創価学会は本当に正しいのか?

活動を続けるべきか?辞めるべきか?
30代半ばの男子部員は、ある結論を選びました

折伏戦4/囲み折伏に参加した!

2008年11月30日 | Weblog
みなさん、こんにちは。
GWも終わりましたが、いかがおすごしでしょうか?
創価学会員・男子部ジョゼの、
学会活動の体験を、自分なりの主観で綴る…。


Aさん(先輩のような立場)から
「ジョゼさん、折伏のやり方わからないだろうから、
 明日◯◯さん家(婦人部)で折伏やるから、見に来てください」

というわけで、折伏に参加することに。

◯折伏の相手・T君
Aさんと同じマンションに住む一人暮らしの会社員男性。25歳ぐらいかな、今時の若者。
以前Aさんが選挙活動のプレッシャーに耐えられず、
やむにやまれずマンション全室のドアピンポン攻撃(選挙違反と思われ)をした時に、
ただ一人話を聞いてくれた青年。
イメージ的には、ややオタク風。電車男/テレビ版の主役みたいな感じ。

◯壮年部・Gさん
今回の学会側の中心者(推定70才前後か)
元政治家の野中広務氏をカジュアルにした感じ。

◯婦人部長/みんなに人気あり。顔は似てないが柴田理恵風の喋り方

◯婦人部さん/きれいな人です。

◯男子部/Aさん(紹介者にあたりますが、ほとんど無言)

◯男子部/私(ジョゼ)

1対5で、はじまりました。

お茶とお菓子が出てきて。まずはみんなでビデオ鑑賞。
ビデオの内容:
若年の学会員15人くらいを集めた討論番組風。
司会は久本雅美とハウンドドッグの誰か
どの若者も、夢が実現した。学会の先輩が励ましてくれて、みたいな話。
あっ個人的に笑った所がありました。

ビデオの中の若者が、
「僕はこれこれこういう夢がありましたが、学会の人が絶対叶うって言ってくれて、
 それで入会しました。本当に叶いました」

みたいな事を言って。久本雅美が

「あーあたしも同じやねん。全然テレビに出てへん時に、学会の人に聞いてん。
 信心したら私はタレントとして食べていけるでしょうか?って聞いてんな。
 ほしたら、食べていける。って言うてくれてん。
 ま、私の時は、食べていけるって言うまでチョット間があいてんけどな(爆笑」

間があいたところが面白かったですけどね。まーその時はね。

とにかく学会は楽しい。いい先輩がたくさんいる。というような内容のビデオで、
30分くらいで終わったと思います。

で、折伏スタート。カーーーーン!!(ゴング 違

婦人部長「あの、どうでした?ビデオ」
Tくん「あー、こういう風にみんなで夢を語るとかはいいと思いますけどね」
婦人部長「あーそーでしょー。良いでしょ。久本さんもね…」

※このとき婦人部長の話をぶった切るように…

Gさん「君は、悩みかなんかあるのか?」
Tくん「いやー、ないです」
Gさん「じゃー、夢は?」
Tくん「それもないですね」※やや警戒しながら
Gさん「そうか」

ここから10分くらいGさんの独壇場の話が続きました。
内容的には、すべての宗教で日蓮が一番正しいという内容です。が、
仏法用語を連発してるのでTくん的にはさっぱりわからないようです。無言です。
他のメンバーも無言。婦人部長だけが柴田理恵っぽく激しくうなずいてました。
何十回も。

で、
Tくん「いやー僕そういうの興味ないんですよね。申し訳ないですけど」

※ここからが、すごい論法だと私は思ったのですが
Gさん
「そうか。まー一度実家の両親に創価学会に入ろうかなって言ってみな。
絶対反対されるから。創価学会の教えではだな、創価学会でがんばろうとすると、
その足を引っ張る魔が入るんだよ。絶対に反対されるから。
あと、もしかしたら君か君の親が急に病気になったりだな。事故に遭う。
もともとの宿業なんだな。だから一度、創価学会に入るって親に言ってみな。
絶対いろんな悪い事が起こるから。
もし起こったらわたしの言ってることが本当ということだ」

※うまく書けてないかもですが、
つまりGさんは、創価学会に入ると色々悪い事が起きる。
例えば反対するだろう親に不幸が起きるかもしれない。とにかく何かが起きる。
起きたらわたしの言ってる事は本当。もちろん、それを乗り越えたら功徳がある。
と言ってます。私的にはその時「Tくんはぶちキレたな」と思いました。

Tくん「いや、もういいですから」※怒った風
Gさん「まーよく考えることだな。
    でもな、君はいつか絶対創価学会に入る。間違いない」

※あっけなく終了ムードになったところで、

Aさん「あのー、これ入会希望カードなんですけどね。ここに名前と住所……」
Tくん「いや、いいですって(怒!」
Aさん「あっそうですか。それと聖教新聞なんですけどね。取ってくれない?」
Tくん「いや、そういうのは、もういいですから(怒×1000000」

※終了です。結局Tくんは今も入会していません。


創価学会の折伏は本当に正しいのか?

時間にして1時間程度。
ビデオを抜いたら20分くらいで話はあっという間に終わったと思います。

あきらかに本人が嫌がっているのに、
まるで話がうまく進んでるかのように、入会カード&聖教新聞まで頼む。
そんなお金のかかるような事をいきなり言って、余計入会する気がなくなるのでは。

Tくんが帰ったあと、私はみんなに聞いてみました。
いきなりの初対面で、むずかしい仏法の話を聞かせ、
まして君の親に悪い事が起こるかもと示唆する。
あんなに若い人相手に、そんな話してどうなんですかねー。というような質問。
以下、Gさん曰く

●T君に悩みがあれば入会を勧めやすいが、無いと言うのでああいう話にした
注:Tくんも人間なので、夢や悩みは必ずあると思われ。だから来たと思われ。
  相手が知らない他人だから言わなかっただけと思われ。
●相手がわかろうがわかるまいが、言っておかないといけないことは言っておく。
●若い人の場合は親の反対が後からあるので、特に強調したのだ。
●入会しても、すぐ辞める人が最近多い。彼を試す気持ちもあった。
●しかしながら、学会を理解していなくても入ってから理解してもいいのだから。
 入会希望カードも聖教新聞も頼んでよい。万一新聞とってくれたら儲け物だし。
●彼は絶対入会する。明日から彼の家のポストに聖教新聞を入れておけ。

ということでした。(口調は野中広務風です)
若い人を創価学会に勧誘するには、このやり方はうまい方法とは言えないと思います。

一方で、このやり方は創価学会の折伏のスタンダードな方法のひとつらしいです。
また後に私は、男子部を中心とした囲み折伏に参加しましたが、
この時は全然違うやり方でした。
アメ的というか。サクセスするゼ。みたいなノリです。
そのかわり深夜に5時間程囲んでいます。未遂に終わっています。

創価学会に入って活動すると
“魔”と呼ばれるいろんなトラブルが起きると言われています。
それをGさんはまず言ったと。ある意味正しいともいえます。えー正しいのか?
書いてるうちに、よくわからなくなってきました。

たぶん、折伏については、かなり色んなパターンみたいなのがあると思います。
ですので、今回の記事は、あくまでもジョゼが見た折伏ということで。
ん~~難しいですね~

皆様よろしくおねがいいたします。

折伏戦3/創価学会。男達の叫び!

2008年11月30日 | Weblog
みなさんこんばんは、昨日の予告と内容が違います。お詫びいたしますです。

折伏戦のある日、Aさん(創価先輩のような人)が言いました。

「ジョゼさん。ジョゼさんの折伏成功のために、出陣式も参加しましょう」

男子部には、毎週日曜日の朝8時から、会館で出陣式という会があります。
私はこの会のことを名前は知っていましたが、なぜか誘われなかったので、
自分から行ってませんでした。
おそらく私の仕事の時間帯を配慮してくれていたと思われ…。

が、ここへきて、折伏戦です。ジョゼさんも。ということだと思います。

日曜日の朝8時。
会館に到着し会場への階段を上がる時に、すでに大音量の題目の声が聞こえます。
100人くらいが入れる会場に40人くらい。一心に題目を挙げています。
かなりの迫力を感じます。眠気が覚めます。

8時5分頃
団長が立ち上がり(団長というのはギャグでもなんでもなく、役職名です)
団長の口調は、軍隊長を想像していただければ。

団長「おはようございます」
全員「おはようございます」
団長「はじめに、◯◯男子部長を中心に勤行を始めます」

この「始めます」の「始めま」ぐらいで。
グゥワワ~~ン。グゥワワ~~ン。と大幹部が鐘を叩いて、全員勤行を始めます。
通常の会合は鐘を軽く鳴らすんですけどね、この時は思いっきり叩いてました。
そして勤行が終わるかいなかのタイミングで、

団長「では学会歌、紅の歌。指揮希望者、前へ!」(軍人風)
数人「はい!!」※4人くらいが前へ出ます。
団長「数が少ない!!!!もう一度、指揮希望者、前へ!」
数人「はい!」※7人くらいが前へ出ます。

全員で手拍子&学会歌です。男子部なのでかなりの迫力です。
指揮者は前で激しく身体を揺らして指揮しています。学会歌が終わるかいなか。

団長「全員声が小さい!もう一度!!」

もう一度学会歌。皆、さらに声を張る。

団長「続いて決意表明。希望者、順番に前へ!」
部員「(前に出て選手宣誓調)
   はい!!えー、友人の!◯君を!。
   先週誘ったのですが!会えませんでした!!
   今日は!絶対誘って、今日中に!必ず決着つけます!!」

全員拍手、つづいて別の、

部員「今日1時に!友人の◯◯君に!ビデオを見てもらう約束ができました!!
  (全員拍手)今日は!何としても!。◯◯君!入決(入信の決意)させます!!」

全員拍手

こんな感じで、40人中30人くらいが決意表明(一人10秒くらいかな)していきます。
全員が今日(日曜)中に、入決もしくは結果を出す事を皆の前で誓いました。
続いて本部長5名程が、それぞれ決意表明&指導(一人1分くらいか)
続いて大幹部2名ほどが指導を行い、題目三唱。
本部単位に別れて指導。地区単位に別れて指導。です。

文章で、うまく表現できていないような気がします。軍隊みたいな感じです。
想像してる方、たぶん想像以上です。

日曜朝早いでしょ。
嘔吐(えず)きながら決意表明してる人もいます。
(本当よ、私の地区だけかもですが)

日曜の出陣式は本当に正しいのか?

