Foundation Garment

いつまでもキレイであり続けるために、、、

下着の歴史(1970年代から1980年代)

2019-02-14 11:24:41 | 補正下着
1970年代から1980年代の間にファッションとしての下着市場は成熟を迎え、下着メーカーは広告の中で耐久性や快適さではなく、下着がかもし出す性的魅力を主張することを重視するようになった。マドンナやシンディ・ローパー(Cyndi Lauper)といった1980年代のセレブリティは、下着をファッションの一部として露出させ有名になった。1990年代からはヒップホップを元とするストリートファッションの流行の中で、大き目のジーンズや短パンを尻や膝でずり下げて履き、トランクスやショーツを露出させることが流行している。この流れの中で初めから見せることを考えて作られた下着も広まった。


オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着

下着の歴史(1950年代から1960年代)

2019-02-13 11:07:05 | 補正下着
それまで下着といえば白のみで、それ以外は一部の特殊な職業で使われているだけであったが、プリント柄や赤や黒の下着も売り出されるようになる。ファッション性も理解されるようになり、様々な試みがなされるようになる。レーヨンやダクロン、ナイロンのような化学繊維が広く試され、そのうちのいくつか、例えばナイロン製のストッキングは広まることになる。また、男性用の下着も大柄の模様やメッセージ、それにキャラクターイメージがプリントされたものが広く売り出されるようになる。

1950年代の流行として、腰周りの細さより胸を強調するデザインが広まるようになる。まるで弾丸のように先を尖らせたバレットブラ(bullet bra)や、フレデリックス・オブ・ハリウッド社(Fredericks of Hollywood's)が売り出したプッシュアップブラ(push-up bra)が売り出されのもこの年代である。

1959年にノースカロライナ州のグレン・レイブン紡績会社(Glen Raven Mills)がパンティとストッキングを一体化させたパンティホーズ(Panty hose)を発明し、売り出した。また同じ会社は1965年にミニスカートに合わせて身につけるシームレス・パンティホーズを売り出した。



オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着


下着の歴史(1940年代)

2019-02-12 14:41:29 | 補正下着

第二次世界大戦中にゴムや金属が戦略物資となると、一時的に紐とボタンが下着に用いられるようになる。物資不足の中、下着も不足し、古くなった服を再加工したものも使われた。

戦後は、クーパーズ社を前身とするジョッキー社とヘインズ社が大手であったが、クルット・ピーボディー・カンパニー(Cluett, Peabody and Company)が、サンフォリゼーション(Sanforization)という生地を出荷前に洗い縮める技術の特許を取り、広く利用されるようになる。

コルセットはハチのように細い括れからワスピー(waspie)として再び広まる。胸の谷間を強調するストラップレスブラも使われるようになる。

日本に関して述べると、下着の大衆化はこのころにやっと始まる。ワコールの創業者塚本幸一は終戦直後、「これから女性は間違いなく洋装化する」と予測し、ブラジャーを中心に下着の生産販売を初めた。従業員10人からの創業だった。下着を着用する習慣そのものがない時代であったから、塚本は日本で初めて「下着ショー」を開催した。といっても実態は下着の付け方教室のようなもので、女性限定だったという。これを新聞各紙が取り上げ、下着を日本社会が認知していく端緒の1つとなった。



オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着

下着の歴史(1930年代)

2019-02-07 14:56:04 | 補正下着
1930年代に男性向け下着の発明と改良が進んだ。1935年1月19日、シカゴのクーパー株式会社(英語版)の手により、ジョッキーと名づけられた世界初のブリーフが売り出される。

ボタンや紐の代わりにゴムが腰周りに使われるようになり、プロボクサー選手が身につける短いズボンに似たボクサーショーツが広く売り出される。スコーヴィル社(Scovil Manufacturing)がスナップファスナーを開発し、下着に広く使用されるようになる。

コルセットはガードルとして生まれ変わり、ブラジャーやガーターベルトとともに身につけられるようになる。



オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着

下着の歴史(1920年代)

2019-02-06 14:10:12 | 補正下着
1920年代に下着を生産する会社は耐久性より、快適さを追求するようになる。ユニオンスーツの広告は、ボタンを減らし、着易さを追求した新たなデザイン上の特許を売り文句として掲載するようになる。これらの特許の多くはユニオンスーツとズロースの「社会の窓」の新たな形状に関するものであった。また、耐久性に優れたナインソック(nainsook)という幼児用の柔らかい生地も下着に広く使われることになる。一度下洗いがしてある収縮済みの下着も広く売り出される。

ブルマーは短くなり、新しく発明されたストッキングで足を覆うようになる。ゆったりとしたデザインが主流になり、1920年代の終わりには足回りが広いことを除けばパンティーに近いデザインとなる。

社交ダンスが流行し、ストッキングがずり落ちるのを防ぐためにガーターベルトが発明される。また、下着がただ隠すべきものから、女性の魅力を引き立たせる意味が理解され、ランジェリー(lingerie)という新たな下着の分野を確立させる。

1928年にロシアからアメリカに移民したイダ・ローゼンタールの手により、現在でも使われているカップサイズというアイデアがメイデンフォーム社に提案され、広まることになる。



オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着オーグ 下着