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宝命堂院長ブログ

目の見えない院長が鍼灸師として、父親として綴った日記です。

お盆、当家で、ささやかなお食事会を催しました。

2025-08-15 10:22:54 | 日記
 きょうは、当家で、妻の両親と弟家族を招いて、ささやかな
お食事会を催しました。
もうすぐ86歳を迎えるお父さん、82歳を迎えるお母さんも、とっても楽しそうでした。

 お父さん、お母さんへ、きょうは、みんなで和やかなひと時を当家で過ごせて、本当にうれしかったです。
 天国で見守ってくれている亡き私の亡き両親にも心から感謝して、敬天愛人、ご先祖様に心から感謝して、生きてまいります。

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久しぶりに、立命館大学 陸上競技部の仲間たちと会えて本当にうれしかったです。

2025-08-15 10:22:03 | 日記
 きょうは、久しぶりに大阪市福島区に行ってきました。
実は、この日、立命館大学時代の陸上競技部の同級生、そして後輩達と、お食事会を催すことになったからです。
私が卒業以来、長い間、会えていなかったy君にも、出会えて、本当にうれしかったです。心からみんなと会えて、とってもうれしかったです。
 最後に、行き帰りと、目の見えない私を手引きして送迎してくれた後輩にも感謝の気持ちでいっぱいです。

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k君、本当にとっても美味しかったです。

2025-08-14 10:13:42 | 日記
 きょうは、ランチに招かれて家族4人で食べに行きました。
伺った先は、交野市幾野にあるSFCフリーデイラウンジです。
このラウンジは、完全貸切のレンタルスペースで、他の利用者を気にせず、プライベートな時間やイベントを楽しめる空間です。

 実は、このラウンジを貸し切って、昔、私が講演に伺った時、まだ小学5年生だった彼が、手造りのお料理をご馳走してくれると伺って、家族4人で参りました。

 k君へ、君が丹精込めて作ってくれた手料理、とっても美味しかったです。
君と初めて出会った頃、君は、まだ小学生でした。その君が、高校を卒業して、和食の料理人になりたいと、大阪の辻調理師専門学校で基礎を学び、その後、東京の老舗料亭の丁稚奉公に入りました。
そこで君は、朝早くから夜遅くまで、厳しい修行に耐えて来ましたね。同期で入った仲間達も次々と辞めていきました。
君は厳しい修行に耐えて、東京から帰る度に来院してくださって、蔦田さん、フルーツを任されたんです。そして、次に帰った時、ご飯を炊くのを任されたんです。
そして次に帰った時、心やさしい君は、農家の人と心通わせて、子供食堂をしたんですと笑顔で私に言ってくれました。
その時、子供たちが、美味しい・美味しいと笑顔で言ってくれて、とってもうれしかったと私に笑顔で語ってくれました。
 そして、君が、きょうのお料理の材料を説明してくれて、私は本当にうれしかったことがあります。
君のお父さんが畑で心を込めて作ってくれた、大葉とシソですと言ってくれましたね。
私は目は見えませんが、お父さんの笑顔を思い浮かべながら、大葉とシソをいただきました。本当に美味しかったです。

 最後に、k君、君の作ってくれたお料理、妻も娘達も、そして私も、本当に美味しくて感動しました。
君の作ってくれた手料理をいただいて、私も幸せいっぱいになりました。
これからも、みんなそれぞれのオンリーワンのパフォーマンスで、世の中の人達を笑顔いっぱい・幸せいっぱいにしていこうね。
 人生には、ターニングポイント・分岐点が必ず訪れます。その時、どっちに行くか選択しないといけません。君が選択した道に間違いはありません。必ず道は開けます。
もし人生の壁にぶつかった時、この言葉を思い出してください、無駄は無い・無駄は無いと自らの心に言い聞かせて、その壁を乗り越えて行ってください。私も、30年間、真っ暗闇の世界で生きて来ました。
本当に無駄は無かったです。

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少し早いですが、お盆、ご先祖様のお墓参りに参りました。

2025-08-10 10:12:54 | 日記
 先日、妻と一緒に、ご先祖様のお墓詣りに参りました。
墓地に着くと、竹やぶから、今年はじめてのツクツクボウシの鳴き声が聴こえてきて、本当にうれしかったです。
 妻の手引きで、御先祖様のお墓へと導いてくれました。亡き父母も、きっと笑顔で見守ってくれていたと思います。
またこうして、お墓参りに参れて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 ご先祖様へ、娘達もそれぞれの夢に向かって頑張っています。
今日は、山の日、そして、ひいおばあさんの命日ですね。天を敬う真心、ご先祖様の敬う真心を大切に生きてまいります。

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インド料理専門店 キラン交野店のカレー、とっても美味しかったです。