この出陣式に私は、今年の1月半ばから5月頭まで、毎週日曜日。
欠かさず出席してました。
学会歌&決意表明は、歌わない。しゃべらない。でしたが。

これはこれで、結構根性いります。
あと、じゃなんで俺参加してるの?みたいにも思います。

また、学会歌&決意表明は役職者以外は、
しなくても幹部に何も言われません。
ただ本人が[逃げてるような気分を味わう]という感じです。

一方役職者で決意表明しない方に対しては、
容赦のない罵声(私の地区)が浴びせられます。
それでも表明しない方もおられます。(何か思い詰めてか?)
その場合はそれ以上は、幹部も責めないですが、
会場全体がキーーーーンとかなり張りつめたムードになります。(一触即発っぽく)

よく創価学会の活動は強制される。
という意見があるのですが、正確には完全強制ではないといえます。
ただ[弱虫]などのレッテル(男的にプライドが傷つく)をはられる傾向が強いです。

なぜ、そのように学会的にネガティブな行動をしたものに対して、
プレッシャーを与える傾向が強いかというと、私が思うに、

池田名誉会長の日頃の発言。

創価学会の組長、もとい、ドン、もとい、最高指導者の考え方が問題か?と感じます。

ゴーマンかましますが、
例えば8月7日日曜日付けの聖教新聞
『仏法は勝負である。所詮、勝つか負けるかのどちらかしかない』
『いざというときに動けない臆病者、戦えない意気地なしが、何人いても広宣流布は進まない』
『学会は強気でいけ_それが戸田先生の教えである』

とか、池田名誉会長の発言ではないですが、一面トップの大見出しが、
『正義の闘魂!男子部が新出発』と、まるで

い・の・き!ボンバイエ!! い・の・き!ボンバイエ!!状態です。

日曜日の朝、幹部達はこの記事を読み、出陣式に望む。
私は池田名誉会長を尊敬していませんが、上のような発言は、とりようでは、
信心関係なく、人生におけるポジティブな言葉で、かならずしも悪い言葉とは思わないですが。
戦闘的な言葉には違いないです。
それを実践しようとする現場では、やはり戦争っていうか軍隊みたいになってます。
軍隊が嫌な人にはつらい世界です。

それと、この出陣式とは別に同じ日曜日の夜、
報告会(一応は自由参加)のような会合があります。
つまり、朝に決意表明をして夜に結果を報告すると。

前の記事でも書きましたが、平日仕事が終わってから、
毎日2つか3つぐらいの会合に駆け足で参加して活動報告、
休日も朝から晩まで学会活動していると。
そしてそれを報告すると。

かなり、結果至上主義になってきます。
こんな生活をしてると段々世の中のことがわからなくなってくるんですよね。
これを読んでる男子部活動家の方はうなずいてると思うのですけど、

学会員同士はものすごい密度で毎日顔を会わせているが、なぜか世間話は出ない。
(でしょ?でしょ?特に男子部)

世間ずれというか、自分の現状?足元?それも見えなくなってる感じがするのです。


比喩的な表現だけども。

読んでいただき、ありがとうです。

折伏戦2/彼(幹部)が来た。

2008年11月30日 | Weblog
さて、全国的にGWでございます。
皆様におかれましては、いかがおすごしでしょうか?
さて、GWといえども創価学会です。創価学会問題です。折伏戦です。

ということで…
創価学会では毎年2月が[伝統の2月]という重要な月です。
かつて池田名誉会長を先頭に大・大・大折伏を行ったのが由縁です。
ある地域ではその1ヶ月だけで、

1万1千111世帯の折伏をしたそうです。

それ以上折伏できそうだったが、池田名誉会長が
「11111の語呂がいいのでもう折伏しないで」と言ったという
逸話がある月です。(それもどうかと思うが?)

私の地区でも、早速年明けから[伝統の2月]へ向けて
折伏戦がスタートしました。
普段からテンションの高い創価学会ですが、
その時期は更にテンションが上がります。
いつもはあまり男子部の会合に来ないような人も来たりします。

「自分も毎年毎年がんばるって言いながら、折伏できませんでしたけど、
 今年はなんとか折伏したいです」とか言います。もとい仰ります。

そんな感じで、かなり重要な月ということを私も感じていました。
小さな会合では幹部が折伏の重要性についてしゃべったりします。
重要性というか

「折伏したら相手も自分も幸せになれる。折伏が幸せへの一番早道だ」

という内容(私がこの耳で聞いたのは)でした。ただし、
数字目標とかは言ってなかったと思います。
それぞれ自分なりに。という感じです。

毎日夜10時にAさんの自宅に集まって、
今日は友人に学会の話ができたとかできなかったとか。
みんな言ってました。
私のカンですが、半分くらいのメンバーは実際は、
友人に電話とかしてない…。か、一度電話して、あとそのまま…。
みたいな印象です。

で、まったく折伏成果が上がらないまま(B君は別格。過去ログ参照)
あっというまに3週間くらい過ぎた時、部長が言いました。

「ちょっと全員、ここ(ホワイトボード)に折伏したい相手の名前を
 書いていこうか」

男子部員とはいえ、Aさんの狭いワンルームマンションの部屋に、
ごく普通にホワイトボードがあるという…
部屋がまるで営業戦略会議室というのも、かなり引くわけですが、
実際便利だったりします(ドヘー!

で、
部長「えーと、じゃあ◯◯君は、誰?」
◯◯「はい、□□さんです。学生時代の友人です」
部長「あっそう。えーと、△△君は?名前教えて」
△△「えっ!いや、あの、じゃー□□さんです」
部長「まー、書くだけ書くだけ。てか、やっぱ本気で折伏やろうよ。で、折伏できたら、これ1つづつ○で囲んでいこう」

学会員    折伏相手
◯◯  →  △△(友人)
△△  →  □□(知人)

みたいな感じで書いていきます。
企業の営業会議みたいなのを想像していただければ。
大体イメージできると思います。

で、そんな営業会議みたいな感じですが、皆さん名前を言うのです。
普段会合に来ないような人も言います。嫌々ながらもです。
嫌がる人には部長が

「まーいいからいいから、折伏できなくてもいいから、
 今はみんなと呼吸を合わして、名前を言いましょう」

「呼吸を合わして」っていう言葉もなんか嫌いなのですが。
学会員はこの言葉に弱いような気がします。
私も折伏したい人の名前を言いました。
言いたくなかったのですが、
私ひとりだけ言わないというわけにもいかず…。
これを呼んでる方々には伝わるでしょうか?言わざるをえない雰囲気…。
(後に私は、この時に名前を明かしたことを、かなり後悔します。)

結局その会合が終わってその日のうちに、
上の組織に把握されることとなりました。
誰が誰を折伏しようとしてるのか、そしてできそうなのか。
上層部は完全把握です。
たまたまその日に参加していなかったメンバーは翌日聞かれてました。
名簿が出来上がったという感じですね。

それからは、このホワイトボード(名簿)を中心に、
会合が進められました。

※部長。ホワイトボードを指しながら。
「この人、どう?今日は電話した?」
「◯◯君、この人は?今日会うって、君、昨日言ってたよね」

こういうやり方だと、当初の、各々自分のペースで折伏を。
みたいな雰囲気はなくなってきます。
会合は毎晩あるので、部員は会合で「今日は何もしませんでした」とは、
すごく言いにくいのです。「負けた」みたいな感覚です。
けどまあ皆、なんとかかんとか言ってごまかしたりします。

ただし基本的には折伏することはいいことだ。と思っています。
もとい思ってると思います。私といえば

「来週の会合に来てもらえるように、
 電話したんですけどつながりませんでした。
 今度また電話してみます」

このいいわけ一本で、何日間かは逃げ切りました。
電話をしないというのは、何か罪悪感めいたものがあるので、
相手の方が出ないと思われる時間帯を狙って(ヘタレ学会員)
電話してました。
そして相手の方が着信履歴を見て折り返し電話してきたときは、
私が居留守で逃げる作戦。(バカでしょ。でもかなり必死)
結局1月度は、私の地区では、ひとつも折伏成果は上がりませんでした。

そして、2月に入ったある日の男子部会合で、彼(幹部)が来ました。

いつものようにAさん宅でなんだかんだ会合してる時に、
黙って挨拶もせず、男の人が入ってきました。
大きい会合で前の方に座ってる人というぐらいは知ってましたが。

で、
メンバーの一人が喋っているのを遮って…。彼は静かに話し始めました。
以下、圏男子部長の話。
※圏男子部長とは、駅でいうと2駅分くらいの何百人という男子部を
束ねるドンみたいなもんです。大幹部には違いないです。

「あのーみんなね。ちょっと聞いて欲しいのね。
 昔ね、池田先生が1万1戦111世帯の折伏やった時ってね、
 ちょっやそっとじゃ…(超長くなるので略します)」

要は、圏男子部長曰く、昔の人は知り合いを折伏するとか、
そんな生易しい折伏で1万1戦111世帯達成できたはずがない。
道を歩いてる他人を捕まえてでも、無理矢理にでも折伏してたはず。
だから1万1戦111世帯達成できたんだ。とのこと。で、

「それに比べて君らは何だ!
 会合来たら、良い話が聞けるとかなんとかよ、
 信心の良い話が聞けるとかよ、
 なんか生易しいこと言ってるらしいが…

 いいか!お前らよく聞けよ!!!(急に怒鳴る)
 俺たちは何だ!?男子部だろ!
 男子部といえば池田先生の直系の弟子だろうが!!!
 弟子が師匠の期待に応えなくてどう言い訳するよ!!!

