宝泉寺墓地には、杉浦兼松博士のお墓がある。「倶会一処」と書かれた大きな墓標の下に、納骨されている。
この杉浦兼松博士のレリーフが、天王川公園の中にある。天王川公園が改修される前からあったが、今は見やすい場所に移動されている。
杉浦博士は、津島市祢宜町の生まれ。「紺清」という染物屋さんが実家だった。すでに染め物業は閉じているが、玄関のガラス戸には、この紺清の文字が残っている。
杉浦博士は、なんと15歳の若さで渡米し、医学の道に進み、とくにガン研究を長年にわたって続けていた。ノーベル賞候補にもなったと聞いている。地域の偉人と言うことで、こうやってレリーフが建てられているが、その横には、その経歴が掲載されている。