2025-08-08 16:01:28 | 日記
 きょう家族みんなで、交野市にあるインド料理専門店 キラン交野店に行って来ました。
本場インドカレー、そして本格釜焼のナンはフワフワもちもちして、とっても美味しかったです。
 実は、昔、目が見えなくなった当時、大好きなカレーを作ろうと、四苦八苦した思い出が脳裏に浮かびました。カレーに入れる野菜のジャガイモ、人参、玉ねぎ…。それらの皮をむくのに目が見えないので、皮をむいたはずなのに、実は皮がついたまま煮込んでしまった事もありました。けれど何度も失敗を繰り返していると、指先で皮か実の判別が指先で分かるようになり、カレーやシチューを作るのが、とっても楽しくなりました。
 本当に、なつかしい思い出に浸りながら、妻と娘達と美味しいカレーをいただき、幸せいっぱいになりました。

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30年前の病院の廊下で、清水 哲さんと会えて、本当にうれしかったです。 

2025-08-07 15:57:46 | 日記
 きょうは、妻と二人で、枚方市にある星丘医療センター(旧 星丘厚生年金病因)に
知人が入院されていたので、そのお見舞いにまいりました。
車を駐車場に止めて、妻の手引きで、病院の玄関へと向かった瞬間、「蔦田さん」と声がしたのです。
その方は、清水 哲さんでした。
 清水さんは、PL学園の野球部黄金時代レギュラーをされていました。
昔プロ野球界で活躍されていた読売巨人軍の桑田真澄投手、清原和博内野手の一つ年上の先輩にあたる人です。清水さんは、プロ野球を夢見て
同志社大学に進学されて、野球部に入部されて、プロ野球界からも将来有望視されていた選手だったのですが、大学での野球の試合中、一塁から二塁へと盗塁を試みて走ってヘッドスライディングした時、二塁手とクロスプレーになって、頸椎を骨折してしまったのです。それ以来、手も足も動かせなくなって電動車いすで移動されています。
その清水さんとは、平成7年、私が枚方市の厚生年金病院で入院していたとき、病因の廊下で偶然出会い、目が見えなくなった私を励ましてくれて、退院してからも、同じ誕生日(4月9日)という仲で、兄弟のように親しくしてもらっています。
いつも清水さんには、元気をいただいております。お互い一度限りの人生、そして一日一生、私も髄膜炎で命を落としかけました、だから清水さんと同じ生かされて生きていることに感謝の気持ちでいっぱいです。
 清水さんとも、お互い笑顔で別れた後、この偶然というか、必然というか、この巡り合いに、心から感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 人は、生きていたら、 たくさんの出来事に遭遇します。うれしい事・楽しいこと・悲しい事・嫌な事…。そして私も27歳の時に遭遇した四苦八苦の病の苦(髄膜炎)で、目が見えなくなって真っ暗闇になって人生大変でした。けれどこの大変は自らを大きく変えてくれる大変だったのだと気付けました。
 それは、九死に一生を得て、またこの人の世で、鍼灸師として、父親として、人間として、またこの世で、お役に立てれる幸せと、他の人から必要とされる幸せと出会えました。
 目が見えなくなって、全て無駄は無かったです。見えなくなって、このことを悟れました。人間どれだけ素直になれるかです。
素直になれば、こうしてたくさんの出来事、そして人生の宝物の多くの人との出会いと出会えることを悟れました。
人生を大きく変えてくれるこの人との出会いを求めて、これからも一度限りの人生、心明るく・素直に・感謝の心で蔦田も生きてまいります。

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夢の和食の調理人に向かって張り切って!!

2025-08-04 15:55:50 | 日記
きょうは、夢に向かって挑戦し続けている人が来院してくださいました。
その人は、昔、小学5年生の頃、私が講師として伺った時に、私の講話を聴いて
目が見えない人に『しゃべる点字ブロック』を発明してくださったのです。
 そして当時、全日本学生児童発明工夫展で、交野市立妙見坂小学校のk君の『しゃべる点字ブロック』が毎日新聞社賞に選ばれたのです。
(毎日新聞、平成25年3月9日)
 このしゃべる点字ブロックは、ブロックを踏むと、スピーカーから「市役所方面です」や駅までの距離などの音声案内が流れるのです。
彼の優しい心で作りあげてくれた、しゃべる点字ブロックが表彰を受けて、本当に嬉しかったです。
このk君のコメントに「5年生の時、全盲の男性鍼灸師の講演を聴き、視覚障害者にとっての点字ブロックの重要性に気付いた」と書かれてあり、もしかして、この全盲の男性鍼灸師とは、もしかして私かな?!と本当に嬉しかったです。

 k君へ、君と出会って、13年経ちましたね。君も24歳になられて、心大きくなって、夢に向かって、張り切っています。
道は必ず開けます。君の新たな夢の和食の調理人に向かって張り切ってください。
蔦田も応援しています。