(長時間怒鳴ってましたがマンドクセーので省略、で結局)

 絶対地区3!絶対達成!絶対!」

つまり2月の記念日までに地区で3人を折伏せよ。という命令です。
私が見た感じ、彼の目は完全にイッテました。
あっ折伏は幸せのためだ。ということも少し言ってました。
この時私の心の中は

「このガキ、俺に挨拶もなしで何偉そうに抜かしとるか!」
(私もバカでしょ)

他のみんなは、このガキ(違 
圏男子部長を知ってたんですね。私は知らなかったと。
私は、私としては初対面の男が、挨拶もなしに急に入ってきて、
思いっきり激しく怒られるのは納得いかない面があります。
なので私は彼を睨みつけました。
ひとしきり怒鳴った後、彼はニコッと笑って私に言いました。

「ごめんね、急に入ってきて怒鳴って。私イッテる人みたいでしょ」

最後に彼は
「今日の聖教新聞のここんとこ、人間革命のとこ。
 みんなで読み合わせて、会合続けてください。頼むね」
と言って出ていってしまいました。


創価学会は本当に正しいのか?

私が思うに彼は部員を怒らせる作戦に出たようです。
男としてのプライドに訴えるみたいな。みんなかなり怒りましたし。
とにかく部員を怒らせてでも、どんな手をつかってでも折伏させて、
地区で3人折伏という数字結果が欲しかったのだと思います。
そして彼の作戦は見事に成功したといえます。

彼の乱入の翌日から、ガラっと男子部のムードが変わりました。
「クソッ、やってやらあ」みたいな感じです。
どうやらあの週に彼は、各地の小さな会合に乱入し、
激を飛ばしまくっていたと思われます。
私の地区だけではなく、
他の地区の部員の方々も目の色が変わってきました。
毎日の会合もAさんのところだけでなく
会館が使われるようになってきました。

通常学会で使用される文化会館は、夜10時頃を過ぎると使用できません。
たぶん全国的に同じだと思います。が、私の地区には、
公式の会館とは違う別の会館(詳細は書きません)があるのです。

つまり、夜9時とか10時にAさん宅で会合があり、
それと平行して会館にも駆けつけ、
たまに隣の地区で、やや大規模の会合が行われると。
その合間に、折伏してる他の部員のためにみんなで題目を挙げたり。
座談会の準備とか、そんなことを毎日やっていました。激しいです。

ある日の夜中、会合に疲れて帰宅。テレビをつけると、
ニューヨークヤンキース・松井選手のドキュメント番組が放送されていました。

ふと、思い出しました。
「確か、松井はスマトラ地震の時、5千万円寄付したんだったな〜」

創価学会も寄付しました。聖教新聞によると5百万円。(私の記憶)


今日はここで終わろうかなです。
次回は、私が本気で折伏する気になるとこまで書けたらな。です。

折伏戦1/恐れていたことが始まった。

2008年11月30日 | Weblog
このブログスタート依頼、
創価学会員としての自分の活動を回想しているわけですが、
実在する各方面への影響を多少は?少しは?
配慮しなければなんてことも思っているわけです。

が、
正直に書いたほうがいいような気がする(なんとなく、理由はないが)
ので、そういう感じでこれからも行きますので。
よろしくおねがいいたします。

で、今回からしばらくの間[折伏戦]というタイトルで、
何回かに分けて記事をアップしますね。
記事はこれから書くので何回になるかはわからないです。

ただ、私の学会活動体験としては一番濃いーーー時期ですので、
がんばって書いていこうって感じです。
どうしてこんな前置きをタラタラ書くのかというと、
私にとっての折伏戦の感想とは…。

私と創価学会員、一般の人問わず、ものすごく濃いー濃いー
かかわり合いであったなと。
これは折伏する相手との関わりだけでなく、むしろ、
折伏という自分にとっても相手にとっても大変重要な事をやる為に、
創価学会内部の、私も含めたあらゆる立場の、
たくさんの人達がたくさんの行動と言葉(私にとって)を発し、

集団でマインドコントロール(違

いや、みんなで闘った(これもおかしい

やってしまった過ち(ん〜

とにかく、たくさん人が登場しそうな予感なのだ(バカでしょ

なので、特定個人が知れるような表現は避けますが、
コアな部分は曲げずに書いていきたいと思ってますです。
なんというか、マスコミで書かれるような
創価学会絡みの大きな事件などと違う、もっと草の根的な、
普通の人(妄信とも言われるが?)同士のぶつかりあいの中で、
実は裏では組織が機能しており、でも事件という程のことではなく、
でも、リアルな現場でたくさんの人が、
真剣に創価学会の事を考え、翻弄される様を、

読んでる方々が感じてもらえたら…
みたいな事も思っています。そして何より、これを回想することで

私が救われるような気がします。(これがコイツの本音だね。

____________________
今日は少し書いておきます。

2004年秋頃から、呼ばれる会合はすべて出席していた私は、
「創価学会も色々問題あるけど、根本的には良い団体」と
考えるようになっていました。
いま考えると2つ理由があります。

私が嫌だと思う事が一切なかったから(甘! これがひとつ。

むしろ良い事ばかりです。
会合に参加すれば喜ばれ、試験に受かれば賞賛され、
餅つき大会も行われ。
新聞営業も、折伏も、選挙活動も、私に対する依頼はありませんでした。
不思議と財務(基金)の声すらかかりませんでした。
もうひとつの理由は、

「現役創価学会員の私は、創価学会のことを、
できれば良いと思っていたい」
というのがあります。

会合に参加しだすと、
創価学会に対して疑問を持つ度に、罪悪感があるのです。
疑問を持つ自分がおかしいんじゃねーか?
「下衆なかんぐりしたくねーな」みたいな感じか。

思えば、2004年の秋から冬にかけて、
私は創価学会の飴(アメ)の部分を経験したように思います。
そんな感じで、年は暮れ。


2005年。初の男子部会合にて。
幹部が言いました。

「伝統の2月へ向けて、いよいよ折伏戦のスタートです」

「折伏戦キターーー(゜A゜)ーーーー!!」と私は思いました。

創価学会は、全国的に毎年2月が折伏戦として、
新規勧誘の期間になります。

年末から、チラホラ聞いてはいたが。ついに来やがったか。
って感じです。
まずい、これだけはやりたくない。嫌だ。頼む、見逃してくれ。
折伏をやりたくない理由は…。

自信が無かったのです。
創価学会を人に勧める自信&確信。

その時の私の考えとしては、
信仰を人に勧めるということは、
創価学会信仰に絶対の確信がないと、勧めてはいけない。
信仰を勧めるなら相手の人生を半分背負うぐらいの思いが必要だ。
そんな考えです。
(今は少し違う考え方をしています)

私には創価学会信仰への絶対的な確信はありませんでした。

池田名誉会長を尊敬してるなんて人に言えません(尊敬してないから)
同時中継が為になるから行こう。なんて口が腐っても言えません。
(北◯鮮へのプチ旅行気分を味わいませんか?なら言えるが)

()書きが多いのに今気づいた。

ま、そんな私ですが…
やはりやっちゃうわけです。折伏。

そのあたりのことを、これから書いていきます。
よろしくおねがいします。

ある創価学会員。B君について。

2008年11月30日 | Weblog
創価学会員2世・男子部ジョゼの、
学会活動の体験を、自分なりの主観で綴る。

残る体験記は、およそあと20程度です。

今回は、私の地区の男子部員の事を書きます。
ほんとに末端の男子部員の話ですが、
ある時期の彼の人生の話でもあります。長文ですので疲れるかもです。


私(ジョゼ)が学会活動に熱心に参加しだしてしばらくたった時、
幹部から、「断ったら一生後悔するよ」と言われ、
ある役職を勧められました。
役職名は、鉄人会でした。

鉄人会とは創価学会男子部の色々な会
(創価班、牙城会、文化班、鉄人会)のうちのひとつです。
一番メジャーなのは創価班、牙城会だと思います。
主に会館の警備などをする姿をよく見かけると思います。
私が勧められた鉄人会は、主に会場の設営・撤去などをするグループ。

