【新情報】ゴーン被告の住宅から複数回出入りし、妻キャロルさんとみられる女性も乗っていた濃い色のSUV。この車がレバノン政府の情報機関の車だったことがJNNの取材で分かりました。レバノン政府が何らかの支援をしている可能性が高まっています。 #ゴーン pic.twitter.com/vwIgwwAyM1
— TBS NEWS (@tbs_news) 2020年1月6日
https://ci.nii.ac.jp/naid/110009807825
抄録 山本五十六提督はアメリカ駐在武官も勤め、同国の実力を熟知していたが故に、アメリカとの間の戦争に反対であったといわれている。したがって日独伊三国同盟にも反対であった。しかしながら、日米関係が緊張してくると、アメリカ太平洋艦隊の基地真珠湾を攻撃する計画を作成、その計画実現に向けて強引な働きかけを行った。
これをみると、山本は果たして本当に平和を望んでいたのかどうかについて疑問が起こってくる。一方で平和を望みその実現に努力したと言われながら、実際にはアメリカとの戦争実現に向けて最大限の努力を行った人物でもある。
本論は山本が軍令部に提出した真珠湾攻撃の計画が実際にどのようにして採択されたのか。それは具体的にはいつのことなのか。またその際用兵の最高責任者、軍令部総長であった永野修身はどのような役割を果たしたのかについて言及する。これを通じて、もし山本の計画が存在しなければ、あるいはこれほどまでに計画実現に執着しなければアメリカとの戦争実現は困難だったのではないだろうかという点について論述する。
日米開戦原因については多くの研究の蓄積がある。しかしながら山本五十六の果たした役割についてはいまだに不明の部分が多いと考える。それが、従来あまり触れられることのなかった山本五十六の開戦責任について、この試論を書いた理由である。
https://ksu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1566&item_no=1&page_id=13&block_id=21
以上==================================
抜粋
山本五十六は、昭和 16(1941)年 9 月 24 日及び 10 月 19 日の二度にわたり、真珠湾奇襲決行のためには「職を賭」けると軍令部側に伝えた。永野軍令部総長は 2 度とも、それほどまでに「固い決意」であるのならば、と答えて要求を認めた 80)。
攻撃を実施することになる機動部隊側からも異議が出されたのであるが、山本は計画を断念するよう説得するためにやってきた大西、草鹿両参謀を逆に説き伏せて協力を誓わせた。「真珠湾攻撃は僕の固い信念である」からして、反対せずに「僕の計画を実現するよう努力してくれたまえ」と肩をたたいて無理を通したのであった 81)。
抜粋以上
永野修身軍令部総長も、真珠湾攻撃に反対であったが、
山本五十六に押し切られたという事のようですね。
上記の考察にはありませんが、
真珠湾の、軍事施設、燃料施設等々を攻撃作戦に取り入れなかった事。
また、ミッドウェー海戦での、大和の位置、
また、ガダルカナル島といい、
よく言われていることですが、山本五十六は怪しすぎますね!!!
やはり、アメリカ中枢と通じていた・・・
https://ameblo.jp/bonbori098/entry-12461481196.html
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戦慄の記録 インパール
相手の戦力や兵站を軽視した無謀な戦いで甚大な死傷者を出し、旧日本軍の体質を象徴的に示したとされる「インパール作戦」。
「援蒋ルート」の遮断を主目的とし、ミャンマー(当時ビルマ)からイギリス軍の拠点があったインド北東部のインパールの攻略を目指した日本軍は、この作戦で歴史的敗北を喫した。餓死・戦病死した日本兵の死屍累々が並んだ道が「白骨街道」と呼ばれるほど凄惨な戦いの実態はどのようなものだったのか。
これまでインドとミャンマーの国境地帯は戦後長く未踏の地だったが、今回、両政府との長年の交渉の末に現地取材が可能となった。さらに、新たに見つかった一次資料や作戦を指揮した将官の肉声テープなどから「陸軍史上最悪」とされる作戦の全貌が浮かび上がってきた。
数々のスクープ映像と新資料、証言からなる「インパール作戦」の全記録は、決して忘却してはならない悲劇の記憶を、未来へと継承していく。
(2017.8.15 NHKスペシャル)
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NHKは8月13日から15日にかけて「731部隊」「樺太の地上戦犠牲者」「インパール作戦」と3日間連続で「戦争の悲惨」について報じた。
お気づきと思うが、これらすべて帝国陸軍を悪とする放送なのだ。
NHKの戦争ものといえば陸軍を悪者に、海軍を平和主義者のように報じる傾向が強い。どうして陸軍を憎むのか?
