとすると・・・安物のテントに雨が染み込み、寝袋が段々と濡れて来ました・・
外もどしゃ降りですが、心の中もどしゃ降りであります。
「天は我をみはなした・・・」
映画・八甲田山の台詞が頭を掠めます。

ウトウトしていたら足が冷たくなってきました・・寝袋が濡れてきて、ついに足が冷えてきました。
でも、このまま低体温症で息を引き取ったとしても、9時くらいまでには職員さん達が出勤して来て、冷たくなった私を発見してくれるでしょうから、死後11時間以内に発見されるでしょうし、もし、職員さん達が来る時間までなんとか生きていれば、ひょっとしたら綺麗なお嬢さん達に最期の瞬間を看取ってもらえるかも・・・・あ、それはナイな

そんなことを考えている内に、鑑識の米沢さんが私を見下ろしているのが見えてきました。

「これはどう見ても他殺ではありませんが、自殺でもありませんな~・・・事故死と言うにはあまりにもバカバカしいし・・・・よく、つがいのペットの片方が死ぬと、もう片方も淋しくて死んでしまうと言うことがあるそうですが、それと似たようなものかもしれません。この広大な自然の中にたった一人で濡れて、凍えて・・・淋しくなって死んでしまった・・淋しくて死んだので淋死と、でも言いましょうか・・・あ、なにか変な病気で死んだみたいで宜しくありませんな。」

人間は低体温症に陥ると、幻覚を見たり、錯乱状態に入ったりするそうですが、私も30分おきに目が覚めて、みょうな妄想が頭を駆け巡ります。
しかし、死ぬ間際に見た幻覚が米沢さんじゃ哀しすぎです'_';

それにしても色々なところに疲れが溜まってきました。ホントにモウダメかな?
そのとき、又、幻覚が見えてきました・・・・今度は小さな女の子に「弱虫!」と怒られました妄想と幻覚が酷くなっているようです。

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薄れ行く意識のなかにまた考えが浮かんできます・・・・人間、コレくらいの寒さで死んじゃったら・・・キャンプ場なんてのはどこだって死体の山だな
どう考えても、人間これくらいで死ぬわけはありませんね~
そんな考えが浮かんでふと笑ってしまった途端、目が冴えてきました。時間は早朝4時。

暫くすると明るくなって来ました。それと同時に気温が上がりだします。
この気温上昇を肌で感じることが出来るとは、新鮮な驚きでありました。

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起きる事にして外に出ますと・・・おお!良い天気だ!

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で、反対を見ますと・・・・雨で霧で虹虹が出てます・・・'_';
つまり、陽射しがあって、雨が降っていて、霧が出ているのですが、虹も出ていると言う天気・・・この天気・・・どうなんでしょ?

もう一泊する予定でしたが、今夜の予報も雨で、おまけにもっと寒くなるかもしれないと言う事なので、死ぬことは無いけどこのトシにはきつそうです。
こういうときは無理をせずに勇気をもって下山を決断!・・・

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あまりに冷えて、名物の蕎麦を食べることも出来ませんでしたが、いつか又来ることを誓って、キャンプ場を後にしました。

このキャンプ場は本当に素晴らしいキャンプ場でした。ワタシ、絶対に又来ますですよ。

さて、長野市内まで1時間くらいで着きます。車の中で考えました・・・車で寝ればよかったじゃん'_';
ま、兎に角、市内で一休み。
とても古い友人(人間が古いという意味ではないです)が居るので連絡をとって会うことにしました。
で、その時間まで時間潰し。
なんというか、疲れと寝不足でナチュラルハイになっている私は、長野市内を歩き回るのでありました・・・しかし、寒いな~。

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善光寺さんの山門

折角だから善光寺さんへお参りします。
びんずる尊者、通称「撫ぜ仏」様がおられまして、病人が具合の悪いところと同じ部分を撫ぜると病が治ると云われております。
ワタシは調理人に多い、テニス肘になっちゃったので、尊者様の肘を撫でました。

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権堂の映画館 懐かしいかんじの映画館です

ナチュラルハイ状態の私は宛ても無く市内を彷徨います。それにしても長野
は美しいところです。躁状態のワタシは市内のアチコチから山が見える長野に魅せられてしまい、益々ハイになって行ってしまいました。
そこで少し気を静めるために、なんとなく目に付いたお店に入りましたところ・・・

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長野市 中央通りのマウンテン☆Qと言うお店です

スパムの空き缶をマスタードとケチャップのホールダーにしているというウレシイお店でした。
そこでスパムサラダを注文しますと・・・・

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こんなカンジのサラダでありました。

これは角切りにしたスパムをサッと炒めて、サラダに載せてドレッシングを掛けただけ・・・・とのことですが・・・・なんか秘密がありそうな一品でした。
兎に角、スパムをいろいろと調理したけど、なんかこれが一番美味かったような気がします。

で、次回、これを作ってみましょう!