ある日「大事な話がある」と呼び出され、
男子部本部長、部長、Aさん(私の先輩のような人)に
「ジョゼさんも最近よくがんばってくれている。
これからは学会を下から支える立場になりませんか?」と言われました。
これから数年間鉄人会としてがんばって欲しいということです。
急な話だったので「しばらく考えさせてください」と言うと、
「2日後に締め切りなんです」とのこと、で、
「今、断ったら一生後悔する」ということでした。

私は何よりもその役職を受けることを自分の意思で決めたかったので、
考える時間がないというのは納得いかなかったので
「考える時間がないのなら、どういう役職か知りませんが、
お断りします。後々それで後悔することがあっても構いません」
と言い、お断りました。

今は、断った事を本当によかったと思っています。
鉄人会に入っていれば、普通の学会員より一歩踏み込んだ、
学会を支える一人としての役職が、
足かせとなり非活動になることは難しかったのでは?と思うからです。
そして後から知ったのですが、このメンバーになる条件として
[1年以内に一人の折伏]というのが前提でした。
誘われた時はそういう大事なことは教えてくれませんでした。
やはり断ってよかったと最近思います。


で、ここからが本題なのですが、私が鉄人会に誘われた時、
同じ場所にもう一人。男子部のB君(20才仮)という彼が、
創価班に誘われていました。

B君は地方から出てきて一人暮らしです。
B君にはある職業につきたいという夢があります。
そのために私の地域に近い専門学校に通えるよう、
実家を離れ一人で暮らしていました。
見事B君は夢の就職先に内定した頃でした。
内定時期と同時期に、同じ専門学校の友人を創価学会に折伏しています。
そしてB君は、創価班に誘われ、それを快諾しました。
手続き上は1年後に創価班ですが、1年後の創価班目指して、
B君は軍隊式の訓練のようなものを受ける事になりました。

以降、B君は豹変しました。
折伏と就職先を内定させたB君はますます創価学会の活動に
傾倒していきました。創価班の訓練といっても、その訓練の目的は、
要は折伏することです。
B君がもともと決めていた友人の折伏一人という結果は、
創価班以前のことなので、カウントされませんでした。

そしてB君は猛烈に折伏に走り回りました。毎日毎晩です。
私も含め地区の男子部全員が舌を巻く程でした。で、
私にも急に幹部から夜中「今、B君と本部長が友人を折伏しているので、
皆でその間、お題目を挙げましょう」という電話がよく入りました。
私もわけがわかりませんでしたがお題目を挙げました。
そんなことが一ヶ月半ぐらい、週に何回もありました。

すさまじいばかりの勢いで折伏をするB君は、
すぐに“地区期待のホープ”のような立場になっていました。
B君の活動報告を聞いた婦人部の人が、感動して泣いてるのを
私は見たことがあります。

B君は専門学校の知ってる学生に、片っ端から声をかけていたようです。
どういう風に声をかけているのか本人に聞きました。

「僕もよくわからないんで…
とにかく創価学会に入ったら幸せになれると言ってます。
あとは本部長に全部おまかせです」ということでした。

そしてB君は言ってました。
「専門学校も、もう卒業するし。声をかけるなら今のうちしかないかと。
それと、就職したらこの地区じゃなく就職先の下宿へ引っ越しますから」
ということでした。

“地区期待のホープ”のB君が引っ越してしまうという事で、
幹部達はあせっていましたが、私たち部員は、
「B君の夢が実現したのだから、良かったじゃん」と言っていました。
暖かく見送ってあげよう。という感じです。

で、数日後。

「B君が就職を取りやめたらしい」という連絡が入りました。
本部長が引っ越しを強引に引き止めたようです。
以下私が聞いた本部長の説得理由です。
「B君は今大事な時だ。今この地区を離れたら後々絶対後悔する。
今この地区での学会活動をやることが君のためだ。引っ越すな」

私が聞いたのはこれだけです。が、
実際は何時間も説得したのだと思います。
大まかな趣旨が上記のような感じということです。

で、B君曰く
「本部長に説得されて、自分も納得したので就職先を蹴りました。
これからしばらくは無職ですが、がんばります」とのこと。


創価学会は本当に正しいのか?

何人も何人も折伏したB君でしたが、
結局入会までこぎつけたのは一人でした。(創価班のノルマは達成です)
入会決意という話は何度も聞きましたが、
すべてドタキャンされたようです。ドタキャンと簡単に書きましたが、
具体的にどんな感じになるかというと、
B君の友人達は、B君を含めた数人の学会員に、
夜遅くまで入会を勧められ。その場で一旦は入会を承諾するそうです。
で、入会勤行会の日程を決めて後日連絡するのですが…。

二度とその電話に出てくれないそうです。もう二度とです。

また、入会勤行会のその場に本人が来ないという時もありました。
幹部から「今晩B君の友人の入会勤行会があるので、全員会館へ集合」
と。私たちも集まるのですが、肝心の本人が来ません。ドタキャンです。
「やっぱ創価学会入るのやめる」といった感じです。
その時も幹部が「これは魔だ。
創価学会に入ろうとすると必ず魔が現れる。お題目を挙げましょう」
となります。

B君は「本人が電話に出てくれないんですよ。ははは」と言ってました。
それを聞いた時、私は
「社会に出たら友達はできづらいよ。折伏も大事かもしれないけど、
友達なくしたらダメだよ」と言いました。
B君は「そうですね。ははは」と言っていました。


「創価学会に入ったら幸せになれるぞ」と、
片っ端から友人に声をかけまくり、それを地区の学会で賞賛され、
中にはその努力を聞き涙を流す学会員もいる。
本人は幹部に説得され、元の自分の夢を捨て学会活動により一層
のめり込む。

後日談ですが、折伏の戦いが一段落した頃、
B君は用事で実家に一週間程実家に帰省しました。
そして地区に戻ってきて幹部に言ったそうです。

「創価学会を退会したいです」

たった一週間、学会活動をしなかっただけで
創価学会の退会まで考えるB君。
B君曰く「ここでは色々考える時間もなかったです。
実家に帰って落ち着いて色々考えて、やっぱり創価学会を辞めようと思いました」とのこと。
で、例によって本部長に説得され、
あっさりB君はこれまで通りというか、これまで以上にタフな、
バリ活動家に戻りました。
彼は今、派遣社員として当初の夢と似たような職種で働いています。

良い言葉が見つからないのですが。

“すべてが過剰な感じ”がします。
「過激すぎないか?」と私は思うのです。

なにかこう、B君、その友人、色んな人の“人生”とか“つながり”
みたいなものが、いとも簡単に創価学会が絡んで、
コロコロコロコロ転がっているような感触をその時受けました。
これを思い出しながら書いてて、
なんとなくですが、口の中が苦いような、そんな感じがします。

創価学会の座談会

2008年11月30日 | Weblog
こんばんにゃ〜です。

さて、前回記事の内容で、創価学会という団体は、のめり込みたければいくらでも……
ということを書きました。

私が特にのめり込んだのが地区の座談会です。

教学試験勉強と草の根的な会合(同時中継除く)によって、いつのまにか、
まじめに学会の会合に参加(好きになっていった)するようになっていた私ですが、
自分の中で特に大事にしていたのが座談会です。その理由はこうです。

下町情緒みたいに思ったから。

不純ですか?仏道修行と関係ないですか?私的にはすごい大事でしたけど。
近所の子供から大人までが集まって、
ワイワイガヤガヤと会合(前向きな内容で)するというのは、
実家から離れて単身で暮らす私にとっては、すごく心温まる事のように思います。で、
それ自体は今でもいいと思っています。但し今は、

その仲の良い座談会の雰囲気や団結が、
“条件つきである”ということに気づいています。


創価学会が好き。
池田先生が好き。

この条件に賛同できないと、最終的には違和感を感じてしまうと、私は思っています。
上記がないと、だんだん噛み合わなくなってくるように感じます。
そこを考えずに参加することはできます。
そのことを本当は自分がどう思っているのか考えないようにする。
という風にすれば、まあ大丈夫かもしれないですが……。

で、創価学会に非があるかというと、私は無いと思います。
創価学会が好きじゃないなら、池田先生が好きじゃないなら。参加するな。
ということでいいと思います。

でも、何かの拍子に……、参加してしまうのが、創価であり……
そんなところが、プチカルト的な、なんとなくそんな感じでおじゃります。

麻薬みたいなもんなのでしょうか?気をつけたいところです。

創価学会に、のめり込みだす

2008年11月30日 | Weblog
ジョゼの創価学会男子部体験記の続きです。
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創価学会の教学3級試験が終わって一週間くらい過ぎた頃、
Aさんから電話で「合格でしたよ」と連絡を受けました。
私には達成感がありました。そして私は

「よし、もう終わりダ」と心の中で思いました。

何が終わりなのかはよくわかりませんが、自分的には
創価学会の活動をあれほど一生懸命やるのは「終わり」と考えました。

翌日Aさんから電話で
「急で申し訳ないですが、会合の場でジョゼさんに合格証を渡したいのです。
会合は今やってます。いっしょに行きませんか?」とのこと。
私は「合格証なんか貰えるのか」と思いました。

その時は、特に用事もなかったので、会合に行きました。みんなから拍手を受けました。
私も思わず笑みがこぼれます。うれしかったのです。
で結局、合格証は貰えませんでした。

幹部いわく「合格証渡すと言っていない、合格したと連絡したかったのです」とのこと、
よく憶えてませんがそんな返答だったと思います。

(事務&連絡処理能力の稚拙さは創価学会の特徴)

