昨日、伺った檀家さんとの会話です。(こんな感じでした)
■が檀家さん、●がわたし。
■ 本堂も完成したから、住職を若さんに譲ったらどうかな
● そうだね、ボチボチ交代したいね
■ おっさんは、何歳かね?
● あと二ヶ月で、68歳。世の中なら、とっくに定年退職の年齢だ
■ だったら、交代すればいいのでは
私の実感としては、時代の流れには、もうついて行けない。若いころなら、時代の流れを判断して、こういうことをしていこうと、決めることができた。NGO(国際協力のボランティア)や、時報「まんだら」の発行(1980年から)、ホームページの開設(1998年から)を行ってきたが、最近はつとに、時代を読む眼が劣ってきた。
住職として寺を経営し維持する立場としては、なんとも心許ない気がしてしまう。
逆に時代に流されないというところは、増えてきている。変わらない価値を維持できるという面では、プラスになる。僧職としては、支えにもなるところだ。
今回の会話は、幸いに、後継者がいるということでの迷いでもあるのだが。
日本社会は人材不足を言われる。教員採用試験の倍率が2倍以下になると、教員の資質が低下する指標になるとかといって、教員を志望しない学生にも受験するようにと勧められることがあると聞いたこともある。(真偽不明)
老人施設の介護士看護師不足、保育士不足、警官も自衛官などなど、あらゆる業界で人材不足だという。仏教界でもその通り。僧侶を志す人数が減少しているし、仏教系大学の仏教系の学科でも、一般在家出身の学生の方が多くなっている。
宝泉寺は低空飛行でイイから、長く維持できるために、みんなから信用される・頼りにされる寺院でありたい。
私も、あと10年くらいで立派な老人になることは間違いない。立つ鳥跡を濁さず、もうちょっと頑張ろう。