これは青森銀行の初代の本店、この他にも藩校が東奥義塾という学校になり、欧米から教員を受け入れ、洋式の住居も残っている。藩医の住居も残っていて萱屋根の家、私が生れた頃の家より規模が小さい。私の曽祖父は村医者だった、このようなところに私淑し修業をしたのだろうか。
子供の頃は親戚一同で昼に行く時はお重で宴会をし、夜桜の時は出店の食べ物を食べた。貧しいながらもそういうことが楽しかったし、従弟などとじゃれあうのも楽しかった。今、従弟と会うこともなくなった、音信さえない従弟、亡くなったり病気を患っている人もいる。自分は衰えたといえそれなりに仕事をし、釣りや畑仕事などに汗をかいている。幸せなことだと思う、こんな丈夫な身体に産んでくれたことを、両親に感謝している。
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事