そんな訳で未だ続く長野編でありました。

ところで、帰宅してから気が付いたのですが・・・肘の痛みが消えていました。
ありがたいことでございますm(__)m
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レバ刺しは食べてはいけない

2022年07月25日 | 無ジャンル
「レバ刺し禁止について思うこと」  
今回のブログは食中毒の話で、柄にも無く真面目で退屈ですので、止めておいたほうが良いかもしれませんよ~

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いきなりですが・・・・O-157の写真であります。

レバ刺しが禁止になりました。レバ刺しが大好きな方には申し訳有りませんが、私としてはその方が良いと思っております。

レバ刺し禁止をニュースで取上げるときに、行政対営業者&消費者と言う形で取上げられており「行政が個人の嗜好を制限するのは、仕方が無い部分もあるが、食文化と言う面からも決して賛成できることではない」みたいな切り口で報道されております。

ですが、食に携わってきた者として言って置きたいことがあります。
先ず、行政は今まではあまり制限するのは好ましくないとのことで、口出しをしませんでした。どちらかと言えば黙認だと思います。

当時は漠然と大腸菌という括りでO-1系の病原菌が居ることは知られてましたし、ほかにカンピロバクターのような細菌やサナダ虫のような寄生虫が居る場合も多いことも知られていました。カンピロバクターはギランバレー症候群の原因になるとも云われてる結構怖い細菌ですが、カンピロバクターは潜伏期間が長いので、発症まで時間が掛かり、食中毒の原因と特定されることが少なかったということも黙認の理由であったかもしれませんね。

東京で言えば、管轄の保健所が独自の判断で認めたり認めなかったりしておりまして、私の住んでいた新宿区・四谷管内では禁止、隣の新宿区・淀橋管内では許可。
このように分かれていて、四谷の焼肉屋さんは提供できませんが、新宿繁華街の焼肉屋さんはOKという、判りにくいのだか判りやすいのだか判断は出来ませんが、兎に角そういうようなものでした。

昔は戦後の名残なのか、所謂ゲテモノ屋(この名前のお陰で、子供は怖ろしくて店内に入ることは無かったですね)と言って、牛の内蔵各種を扱う飲食店があり、今でも当時からやっている有名な店もあります。
このお店は私の家から歩いて3分の保健所の管轄の境界線辺りで営業をしていましたし、今でも場所を移して営業しています。

こういうお店はかなり年季の入ったオヤジさんが調理をしていたし、客の方もそれなりの知識や体力のある方達が利用していたと思います。
つまり、体調が悪いときは食べないし、それで食あたりが起こっても、ショウガナイと笑って諦められる人が前提でありました。
確か、私の小学生か中学生くらいのときにも、新宿の他のこの手の店で食中毒事故が起こり、かなり重篤な患者さんをだしちゃったことがありましたが、それでも淀橋管内ではレバ刺し等の規制はしませんでした。

ところが去年の焼肉屋事故を見ても判るように、近頃は誰でも生を安く食べることができるようになりました。これは別に調理の技術の向上や衛生観念の高まりのお陰でそうなったわけでなく、むしろその低下で誰でもゲキヤスで食べることが出来るようになったからであります。
ゲキヤス店では何を真っ先に削るか・・・・人件費です。もし全員がアルバイトなら、こんなに嬉しいことはない・・・くらいの気持ちで運営されているお店が多いのは事実です。

子供に生肉や生レバーなんかを、増してやこのようなお店で食べさせて良いわけはありませんが、テレビ等で、それも報道番組で、莫迦面したアナウンサーが「安い!美味しい!」なんぞと言って、生食している姿を流していれば、危険だと言うことを知らずに子供に食べさせる親も出てきてしまうのは当然です。

お子さんがお亡くなりになった事件では、子供に生肉を食べさせる親も良くないのではないかと謂った意見を吐いているキャスターだかコメンテーターだかも居ましたが、私は「アンタ達がそれを謂うのか?」と感じたことを憶えております。
どう考えても親御さんは被害者ですよ!どんな落ち度があったのかな?何故酷いことを言うのかな?・・・あんまりじゃないかな?

