創価学会は本当に正しいのか?

活動を続けるべきか?辞めるべきか?
30代半ばの男子部員は、ある結論を選びました

最終回/夏の終わり

2008年11月30日 | Weblog
みなさん、こんばんみ。
いよいよ最終回になりました。ラク~な気分で読んでいただければ。
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ある日の休日、日が沈みかけた夕方。
プロ野球スタジアムの外野スタンドで、私(ジョゼ)は、
ビールを飲みながら試合を観戦していました。
暑さも和らいだ夕暮れの外野スタンドは、気持ちのいい風が吹いていました。

ゲーム展開は、ひいきのチームが相手ピッチャーの速球に苦しんでいます。
それをぼんやり見ながら、私は別のことを考えていました。

“名前ミスったかな? 最後の記事は、どうすっかな”

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ブログの名前を考えた時、創価学会は本当に正しいのか?という名前にしました。
結構本気で、自分としては真剣に考えてつけたタイトルです。
今は、こう思っています。

“正しいとか、正しくないとか、そういうところが、いかにも俺は学会員だったな”

絶対的なモノなど、この世には無いと思ったほうが、人生楽しいだろうと思います。
インターネットで色んな人の色んな話を聞くうちに、いつのまにか、
そんな心境になったんよ\(^_\)


ブログをスタートした頃は、
アンチ系とかシンパ系とか、ブログのカテゴリーを決めずにスタートしました。
3日目くらいからコメントが入り出しました。学会員の人でした。

悩んでおられる様子でした。
私は、特に意識せず、コメントバックを投稿し、
その方は、記事を書くたびに感想を書き込んでくれました。

そこで私は、何の気なしに自分が読んで為になった話を、その方に伝えました。
創価学会を問題として扱う話です。その方から返事がきました。

「ジョゼさんは親不孝の裏切者です」

迂闊だったと思っています。
その方の聞きたい事は、創価学会の素晴らしさだったのかもしれません。
私には、ブログをはじめるための、ツメが足りなかったと思います。
他のブログの書き込みなどで読む時よりも、自分に直接言われると、落胆しました。

私は、自分とその方のコメント全てを削除し、ブログの一時休止を決め、
以降アンチサイトというスタイルで更新再開しました。

「親不幸の裏切者」

この文字を読んだ時。マウスを持つ手が震え、心臓がバクバクしました。
その方に反論する気力も無くなってしまいました。
自分は親不孝なんだろうか?創価学会を辞めたら親不孝なんだろうか?

私の父は、私が小学校の時に病気でなくなりました。
母は、私が社会人になり一人暮らしを始めるのと同時に再婚しました。
相手は創価学会の人でした。すごくまじめで、いい人でした。

二人は熱心に学会活動に励みました。
安定はしていても、決して裕福とは言えない生活にも関わらず、
地域の拠点にと、自宅を増改築し、ご近所の学会員の方々に使ってもらう。

最近は、地域のボランティアにも積極的に参加。
広宣流布のためというよりも、老後の趣味という感じです。

現在二人は、子供の私の目から見ても、幸せそうです。←ひいき目ありか。

そして二人の心の支えは、創価学会であると私は思います。
ブログを始めてある程度の期間が経過した今、あの時と同じように、
「親不孝の裏切者」と言われたら…。
自分はどうするだろうか?その時になってみないとわかりません。
自分でも何を書くかわかりませんが。なんとなく…。思う言葉は浮かびます。

私の親が私に望むことは、創価学会に属すことではないと思います。
私の親が私に望むことは、私が幸せになることだと、私は思います。

キマったか?(違


これを読んでるみなさんは、私の今後の身の振り方が気になることと思います。

創価学会の退会は、自分が今かな。っと思った時に、いずれ退会しようと思います。
年内の座談会と同時中継だけ、行くか行かないか、その都度、判断しようと思います。
自分的には、完全非活動へ向けて、着々と計画は進んでると思います。
あいかわらず男子部のAさんが訪ねてきますが、まー、大丈夫だと思います。

思いますばかり書いてると思います(←バカっす

ご本尊に関して…。
今思ってることは、一生保っておこう。と、考えています。
(学会とご本尊は別物と考えることにしとる。コイツ(私)は)
私は、もともと信仰心が無い人間だと感じています。
こんな私でも、ご本尊と縁したからには…。と、今は考えています。

ブログスタート時は、ご本尊を処分しようかどうか迷っていましたが、
ネット界隈での色んな書き込みを拝見するうちに、そういう結論に達しました。
これも私が、心の中ではこういう結論を望んでいたから。という気がします。

私の、ご本尊への対し方は、なんと言うのか書き方知らないのですが、
世間一般の方々が、家にある仏さんを大事にしておられるのと同じ感覚です。


20代の幽霊学会員の頃は、創価学会に熱心じゃない自分に罪悪感がありましたが、
30代になり、熱心に活動し非活動になった今、罪悪感はまったくありません。

私は、去年の秋から約7ヶ月間、創価学会の活動をして良かったと思います。
それがきっかけで、やがて夏になった時、顔も見えないネットの住人達の、
様々な考えに触れることで、時にショックを受けたり、時には悩んだり。

悩みを解決するために、自分のブログをスタートし、
自分の過去を振り返り、その時々の“気持ち”を書いていく。

たくさんの意見が寄せられ、その一つ一つが、私の思考の糧になりました、

“気持ち”を書くというのは、気恥ずかしい面もあるのですが、
みなさんの意見を聞くことで、
ここまで続けることができました。

今の私は、感謝の“気持ち”で一杯です。

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プロ野球スタジアムの外野スタンドで、
これまでの様々な出来事を思い出しながら、
試合は9回の表。贔屓チームの敗戦が濃厚です。

「あー。このままだと、負けるなー」

傍らでSさんが言いました。

数ヶ月前、私はSさんを創価学会に折伏しようとしました。
そして私の折伏をきっかけに、Sさんは…。
今ではすっかり創価ウオッチャーになってまっただよ(笑

Sさんは、私のブログを読んでいます。そして、いろんな事を言ってます。
今回は濃かったとか、前回はサラっとしてたとか、
デザインが今イチとか、誤植があったとか。
最近は、自分もブログをはじめようかなー。なんて言ってます。


あっさりと試合終了。
贔屓のチームは、負けてしまいました。
だけど、私はなんだか清々しい気持ちでいました。

勝ち負けなんて関係ない、自分が楽しめれば、それでいい。人生も同じかもよ。
池田のじーちゃんも言ってたじゃん、完全なる幸福とは、完全なる満足です。



ありがとう創価学会、そして…。さようなら創価学会。




注:個人を特定する記述は配慮した、それ以外の事柄は事実に基づいた主観を書いた。