第二次世界大戦中にゴムや金属が戦略物資となると、一時的に紐とボタンが下着に用いられるようになる。物資不足の中、下着も不足し、古くなった服を再加工したものも使われた。
戦後は、クーパーズ社を前身とするジョッキー社とヘインズ社が大手であったが、クルット・ピーボディー・カンパニー(Cluett, Peabody and Company)が、サンフォリゼーション(Sanforization)という生地を出荷前に洗い縮める技術の特許を取り、広く利用されるようになる。
コルセットはハチのように細い括れからワスピー(waspie)として再び広まる。胸の谷間を強調するストラップレスブラも使われるようになる。
日本に関して述べると、下着の大衆化はこのころにやっと始まる。ワコールの創業者塚本幸一は終戦直後、「これから女性は間違いなく洋装化する」と予測し、ブラジャーを中心に下着の生産販売を初めた。従業員10人からの創業だった。下着を着用する習慣そのものがない時代であったから、塚本は日本で初めて「下着ショー」を開催した。といっても実態は下着の付け方教室のようなもので、女性限定だったという。これを新聞各紙が取り上げ、下着を日本社会が認知していく端緒の1つとなった。
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