さて先に書いたように、レバ刺し禁止の報道も「行政Vs営業者&消費者」と言う形で取上げられておりまして、私が知らないだけかもしれませんが、医師や飲食業従事者の意見はまるで報道されていないように思えます。
当事者ではない者の意見無しに、つまり行政や食品提供者や消費者と言う、当事者の意見だけで番組を作ることは誤解を招きやすく、見た人間の目を曇らせる恐れがあると思います。
せめて医者の意見を入れて欲しかったし、食中毒の症状も報道すべきだったと思います。

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去年死者を出した腸管出血性大腸菌・O-111の写真であります。

もうひとつ私が禁止したほうが良いと考える根拠でありますが、このO-157等の食中毒を起こす菌は、100個位の非常に少ない数で食中毒を引き起こすという特性を持っている菌だということであり、したがって感染者の便等から容易に二次感染を引き起こす恐れがあるということであります。
二次感染は家庭、職場、公共施設等の、どんな場所でも起こりえるのであります。

菌に感染しているのですが、発症はしないという人たちを健康保菌者と言いますが、この人たちが気づかないうちに菌をばら撒いてしまうということも多くなっていて、給食での食中毒事故はこのような人たちによる調理が原因の場合が多いですし、食事場所の消毒が出来ていなかったりする場合も結構あります。

私たち調理人、なかでも給食関係の調理人はレバ刺しや肉刺し、生牡蠣等を食べることは殆どの職場で禁止されています。
ちょっとでも危険がある食べ物は二次感染の危険性があるので食べないと言うのは当然のことなのであります。

しかし、人件費を削り、殆どがアルバイトで運営されているような店ではそのような観念が養われているでしょうか?
成る程、マニアルはあるかもしれませんし、それに従えば事故は起きない筈・・・なのでしょうが、何故、マニアルに従はなければならないのかを教えないで、守れ守れと言っても、事故を防ぐのは難しいのです。
結局のところ、経営者自身が食中毒事故について知識も考えも対策もない場合が多すぎるのです。
現実に、色々な業態のゲキヤスチェーンの飲食店では、小さな食中毒事故はしょっちゅう起こっているのですが、そういう店では客層が若くて症状も軽い場合が多く、あまり問題になっていません。
又、客のほうにも食中毒の知識が無いので、「ちょっと具合が良くないな~」くらいで落ち着くことが多いのです。

さて行政について言えば、保健所が縮小されていて、目も届かないし、検査や指導をするのも難しくなっています。
このような状況で、去年のような事故が起こった場合に「何故、行政は規制をしていなかったのか?」ということを問題にしましたら、行政の方も「そんなら禁止しかないじゃないか」と言うのは当然といえば当然なのだと思います。
いつも政治や行政の悪口ばかり言っている私も、この件については行政の方に理があると思います。

去年の事件で、業界のやり方はもっと行政が見張ってくれれば良かった、行政が良い店と悪い店を峻別してくれるべきだ、自分たちも行政に協力して良くしていこうと思う・・なんてことを言っていましたが、良い店なぞとお墨付きを与えて食中毒が起きたら、誰が責任をとりますか?
飲食店もそんなことを行政がする訳がないことを百も承知で、報道陣向けに、業界を守る為に言っていたのだと思います。
ですが、業界の言い訳の為に、マスコミを利用して一方的に行政が責任を問われても、行政は責任を負いたくありませんから、規制の方向に動くのが行政のルーティーンです・・・・業界はそこに思い寄らなかったのかな?・・・ま、そこは我々には関係の無い話ですが・・。

さて、食文化を守るという見地から、規制に反対だ!との意見もあります。
規制すべきであると外国から言われているのに、食べることが禁止にならないものにクジラがあります。

クジラを例に挙げますと、クジラ漁の歴史・伝統、クジラの郷土料理としての確立や、家庭の惣菜としての料理の発展、クジラを使った洋食等の創造や料理の進化、クジラの保存法の伝統や進化、クジラを囲むコミュニティーの存在、ヒゲや骨等の食材以外の利用等々、食文化と呼ぶに充分な理由があり、外国になんと謂われようと守らなければならない食文化だということは明白であります。

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私の知る限りではレバ刺しについてのこういう画は無いよね。でも、もし在ったら・・・バイオハザード?