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きょうは、とってもうれしい出来事がありました。

2025-08-01 15:52:39 | 日記
 きょうは、とってもうれしい出来事がありました。実は、花田勝彦さんから電話をいただいたのです。
彼は、現在、早稲田大学競走部駅伝監督をしています。
早稲田大学競走部は1914年に創部した名門中の名門。これまで、五輪、世界選手権などに日本代表選手を輩出してきた。箱根駅伝では13回の総合優勝を誇る。
彼は、現役時代、1996年、アトランタオリンピック、2000年シドニーオリンピックと続けて、5000m、10000mと日本代表として出場した選手でした。
 そんな監督と出会ったのが、監督が高校生の時でした。
当時、私は、母校・立命館大学
陸上競技部の強化編成部長として、全国を奔走して選手の勧誘に努めていました。
彼が彦根東高校時代に私に見せてくれたサラブレットのような長い足で、他の選手を全く寄せ付けず圧倒的な強さで記録を更新し続けていたのです。
そんな彼と出会って、もうすぐ40年経ちますが、実は、彼は、私が1995年、目が見えなくなったと聴いて、東京から滋賀県におられる両親と一緒に、わざわざ大阪府交野市にお越しくださったのです。
当時、目が見えなくなって落ち込んでいる私に直接会って励まそうとわざわざ会いに来てくれたのです。
本当に、あの日の事は今でも忘れられません。
滋賀県から、交野市に車でお越しくださったのですが、途中、道に迷って、川に掛かっている橋の名を落合橋と言ってくれた彼の声が今でも忘れられません。

 花田監督へ、2024年12月、監督が書かれた「学んで伝える ランナーとして指導者として僕が大切にしてきた」を妻の対面朗読で読ませていただきました。
本当に感動しました。
目の見えない私にも、監督の歩んで来られた生きざまが目に浮かびます。
監督が送ってくれた瀬古利彦さんからの励ましのビデオテープ、私も雲の上の瀬古利彦さんからのビデオメッセージを聴かせていただき、本当にうれしかったです。
瀬古さんも、現役時代、足を故障されて、目の見えない鍼灸師に救っていただいたと話されていました。そして、私も、監督が送ってくれた瀬古さんからのビデオメッセージを、いつも心に抱きながら生きてまいりました。

最後に、花田監督、2003年、蔦田は、監督に鍼灸師の国家試験に無事合格して、やっとゴールしたと報告すると、蔦田さん、鍼灸師の国家試験合格は、通過点ですよ。まだまだゴールではないですよと説いてくれました。
監督のあの時の言葉が、今でも蔦田の心に響いています。
花田監督、早稲田大学、大学駅伝日本一に目指して張り切ってください。
そして早稲田から世界へと羽ばたいてください。
私も、目が見えなくなって30年経ちましたが、無駄は無かったです。
それは、こうして多くの人と出会って、そして花田監督とも出会えました。
近々、世界へ選手と一緒に挑戦するのに日本を旅立ちますとおっしゃられていました。
早稲田大学から世界へ通じる選手育成に向けて、張り切ってください。蔦田も応援しています。

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娘の通う高校の三者懇談に行ってきました。

2025-07-24 16:07:59 | 日記
きょうも災害級の暑さが続いています。
北海道で記録的猛暑 北見市では39度を観測したそうです。
 実は、この日、娘のの通う高校の三者懇談があり、次女と妻と3人で娘の通う高校へと向かったのですが、とっても暑かったです。高校に着くと、親子三人で、もう汗だく…。
先生とお会いできて、本当にうれしかったです。

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娘達の手引きで、なつかしいお店に食べに行けて、本当にうれしかったです。

2025-07-21 16:07:21 | 日記
きょうは、海の日、祝日で当院も休診日です。
娘達の手引きで、晩御飯を食べに行きました。
伺った先は、弁慶すし 交野店です。
実は、30年前、目が見えなくなって、一人で白い杖、白杖を片手に初めて食べに行ったお店が弁慶すし 交野店だったのです。弁慶寿司さんは、交野市駅の踏切の近くにあって、その踏切を渡ろうとしたら前から後ろから車が来て、クラクションを鳴らされて本当に怖かったです。けれどお寿司を食べたくて必死でした…。
何とかお店の前にたどり着けたのですが、何処に弁慶さんの玄関があるのか分からず迷っていると、お店ののれんが私の額に触れたのです。そして無事、お店に入ると、店員さんの「いらっしゃい!!」と元気で明るい声で出迎えてくれたのです。
その時、うれしくて・うれしくて私の目から涙・涙があふれ出て来ました。
そして、カウンター席に座らせていただいて、にぎり寿司を注文しました。
心やさしい店員さんが「ここがお寿司で、その横にしょうゆがあります。」と説明してくれたのです。本当にうれしかったです。
そして、お寿司を一口食べさせていただいた瞬間、一人でここまで来れて、そしてお寿司を注文して、そしてお寿司を食べることが出来たんだと、またもや涙・涙があふれ出て来ました。

目が見えなくなったあの日から、もうすぐ30年を迎えます。
あの頃は、生きていく事に必死でした。
きょう、娘達に、手引きを交代交代してもらって、弁慶すしさんにたどり着けました。
目が見えなくなって、もう人生終わったと覚悟しましたが、新たな人生のスタートだったんだと気付けました…。

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