これは日教組もそうだが、日本陸軍の強さにある。日本陸軍の強さにはスターリンも相当に恐れ、戦後左翼はソ連を苦しめた陸軍が憎くてしょうがないのだ。特に関東軍は目の敵だ。
しかし、今回のインパール作戦に至る経緯を見れば、大東亜戦争当初の海軍が足を引っ張ったのが大きな敗因の原因であることは明らかである。
開戦前の昭和15年1月に「陸軍省戦争経済研究班」が設立され、大東亜戦争は太平洋ではなくインド洋を攻略して英国の制海権と海上輸送の遮断で屈服させ、それによりソ連とシナへの補給も断たれて孤立し、ドイツとスエズで合流していくはずだった。
しかし”真珠湾”と言い出したのは海軍の山本五十六であり、ドイツがエジプトに侵攻するとインド洋へ向けようとしたが、山本五十六がガダルカナル島と言い出して、日本は敗北に向かって行ったのが実態であった。
さて「インパール作戦」であるが、今回のNHKスペシャルもそうだが、日本のインパールに関する多くの著書も大事なことに触れない。
つまり「インパール作戦=無謀・悲劇」というのが多くの日本人のイメージである。
特に牟田口や東條は悪者そのものだ。
しかし、大東亜戦争の意義とは何であったか?
目覚めた日本人がよく言うではないか。アジア解放戦争であったと。
だからNHKスペシャルの番組の中でも東條首相や牟田口司令官がインパール作戦について何度か言っていた。「如何なる犠牲を払っても実行する価値がある」と。
しかし番組ではその「価値」には全く触れずに「インパール作戦はいかに無謀な戦いであったか」「国家の指導者層の理念に疑いを抱く」とナレーターが決めつけてしまい、視聴者はそのまま受け取ってしまう。
確かに戦いそのものは凄惨、悲惨を極めた。昭和19年3月の段階でインド作戦は日本にとっては無理があった。インド洋作戦のように大東亜戦争初期にやるべきであった。
ではなぜ東條首相や牟田口司令官が「いかなる犠牲を払っても実行する価値がある」と言ったのかである。
戦後、インドがなぜ日本に感謝の言葉を述べたのか?
なぜインドは親日国であるのか?
我々日本人はその意味をよく考えなければいけない。
「インパール作戦」はインドでは「インド独立戦争」と呼び「日本軍が協力したインド国民軍の戦い」という認識である。
インパール作戦の前年、東条首相はチャンドラ・ボースに日本がインド独立のために支援することを約束した。
この時、ボースは日比谷公会堂で演説した。
「約40年前に私がようやく小学校に通い始めた頃に、アジア民族である日本が世界の巨大な白人帝国ロシアと戦い大敗させた。
このニュースがインド全土に伝わると興奮の波が全土を覆った。インドのいたるところで旅順攻撃や奉天開戦や日本海海戦の勇壮な話によって湧き立った。インドの子供達は東郷元帥や乃木大将を慕った。
この度、日本はインドの仇敵であるイギリスに宣戦した。日本は我々インド人に対して独立のための千載一遇の機会を与えてくれた。我々はそれを自覚し心から感謝している。一度この機会を逃せば今後100年以上に渡って訪れることはないだろう。勝利は我々のものであり、インドが念願の独立を果たすことを確信している」。
昭和19年3月、戦局がすでに日本軍に不利になっている中、日本軍はインパール作戦を敢行した。
チャンドラ・ボースはインパール作戦にインド国民軍(INA)で参加して「チェロ・デリー」(デリーへ)としてインド独立戦争と位置付けた。
つまりインド国民軍を無視してこのインパール作戦は語れないのだ。実際、英軍秘密報告にはインド国民軍の役割を重視し、英インド軍からインド国民軍への投降が頻発して「脅威であった」と認識していた。
しかしNHKスペシャルではインド国民軍のことは一切触れない。そのことは触れずに「日本軍は悲惨だった」「軍の上層部が無謀だった」と、日本軍ばかりを責め立てるタコツボ史観そのものであった。タコツボの外のことは一体考えない戦後日本の歴史の見方である。
インド国民軍を創設した藤原岩一はインド独立は「日本の建国の大理想を具現すべく、身を以て実践したものである」と言った。