で、「せっかくなので何か一言しゃべってよ」ということでしたので、

「婦人部のばーちゃんが私のために3時間題目を挙げていた。正直困った。
でも合格しないといけないと思った。で、合格した。」という話をしました。
淡々と書きましたが結構身振り手振りで熱くしゃべっています。
(この話のことを便宜上[おばーちゃん話]とします)

みんな喜んでいました。これが功徳。とか私(ジョゼ)の顔に覇気が出てきた。などなど。
私も悪い気はしませんでした。で、
別の会合で合格証を渡す事になってるから例の[おばーちゃん話]をして欲しい。
ということでした。

その会合の時間。急な仕事が入りました。
合格証を貰うことより仕事の方が重要でしたので仕事を優先し、
会合へは終了直前に入りました。もう合格証のイベントは終わっていましたが、
みんなから盛大な拍手を受けました。会合が終わってから、婦人部の人が近づいてきて

「今日どうして来なかったの、みんなジョゼ君を楽しみに待ってたのよ」
と言われました。私は「あー悪いことしたな」と感じました。
それまでの私は、会合にただ参加するだけでよかったのですが、
その会合は一部の人にとっては[私がメイン]だったようです。
「ちゃんとしなきゃな」みたいな感じです。

それからしばらくの間、

私は立て続けにいろんな会合に呼ばれ[おばーちゃん話]を求められました。
みなさん喜んでくれているようでした。私も嬉しかったです。
[おばーちゃん話]は私の“持ちネタ”みたいになってきました。
そして私は、“会合へ参加するだけの自分”から、

“会合の中での自分の役割を自覚”するようになりました。

考えてみたら、試験の3週間程前から試験後1ヶ月ぐらい。
計50日くらいの間、私はなんだかんだ言いながら、誘われる勉強会。
誘われる会合にはすべて出席する。という状態になっていました。
いつのまにか会合のために極力仕事のスケジュールを調整するようになってもいました。

会合に行けば皆から褒められる。

という気持ちが強かったからだと思います。

その頃の私は、活動家かどうかわかりませんが。もはや、
“一番まじめに、全部の会合に参加する人”になっていました。季節は冬でした。

そして数日後、[地区の餅つき大会]がありました。(私の地区だけかもです)
「男子部は率先して餅をついてください」ということでした。
餅つきをしたのは生まれて初めてでした。

男子部の男達と、未来部の子供達が餅を付く。やり方は壮年部が教えてくれる。
つきあがった餅を婦人部の人々が細かく丸めたり。色んな味をつけたり。
出来上がったたくさんの餅を地区の学会員のご家庭に届ける。
すごく楽しいんですよ。


創価学会は本当に正しいのか?

創価学会体験記freeさんのブログにマインドコントロールについて触れた箇所があります。以下抜粋です。

マインドコントロール(MC)とは、
「ひとの考え方を自分に都合よく悪意をもって(かつ悪意をさとられずに)操作すること」
だと思います。人の心は大変繊細な側面があると思います。
その繊細さを利用して、特定の考え方からそれる道を封鎖しながら、
人の心を誘導していくことだと、思います。
そして、それによってコントロールしている人が利益を得るのです。

具体的には、例えば、時間をかけて考える猶予を与えない
コントロールする側に不都合な情報を制限する
アメ(安堵感)とムチ(恐怖)を使う などです。
(アメとはつまり、平穏に日々生活できるような環境であったり、
周囲の絶賛により得られる満足感だったりします。
ムチとは、その思想から離れると生じるなんらかの不利益であったり、
思想そのものに「この思想から離れると地獄におちる」といった内容を含んでいる場合です。)


私は、MCの定義などは、よくわかりません。
ですが私は、試験の合格。や、会合での賞賛。や餅つき大会。などを経るうちに、
いつのまにか学会活動をするようになっていました。
で、そのような、褒められる事や安堵感を得る環境だったりが、上に書いてるように、

「ひとの考え方を自分に都合よく悪意をもって(かつ悪意をさとられずに)操作すること」

によって、作為的に演出された事。と、そこまでは思えません。
地区のおじさんおばんさんがそんなMCをするとは思えないからです。

が!創価学会のいくつかの活動はMCなのかも知れないし、
そうじゃないかもしれないのです。

が!私が体験した上記の事柄は、私にとって、

[創価学会というところには思いっきり
ハマりやすいストーリーと快感]


があります。

試験の壁を乗り越える達成感はすばらしかった。
それを賞賛されると嬉しかった。
その事で「励まされた」とか「やる気になった」という人も現れてくる。
会合で話せば“賞賛される” し “人のためにもなる”みたいだ。
MCでいうところの、飴(アメ)と鞭(ムチ)ではないような気がしますが。
上記のような体験は、

少なくとも私にとっては“このうえない飴(アメ)”であったと思います。

矛盾しますが、あれが私にとっての飴(アメ)だった。
そして、誰かが、作為的に誘導したのかどうかは別として、
創価学会という団体には、

[のめり込みたいなら、いくらでものめり込めるコト が、満ちあふれている]

と言えます。
一言でくくりにくい。ややこしいカルトかも知れないです。



ダークな内容じゃの〜〜

ジョゼの創価学会男子部体験記。そろそろ佳境へ。

創価学会の試験(感想編)

2008年11月30日 | Weblog
みなさまいかがおすごしでしょうか?
前回の続きです。試験の話はこれで最後でおじゃります。

座談会のばーちゃんの一言がきっかけで、教学試験3日前から猛勉強をした私は、
一応合格することができたわけですが、ここで、
試験勉強期間中に感じたことや「ん?」と思ったことを書いておきたいのです。
文章をつなげるのが辛いので、研修レポートみたいになりますが、
箇条書きでよろしくです。文字が固まりになってて辛いかも。です。


【男子部は、良いヤツだった】
試験勉強をきっかけに、初めて男子部の拠点(Aさんの家)に行ったのですが、
そこに集まる部員さんは、以外に良いヤツでした。というか。
普通のヤツらと言った方が適切かな?それと私は、自分が学会活動していないことに、
少し引け目のようなものを感じていましたが、直に皆と一緒に勉強するようになって、
変な話ですが、以外と活動家と言われる人達も、話せば普通の人が多い。
そういう意味で、変な劣等感を持たずにすんなりとけ込めた。と言えます。


【仏法は学問だった】
バカ発言を書きます。
試験勉強=御書の勉強なわけですが、その御書というのが、
すごい話とかが出てくるわけですよね。
例えば「この教えは永遠なのだ、どれぐらい永遠かというと、
インドのガンジス川が何百と続いても、まだまだ足りないくらいだ」とか
「目に見える星×1万倍よりすごい」みたいなことを、釈迦も日蓮も言ってるわけです。
で、私はそれを、なんとなく信じてきたのです。
宗教の神秘みたいな感じです(バカでしょ
で、Aさんが「これって全部、おとぎ話ですから。ハッタリです」とのこと。要するに
[仏法は、神秘的な力を発するような、おどろおどろしいものじゃなく、学問なんだ]と。
で、特に日蓮の時代は、ライバルがたくさんいたんだと。
だから、みんながみんな、信者を引きつける為に、大げさなたとえ話をして競争していたと。
これは私にとってはかなり気分が楽になる出来事でした。その時まで私は、

創価学会を辞めたら地獄に堕ちるのではないかと、本気で思っていましたから。


【罰なんて当たらないのダ】
上の話とだぶるのですが、勉強の結果。試験問題とは無関係なのですが、
自分の一番好きな御書を発見しました。

「教主釈尊の出世の本懐は 人の振舞にて候けるぞ」

日蓮大聖人が言った言葉です。
意味は、『釈尊も言ってますよ。仏法の真髄は「人の振る舞い」にこそあるのだと。
どんなに立派なことを説いても、生活が乱れ、常識から外れた行動であれば、
世間の信頼を失い、かえって法を下げてしまう。
だから、人間としての生き方を離れてはいけない。』で、
これは大百蓮華(創価学会)の解説です。
で、私はこの解説を読んで、御書に書いてること以上に解釈が付け足されている。と感じます。
余分な部分とは後半部分です。で、私は、この御書を、ほぼ原文通り、

原文「教主釈尊の出世の本懐は 人の振舞にて候けるぞ」
解説「釈尊も言ってますよ。仏法の真髄は「人の振る舞い」にこそあるのだと。」

と解釈しました。で、この言葉を私が好きな理由は、
「要は、努力至上なんじゃん」ということです。
学会員がよく言うような「ご本尊に護られる」「ご本尊が夢を叶えてくれる」
ということは実際にはなくて、夢を叶えるのは自分の力で実社会で叶える。
すべて現実社会の行動いかんである。と、それが仏法の真髄なんだと。
で、叶ったときに「ご本尊のおかげ」という風に考えましょう。そんな学問であると。
だったら元々罰なんてあたらないじゃん。
「そんなの当たり前じゃん。」と、多くの学会員の方は思っているかもしれないのですが、
私にとっては、その時までなにかあやふやだったのです。
それに今でも聖教新聞紙上では頻繁に、罰があたる。とか無間地獄へ落ちる。
ということを示唆するような話が出てるわけですから。
見出しだけ見てるような人間には、恐い、不気味という印象ばかり持つと思います。