翻ってレバ刺しを見た場合、元来日本にあった料理ではないのは明白ですし、その歴史も戦後・・・という漠然としたもので、家庭の食事には適しません。
ちゃぶ台を囲んで、サザエさん一家が楽しそうにレバ刺しで御飯を食べている図は、怖ろしすぎて創造できません'_';

あくまでもレバ刺しとか肉刺しのようなものは傍流文化なのだと思います。
傍流の文化として存在していたから保健所も見て見ぬふりだったのでしょうが、これが何の準備期間もなしに、いきなり主流の文化に躍り出た場合には事故や事件が起こるのは仕方が無いと思います。そうすれば禁止になるのは当然のことであります。

先に書いた内臓専門のお店は今でもやっています。
いろいろなノウハウもあるでしょうし、入手のルートとか、衛生の管理とか、培われた技術がある店が営業を続けていくのはとても良いと思います。
しかし、なんの技術も志も無い、安いだけの飲食店で提供するようになったら、これは禁止されるべきだと思います。

もし、なんとか復活したいのなら、河豚のような資格を作ってはいかがでしょうか?
レバ刺しは、調理師でもないフリーターに扱わせるのは危険すぎます。


追記

今日、一日中このことを考えていまして、フっと思いついたのですが、レバ刺しを食べることが食の文化ではなく、レバーは生で食べてはいけないと昔から云われていたことこそが、食文化なのではないか?・・・と。違うカナ?
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磐梯山

2022年07月25日 | 無ジャンル
「小原庄助さん」  
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            磐梯山

磐梯山は東北のF県の北部に位置する標高約1800メートルの山であり、120年ほど前の噴火によって色彩豊かな沼や湖等幾つかの湖沼が形成されて、その湖沼群とともに風光明媚な観光地として愛されている。
名前の磐梯とは、天に掛かる磐(いわ)の梯子というような意味であり、昔は「いわはしやま」と呼ばれていた。
この山にまつわる言い伝えに
「エンヤー会津磐梯山は宝のコリャ山よ 笹に黄金がエーマタなりさがる」
と、言うのがある。エンヤーとコリャとエーマタの意味は、土地の古老に尋ねても「知らぬ」との答えしか返ってこない不明語であるが、言い伝えの凡その意味は、
「磐梯山は宝の山である。笹に黄金が成っている山である」
とのことらしい。なんとも豊かな山である。

さて、その言い伝えの中で不思議なことに、小原庄助と言う特定の個人が登場する。
その小原と言う人物についての言い伝えは
「小原庄助さん なんで身上(しんしょう)潰した。朝寝 朝酒 朝湯が大好きで それで身上つぶした。至極もっともなことである」
と、言うものである。

この小原と言う人物は実在の人物かどうかも、今となっては確認出来ないのであるが、多分朝寝、朝酒、朝湯等を行なっていたということは、医師、看護師、警察官、タクシー運転士、牛丼調理師、等の夜間勤務、つまり「夜勤」の職に就いていた人間であったのではなかろうか。
しかし、相次ぐ夜間勤務で身分、地位を潰してしまったということは、医師や警察官という使命感の強い仕事ではなく、、人をしてなにか不穏な感じを抱かせる職業であったのかもしれない。

夜中に働き、朝帰る小原庄助と言う人物の正体を考える場合、一つの可能性として・・
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・・・であったとは考えられないだろうか?

磐梯山には徳川家の埋蔵金伝説、足長手長の魔性夫婦の伝説、永坂更科の蕎麦伝説・・(あ、伝説じゃなかった・・・)

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このそばつゆ、ねぎと生姜を載せた豆腐に掛けてみなヨ!美味いよ~・・アタクシの大好きな缶詰の一つであります

ところで、民謡「会津磐梯山」の小原庄助さんのお囃子は、昭和10年ごろの小唄勝太郎のレコーディングでありまして、元になったと言われた会津に伝わる玄如節とは違うものと言って良いものらしいです。ですから今までの話しは全部与太話であります。信じる人が居るとは思わないけれど、一応言っておきます。信じちゃイケンヨ!

そんなワケで、10年来欲しかった炬燵(今は5000円で買える)を購入した私は、昔からやってみたかった小原庄助さんゴッコをしたのでありました。

前夜、レイトショーでJ・エドガーを観て、午前様になった私は、この朝6時におきて時事放談を見てわざと寝不足にして、朝から煮物を作って風呂掃除をして、で、入浴してから炬燵に入って・・

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作った南瓜の煮物と缶詰で熱燗を呑みながら・・・

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DVDで古い西部劇「真昼の決闘」を観て・・・・


寝ちゃった・・・^_^

おはら庄助さん なんで身上(しんしょう)つぶした
朝寝 朝酒 朝湯が大好きで それで身上つぶした
ハァもっともだ もっともだ

これ・・・癖になりそうです(^^