戦後インドのレッド・フォート裁判で藤原岩市の主席弁護士インドのデサイ弁護団長は日本側証人に「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは共に戦ってくれた日本である。インドの独立は日本のお陰で30年早まった。インド国民はこれを深く肝に銘じている」と述べた。
昭和32年5月24日、インドに訪問した岸信介首相を歓迎する国民大会が開催された。ネルー首相は「インドは敢えてサンフランシスコ講和条約に参加しなかった。そして日本に対する賠償の権利を放棄した。これはインドが金銭要求より独立のために戦ってくれた“友情”に重きを置くからにほかならない」と述べた。
インパール作戦の時、日本軍が入ったのはインドのナガランドで、そこにはナガ族が住んでいた。ナガ族は山岳民族で山の谷間のあちこちにを作っていたが日本軍が来るとどこかへ姿を消した。
戦後、栃木県にアジア学院という農業指導者を養成する学校が出来て、そこへナガ族の人も毎年何人か留学に来ていた。ナガ族の青年達は非常に感激し、彼らがおじいさんから聞いた話としてこう言った。
「日本の兵隊は非常に勇敢で、規律も正しく、イギリス軍を相手によく戦った。残念ながら日本は負けたけれど、お蔭でインドは独立出来た」とインパール作戦に感謝した。
インパール作戦は多くの日本人やインド人の犠牲があったが、大東亜解放の大義が達成された尊い戦いであった。
「忘却してはいけない未来への継承」とはこういうことをいうのだ、よく覚えておけ反日放送局(NHK)。
この中国人警察がかけているのはサングラスではなく、顔面識別メガネ。通行人とIDナンバーが紐付けされ表示される。監視対象は外国人観光客も含まれる。中国はこの社会統治システムを世界中に広げようとしている。もちろんそれは中国当局が世界中の人間を管理するために。 https://t.co/FbiJNcAvND
— 鈴木泰志 (@arkadasum) 2019年12月29日
安田氏の非難される点
— 田舎暮しの唱悦 (@shoetsusato) 2020年1月4日
・彼が帰国後、関係者への礼と謝罪の一言もない、人間としてクズ
・国は自国民保護の責任があるから止めてるのに、それを無視
・プロとして全く危機管理ができていない
・危険エリアに入ることを軽視し
・今回の開放にかかった費用を国に返済してないhttps://t.co/XziA2sbBte
米海軍の掃海艇が宮古島に寄港した際、
— ボギーてどこん(浦添新基地建設反対協議会) (@fm21wannuumui) 2020年1月5日
艇長と乗組員は宮古島の海浜清掃に赴いた。
反基地派はそれを追いかけ、清掃をする艇長の目前に
プラカードを掲げ清掃を妨害
これを沖縄メディアは英雄のように報道した。
これが反基地無罪というものである。
もちろん、反基地派が清掃を手伝ったという話はない pic.twitter.com/fa4HC9qfQK
池上彰の解説で、中国が日本のプラスチックゴミをリサイクルしてくれてるとか言ってるが、実際は金もらってゴミリサイクルする代わりに海洋投棄してただけ。
— 深田萌絵 (@Fukadamoe) 2020年1月6日
プラスチックによる海洋汚染の大部分は中国🇨🇳が原因です。https://t.co/3Bi8uFpjdU
「北朝鮮に修学旅行に行く予定だったのに万景峰号が入って来れないので無くなりました。電車の中で、中学生にテポドン怖いな、北朝鮮怖いなと言われました。暴言や暴力を振るわれた時、私は朝鮮人なんだなと感じます。これは人間にとって一番の侮辱だと思いました。」
— 海乱鬼改 (@nipponkairagi) 2020年1月4日
怖いのにどうして日本にいるの? pic.twitter.com/A3VZLNZvmm
保守速報 : 「俺の知る限り賄賂は30人。2000万円貰った議員もいる。なんで俺なんだよ。」 秋元司容疑者が自白供述 https://t.co/FjnE3H9wyb
— 保守速報 (@hoshusokuhou) 2020年1月6日