【合格者数は、毎回適当に決めるのダ】
これも試験勉強中に幹部に聞いたのですが、3級教学試験は、
何点取ったら合格ということではなく、毎回あらかじめ「およそ何人合格者を出すか、
あらかじめ本部で決めている」ということです。「なんだそら?」と思いました。
「それで試験と言えるのか?」幹部いわく、「勉強すること自体に意義がある」
「こうでもしないと、みんな御書の勉強しない」そうです。何か釈然としません。
御書の勉強は何年か毎の試験で集中的に、という体制。
私の地区の学会活動には御書の勉強というカテゴリーは、はっきり言ってほんの一握りです。
月に15分くらいでしょうか。あとはすべて選挙、折伏、新聞営業です。
やはり何か釈然としません。


【試験問題に、日顕宗の批判を書く欄】
教学3級試験は、B4用紙の裏表にびっしり問題が書いてるのですが、
その最後の問題が[日顕を破折せよ]です。
(試験問題範囲と模試で、どんな問題が出るかあらかじめわかるのです)

これは、仏法上の解釈を用いて、要は日顕宗を糾弾しろ!してみろ!という問題です。
で、幹部が言ってました。「この問題は、特にがんばって書いて下さい。
幹部の受けが良くなると思うんで。要は、悪口悪口。」です。
こういうのを問題に出されると気が滅入ります。何か、踏み絵を踏まされてるような感じです。
本当にいやな感じです。マインドコントロールじゃないのこれ?と、私などは思うわけです。



以上が、私が受けた教学3級試験の話の全部です。
ヘタレ学会員の自己を顧みる文章ですが、読んでくださってありがとうございます。

創価学会の試験(後編)

2008年11月30日 | Weblog
前編につづき後編です。

創価学会の3級教学試験の出題範囲は、
大白蓮華(私は持っていない)に掲載されています。
大白蓮華というのは、学会の機関誌で、サイズが変形A版。
雑誌週刊誌の少し横長版です。
で、その内60ページ程が試験の出題範囲(ほとんど御書&解説)です。

60ページ!!これってかなり大変でつ!!

「こんなの憶えられるか!」と直感。
難しい漢字も多い。が、
「御書を学んでみよう」というのが私の受験動機でもありましたので、
次回の勉強会までに、聖教新聞のおばさんの家まで大白蓮華を買いに行きました。

思えば、学会で“私が自主的に動いた初めての事”が、大白蓮華を買う事でした。

話は少しそれますが、
コイツ(私)は、つくづく感覚で動くヤツだなと。
学会について、裁判、宗門問題、男子部のイッてる組織。ていうか、
狂ってるとしか思えないムードに対し“違和感”を感じていても、
座談会や地域学会員とのふれあいにも“共感”していた私は、
[座談会は良いんだ]と[御書の勉強ができるんだ]という事が、
[学会の問題点]を、頭の中から忘れさせ、積極的に身体が動きました。
あと、誰でもそうだと思うのですが、自分で決めたら、とりあえずは動きますよね。

でも、肝心の頭は全然動いてくれませんでした(バカでしょ

大白蓮華を手に入れたものの、仏法用語の意味がさっぱりわかりません。
私からすれば60ページ中40ページぐらいが、“わけわかめ”な状態でした。

「なんだかなー、だめじゃん、オレ」

そんな風にして勉強会に参加していたのですが、
実は、そんなわけわかめな人が、私以外にもかなりたくさんいたようです。
危機感を持った男子部幹部が、

「試験前の平日。この勉強会と別個で、小規模の勉強会を毎日行います」と言いました。

私の地区では、Aさんの家で毎晩9時から4~5人で勉強することになりました。
男子部の家に行く。というのが嫌な感じだったのですが、とりあえず行きました。
やはり「行けば御書の勉強になる」と思っていたからです。

しかし、それでも頭は全然動いてくれませんでした。

「まずいな~」と思っていました。試験は、土曜だったと思います。
その前の月曜火曜の勉強が不調だったので「このままじゃ、落ちるな」と思っていました。
で、水曜日の夜7時から、その月の座談会がありました。
その場で、私には試験についてのコメントを求められるわけです。
私は、勉強がはかどっていないにもかかわらず、無理をして言いました。

「思ったより難しそうですが、やはり受けるからには受かりたいです。がんばります」

そして、他の方々も次々に近況報告などでコメントをするわけですが、
その時、ひとりの老婦人が言いました。

「えー私はこの地区の受験メンバーが全員合格するように
ご本尊の前にメンバーの名前を書いて、
毎日3時間お題目を挙げています。
ジョゼ君がんばってね」


「毎日3時間お題目を挙げています」…。毎日3時間…。毎日…。3時間…。
マジか???

衝撃でした。
正直不思議な感じがしました。「何故?」と、思いました。
私にとっては、その人の名前も知らなければ、挨拶を交わしたこともない人です。

「なのに何故?こんな関係ないバカのために、どうしてよ?」と思いました。

毎日3時間題目を挙げるというのは、感覚的にどんな感じかと言いますと、
仕事を持ってる人であれば、家に帰って食事と風呂以外の全部の時間。ぐらいの感覚です。
感動なんて全くしませんでした。
正直に書きますが、逆に「迷惑だ」と思いました。
「何もオレなんかのためによ?どーしてよ?ばーちゃんよ?」と思いました。
同時にこうも考えます。

「しかたない。何がなんでも絶対受かってやる。もう受かるしかないじゃん!」と。

人間なんてこんなものですよね。解ってもらえますかね。どうかな。(変かな?

その水曜日の晩からの3日間。私は文字通り狂ったように勉強しだします。
方法は[とにかく暗記する]です。
何回も何回も、徹底的に大白蓮華を読み、赤線を入れ、ノートに書き出し、
わからない所は幹部に聞き、家に帰ってからも、ノートに書き出しながら丸暗記、
声に出して復唱しました。ラスト2日間は、ほぼ徹夜(睡眠2時間)でした。

試験当日の朝。

私は満足感で一杯でした。「もっと勉強すればよかった」なんて思いません。
何の悔いもありません。
むしろ「たぶん勉強したことを普通に書けば、合格するだろうな、フッ」
というぐらいの自信を付けていました。で、試験は合格でした。
私の地区男子部は、10人程受験したのですが、合格者は私を含め3人だけでした。
幹部はがっかりしていました。

あー。長文になってきました。
実は、教学試験を通じて私なりに色々思う事があったのです。それを書きたいのですが、
ここで後編としては一旦終わりにして、感想編というタイトルにでもして次回アップします。
作文みたくなってきました。読んでいただいてありがとうございます。

創価学会の試験(前編)

2008年11月30日 | Weblog
さて、今日は、創価学会の教学試験を受けた時のことを書きます。
たぶん長文になるので、前編と後編に分けマスカラス。

地区の会合参加をきっかけに、
地元の婦人部壮年部の人達に好感を抱いた私はその後、
地区座談会にも参加するようになりました。

ちなみに座談会の話は今回スルーしたいと思います。
またの機会に書きます。
座談会について簡単に申し上げると、歌あり笑いあり、
体験発表あり、御書の勉強あり、アットホームな良い会合。
とでもしておきます。

この時期の私の心境としては
「男子部会合は狂っとる。座談会はいいな。
同時中継よりよっぽど信仰っていう感じがするゼ。
出席したら地区のじいちゃんばあちゃんも喜んでくれるしな」
みたいな感じです。コミュニティって感じですよね。

でですね、座談会に2・3回参加したぐらいに、
Aさんが珍しく私の自宅に訪問してきました。
(相変わらずアポなし、深夜ですが)

A「教学3級試験を受けませんか」
私「いや、いいです」

「ま、そんな深く考えずに、調べたんですけどね、ジョゼさんは、
  10代の頃に任用試験(3級の手前レベル)に受かってるんですよ。」

「は?任用試験?10代に受かってる?」

…そんな事すっかり忘れてました。

「そ、受かってます。ま、大丈夫ですよ。3級は基本的レベルだし、
受けるだけで受かりますよ。みんな受けますから」
「いやー、でもなー」
「ま、申し込み用紙預けとくんで、考えておいてください。
今回受けなかったら、
たぶんあと3年ぐらいチャンスは無いんで」


創価学会には数年に一度、教学試験というのがあります。

主に日蓮大聖人の御書の理解度をはかるのが目的というか、
御書教学を、任用(初級)、3級、2級と、ランク付けするわけです。
(細かい階級と内容はわかりません)
試験を受けるための費用は0円です。
私が勧められてる3級は、いたって普通レベルです。
ただし、この階級が、創価学会の役職に関係するかというと、
現場レベルではほとんど関係しません。
任用レベルの人でも地区本部長など、
数百人の部員さんを見る立場を任されます。
2級レベルでもまったく役職に付いていない方もいらっしゃいます。

御書教学といっても、子供の頃は勉強していましたが、
もうすっかり忘れていました。
任用試験にパスしていることすら忘れてました。

この頃は座談会に2・3回参加したぐらいで、
御書の勉強といっても、座談会の時に短い御書の一節を、
みんなで読んで幹部の講義を聞くぐらいです。

まったく自信ありません。考え込んでしまいました
「困ったなー」と思いました。
「今回断ったらあと3年はないのか。どうすっかなー」みたいな。

そのまま何日かほったらかしていたのですが、
実家の母(バリ会員)に電話してみました。

バリ母「受けろ!」

母いわく、結果は関係ない。受ける事に意義がある。とのこと。
あと「男子部の人に言われたことは、断るな」とも言ってました。

それと、このブログで始めて書きますが私には、
子供の頃からの創価学会の親友がいます。
彼も私と同じようなプロフィールで、
社会人になるのと同時に現在にいたるまでほとんど非活動です。
幽霊創価学会員です。彼とは3ヶ月か半年に一度会っていますが、
創価学会についての話はあまりしません。

たまに「最近学会やってるか?」
「ん?やってないよ、でもこないだの選挙は公明党に入れた。
幹部が家に来てうるさいからな」とかです。
あと彼は突然「今晩泊めてくれ」と、
急に私の家に押し掛けてくるときがあります。
「今日あたり、男子部が来るからよ。しつこいから逃げてきた」
「あー、いいよ」みたいな感じですかね。

彼に聞いてみました。

彼「オレ今、3級」
私「!!!!!」


彼いわく。20代に受けた、一度落ちたが2回目に受かった。とのこと。
幽霊学会員のお前でも、受かってるのか?

彼「お前、あの頃仕事一筋だったじゃん。あったよ、試験。
めちゃむずかしいゾ。」



私は3級教学試験を受けることにしました。
その時点で考えていた事は、

1:ほとんど活動していない友人が3級なら、オレも3級欲しいかな。
2:Aさんは簡単と言っていたが、それなりに難しそうだ。
3:ま、落ちてもいいから、この機会に御書の勉強をやってみるか。

とりわけ3の思いが強かったです。(ホントだど

試験の15日程前に、Aさんがやってきました。

私「試験受けます」
A「ぉおー。じゃ、会館で週2日、男子部だけで勉強会やってるんで、
  1回目はもう終わったんですけどね。次から出てくださいよ」

Aさんよ!受けるだけで受かるって言ってたじゃん。
とか少し思いましたが、
それなりに難しい試験ということは友人から
情報を仕入れていましたので、まー納得しました。

“男子部だけで勉強会”というのが、いやな予感でしたが、
御書の勉強なら聞きたいな。と思ったので、
筆記用具を持って行きました。
会館には男子部が20〜30人程いました。
講義をする幹部が言いました。

幹部「じゃ、今日は前回の続きです。
大白蓮華(学会機関誌)の◯◯ページ開けて」
私 「!!!!!!!!!!!!!!!!」

大白蓮華なんてもう10何年読んでないヨ!(バカ学会員


次回は、教学試験-後編(怒濤の勉強→結果)です。

創価学会、地区会合でのこと。

2008年11月30日 | Weblog
みなさま、こんばんは。
元気でづがーーーーー!!!byアントニオ猪木
前回の続きでつ。

10代・親に言われて学会活動、20代幽霊学会員だった私は、
やがて30代になり創価学会の同時中継に参加するようになりました。
同時中継に誘ってくるのはいつもAさん(男子部)です。

ある日Aさんが言いました。
「同時中継とは違いますが、大きい会合があるので行きましょう」
私「あの、例のデカイ声を出す会ですか?」
Aさん「違います。」

ちなみにこのAさんという人は会合に誘ってくる際に、いつも、
どういう内容のなんていう名前の会合なのかということを
内緒にして誘ってきます。
内容を聞くと「はー」とか「まー」といった感じです。
そして「とにかく大事な会合です」と言います。

連れて行かれた先は知らないお宅(民家)でした。
「ざ、座談会か?」と思いましたが違いました。
勤行も御書講義もありませんでしたので。
地区の記念日かなんかだったと思います。
会の名前は知りません。

知らないお宅の玄関は靴で溢れ返っていました。
6畳ほどの部屋2間を開け放った場所に、約20人弱いたと思います。
ぎゅうぎゅう詰めです。
おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、
若い主婦の方、子供、赤ちゃんがいました。
男子部とおぼしい人間は私とAさんだけ。
女子部はいなかったと思います。

私は一番後ろに座りました。
すぐに横のおばさん(婦人部)が「あぐらでいいよ」と
声を書けてくれました。
会が始まりました。司会はAさんです。
まずはこの会合のために地区の未来部の子供たちが書いた絵の発表。
みなさん「わー、うまい」「がんばったねー」。
続いてみんなで学会歌。その際、歌詞カードを配りはじめました。
一番後ろにいた私の分が足りませんでした。

その時少し驚きました。

まわりのおばさん達が
「◯◯君(私の名前)の歌詞カードが足りませーん」
前の方のおばさんが「あっ◯◯君、来てくれたのね」
などと声をかけられたからです。

名前を知られていた…。少し驚きました。

皆で手拍子しながらの学会歌に続いて男子部コーナー、
Aさんが何か話していました。内容は忘れました。
続いて婦人部の発表。これも内容忘れました。

そして体験発表。婦人部の方が話し始めました。
内容を細かく書くのは気が引けるのでやめておきます。
人生の苦難の話です。
この方の場合、よく言われる功徳によって解決。
という事ではなく「ご本尊根本に乗り切る決意で一杯です」と、
明るく仰っていました。
続いてゲーム大会。
クイズやビンゴゲームで勝ったら
いろんな商品(紙包み)が貰えるという。
結局全員なにがしかの商品を貰ったようです。

僕も貰いました。家に帰って包みを開けてみたら
パンティストッキングが入ってますた(笑)

ゲーム大会で終了です。
何かしゃべらされるのでは?とか恐れていましたが。
特に何もありませんでした。

淡々と書きましたが、かなりの盛り上がりでした。
私はこの会合を「いい会合だな」と感じました。


翌朝、近所を歩いているとどこかで見たような気がする女性が、
笑顔で「こんにちは」と挨拶してくれました。思い出しました。
会合にいた人でした。
次の日曜日、また別の婦人部の方が笑顔で挨拶してくれます。

私にとっては不思議でもあり、気恥ずかしい感じもあり。です。
挨拶をされたら私も挨拶を交わします。
故郷を離れて一人暮らしの私にとって近所付き合いなどは、
それまで皆無でした。
友人と会ったりしますが近所ではありません。

よくはわかりませんが、
故郷と別の場所に一人で暮らしてる多くの人は、
近所付き合いとかはあまりないのではないか?と思います。
私はご近所の創価学会婦人部の人達に好感を持ちました。

それから、
私は近所で創価学会の人を見かけると
自分から挨拶をするようになりました。

創価学会の人って、いい人たちだなー。

以降、私は、月に一度の座談会に呼ばれると、
参加するようになっていきました。

次回へ続きますジョゼ

創価学会を退会するかしないか。

2008年11月30日 | Weblog
みなさんこんにちは、こんばんは。
前回は、男子部員6人程に囲まれて「不幸」とか「地獄」みたいな言葉を言われた私が、
ブチ切れて「では退会します」ということになった件までを書きました。
ところが、私はそのまま創価学会を退会しませんでした。
今日は、それを考えてみよう。です。

男子部員に、人格否定的な事を言われて完全にブチ切れた私は、
自宅に帰って考え込んでいました。

「こんな事が原因で退会ってか?」
「今、辞めたら中途半端では?」
「親・兄弟・親戚全員が悲しむか?」
「罰があたるのではないか?」
(今見たら、はじめから、「辞めない!」という方向性で考えとる。)

そんなような事を、グルグルウダウダ考えていたと思います。で、
一番強く思っていたのが、「とにかく、今は辞めたくねーな。」という気持ちです。

色々聞いたわけではないので、他人のことはわからないのですが、
学会員の方は、みなさん滅多なことでは「退会する」という言葉は、
冗談でも言わないのでは?という気がします。
禁句って感じですかね。

私も生まれてからその時まで、創価学会に疑問は感じていても
「退会したい」と考えたことはありませんでした。
なぜ、退会を考えなかったのか?ということを、ちょっと整理してみるマスカラス。

私は何かを信じてたのか?と考えると。
[子供の頃、未来部の頃に学んだ、日蓮大聖人の教え]

自分は、日蓮大聖人の教えを学んだ。
学んだというか、学ばされたというか、罰があたると思っていたというか。
そんな感じです。本気で学ぼうとしていないので、教えを極めるなどということはない。
もともと極めるようなものでもないような気もしますが。

それからは?
社会人になってからは全〜部辞めた、
なにしろ高校時代は「早く家を出て、勤行なんか辞めてやる」と思ってた。

つまり、18才ぐらいまでは、日蓮大聖人の教えを学んでいたと。
で、苦痛に感じていたと。苦痛に感じていたから自分の望み通り、
社会人になるのと同時に全部辞めたと。
あと仕事があまりにも忙し過ぎたというのもある。

[仕事が忙しい]というのは、当時の自分を納得させるに充分な理由になっていた。
[自分で働いてメシを食う]というのが、社会に出たばかりの自分の最優先だったのだ。

当時の私には、仕事とか、人生とかを、
信仰と結びつけて考えるということは無かった。

ぶっちゃけ、こうやって書いてるといかに自分が
「信仰心の薄い人間」であったか
ということが、大変よくわかりマスカラス←多用してみた。

で、こんなに信仰心が薄いにも関わらず社会に出てすぐに退会しなかったかというと、
それでも「ご本尊を尊ぶ気持ちが少なからずあった」と。
ご本尊を尊ぶ気持ちがあるので退会はしない。
活動は忙しくてできない。という感じでしょうか。で、心の中はどうかというと、

[罪悪感を感じている]でした。

「勤行やってない自分はダメなんじゃないか?」
「学会活動やってない自分はダメなんじゃないか?」

(ここまで書いて読み直して、読み手の方々はかなり読みにくいか。と思いましたが…)

まとめてみる。
20代の幽霊学会員時代の自分は、日蓮大聖人の教えを理解していたかというと、あまり
[理解していなかった]と思います。で、なぜ、信仰しなくなったかというと、たぶん
[面倒くさかったから信仰していなかった]で、どういう気持ちかというと、
[信仰していない罪悪感が、あった]なぜ、罪悪感があるのかというと
[それでもご本尊を信じてたから]だと思います。そして
[信じる心がある限り、退会なんて考えない]だと思います。

“ご本尊は信じてる。けど面倒くさい。
でも罪悪感はある。そもそも退会は頭にない”

あー、これが20代の頃のコイツ(私)の本音だわ。



20代の頃の考えを、かなり詳細に思い出してる私です。
でも、こういう人、結構いるんじゃないかな。特に2世とか。
少なくとも私という人間は[もともと信仰心の薄い人間?]という感じですか。

後に、[宗門問題や選挙活動などの組織活動]を、疑いだしますが、
疑いだす前から幽霊会員だったわけで。
疑いだしたのも、聖教新聞、週刊誌などの間接的な情報からで、
実体験としては疑問を感じてなかったと。

30代になり、チョー久しぶりに会合に参加して違和感は感じるものの、
それまで嫌な思いはしてないわけで。
初対面の男子部員につまらん暴言を吐かれた時に始めて嫌な思いをしたわけで、
で、それで退会にいたるかというと、それでも至らないというのは
こうやって書き出してみるとよくわかる。

“男子部員にバカを言われることに比べ、ご本尊を信じる気持ちの方がはるかに重い”

こんなヘタレ信者の私でもこう考えると。加えて、

“宗門問題や選挙活動などの組織活動は、やっていないのでわからない”

こんな心境ですかね。

というわけで、男子部員にバカな事を言われても、私は創価学会を退会せず。
ふたたび、同時中継だけに参加するようになりました。
(で、いつもうんざりするような気分になると)

次回は、こんなヘタレ信者のジョゼが、近所の婦人部の奥さん達の、
婦人部パワーに引き込まれ……

そんな感じでいきマスカラス←なぜか気に入った。

幹部に暴言を吐かれる!

2008年11月30日 | Weblog
[前置きです]
さて、
今日は、私が創価学会の会合(同時中継数回、男子部ニューパワー総会1回)に参加したことで、
感じた疑問をAさん(私を学会に誘う熱心な男子部)に、聞いてみた時の話を書きます。
ですが、今回の記事は若干ディテールが曖昧なまま書く記事です。
これまでの、このブログの記事は自分で言うのもあれなんですが

[出来事は全部事実、感想は私の主観]でした。

今回もそれに間違いは無いのですが、細かな詳細が思い出せないんだな、これが。
理由はたぶん…。激しい感情のやりとりがあったからか?ですので、
雑把な印象を持つかもです。では書きます。


[疑問をぶつける]
それまで同時中継に関しての私の感想は、
「まーためになるとは思えんが、悪いものという程ではないから、行こうかな。
オレも学会員だもんな。しょーがないか。
学会員じゃなかったら、はじめから、こんなもん行かんが。」です。

しかし、男子部ニューパワー総会に関しては

「これはいかん!ヤバい、ヤバすぎる。
戦争前夜みたいな世界じゃん。二度と行ってはいけない」
です。

この感想は、会合に誘ってくれたAさんには伝えていました。

それから数日後、Aさんから「食事でもしましょう」との連絡。
私的にはグッドタイミングでの誘いでした。
「このまま、釈然としないまま会合に参加するのも何だし、
ワリカンでメシでも食いながら、酒でも飲みながら、このタイミングで色々聞いてみるか」

てな感じです。
で、当日Aさんと待ち会わせ、例によってAさんは待ち合わせに少し遅れて現れ、

「食事に行く前に、ほかの男子部のメンバーを紹介しますよ」と言われ、
知らないお宅に連れて行かれました。
(Aさんも私も、知らないお宅も、同じ地区なので歩いて5分程度で行けます)

ちょっとおあずけ。話が違うじゃん。
みたいな印象を受けたのと、紹介されるのがなんとなく嫌だ。
と思いましたが、断る理由はなかったのでついて行きました。

知らないお宅には、男子部が6人程いました。
なかには、以前私を会合に誘おうとしていた人もいました。が、あとは全員初めて見る顔です。

ここまで読んで、学会に詳しい全国の創価学会と世間一般の皆様は、
なんとなくお察しだと思います。
あー今日は書くのが辛いな、なんか疲れるな。

(じゃー書くなよ!)
みたいな感じですが、まー書いておこうか。です。


話を続けます。
男子部のみなさんは、私が「ニューパワー総会」に対してかなりドン引きしているのを、
ご存知だったようです。で、それを「そーじゃないんだ」と、私に納得、
同意をして貰いたいと考えていたようです。
(大人数で居酒屋とかではやりにくい話かも知れませんね。二人とかではできそうですが。)

そうしてからAさんと私が食事にでも行って、できたら自分たちも、みんな仲良く、
ワイワイとやりたかったのかも知れません。
で、肝心の話の内容ですが、これがうまく思い出せません。
人数が多かったせいもあります。
流れは思い出せてますが。
思い出せないところは「ーーーー」で表現します。

流れは、
男子部の誰か(以下、男):

男:「ニューパワー総会はどうでしたか?」
私:「ん~、ちょっと僕にはよくわかりませんでしたね」
男:「なるほど、でもね!なんたらかんたらーーーーーーーー」
私:「は~、そうなんですかね。なんたらかんたらーーーーー」

___________約2時間後___________

男:「たぶん、ジョゼさんは◯◯◯◯ですよ」
私:「え!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


皆さん多分もうお察しだと思いますが◯◯◯◯の部分は、
話が平行線になったときに、創価学会員がよく言うとどめの一発、
例のあの破壊的な言葉です。あなたは不幸とか、地獄に落ちるぞ、
とかそういった類いの言葉です。何と言われたか憶えてません。

完全にブチ切れた私は、
「じゃーーーーなら、もういいです。脱会します」
知らないお宅をおじゃましました。


どちらにしろ、結果を考えたら、くだらん話し合いだったと思います。
思い出せないぐらいです。

Aさんが飛んで追いかけてきて、「すいませんでした。悪かったです。」
平謝りしてました。とりあえず、Aさんとの食事は中止にしてその日は、別れました。
後日、Aさんと私の話し合いで、例の男子部員の言った事は、失礼であること、

そもそも何の解決にもならないので、あの話自体全部忘れましょう。
とかなんとか言ってたような記憶があります。

今思い返すと、男子部の人たちは、私のことを
「同時中継にも参加しているようだし、ニューパワー総会にも出た。
ここで男子部活動家として、ジョゼにも色々動いてもらおう。
疑問があるとか言ってるそうだが、オレたちみんなが囲んで納得させてやる」

みたいなノリのようです。
ところが思惑がはずれてしまったという感じか。
この間、Aさんが言ってましたが
「あの時で、ジョゼさんはもう二度と会合に参加しないだろうな」と思ったそうです。



後に私は活動を熱心にやるようになります。が、なぜなんでしょう。
こうやって文章にして書き直してみると、色々思い出せていい面があります。
なぜ、私は、活動するようになったのか?

2世だから。

たぶん、創価学会を大事に思ってたんじゃないかなー。
子供の頃から持つ宗教。
勤行を忘れていた時代もあるこんな私でも、
ご本尊は大切だと考えるということかも知れません。

話が長くなってきました。
です。読んでくださったみなさんありがとうございます。

続きは次回です。……て、当たり前か。。。v(≧∇≦)v

男子部ニューパワー総会

2008年11月30日 | Weblog
さて、前回のつづきです。前回はじめて同時中継に行った時のことを書きました。
今日は男子部ニューパワー総会に参加したときのことを書きます。

2~3回同時中継に参加したある日、Aさん(私を活動に誘う熱心な男子部氏)から
「ニューパワー総会に行きましょう。」と誘われました。
ニューパワー総会?何それ?と思いましたが。
ちなみにニューパワー総会という名称ですが、定かには憶えておりません。
そんな名前だった。ぐらいな感じです。
[男子部のデカイ会合(気合いを入れる例のあれ]と言えば、ご存知の方は「ぁーあれか」と、
合点がいくでしょう。場所は同時中継と同じ文化会館。
文化という名がついていますが、文化的なことは特に行われていません。
アカデミックな名をつけたがるのは創価学会のお約束といった感じでしょうか。
ほら、仕事で名刺交換とかした時に
[株式会社○○インテリジェンス]とか付く名前の会社に限ってうさん臭かったりしませんか?
全国の[○○インテリジェンス]様、中傷失礼いたしました。

というわけでニューパワー総会の感想です。(いきなりかい!)感想は、

「カルトオーラ全開バリバリ!、こんなのやめよーゼ!」です。

会の進行は、
全員で勤行 → 学会歌 → 体験発表報告(部員) → 地区別活動報告(部員) →

指導A(中堅幹部) → 指導B(中堅幹部) → 指導(大幹部) →

全員で題目三唱 → 本部別指導 → 地区別指導 → 解散  所要時間:80分程度

といった感じです。男子部のこの手の会合は概ねこんな進行で行われます。

勤行終わって学会歌(軍歌っぽいという声もあるが?)を一発かますあたりから、
気分が高揚してきます。
そのあとに体験発表報告(信心しててよかったことなどの体験談)が始まるわけですが、
この報告の仕方を何かに例えますと、
私の感じとしては…高校野球甲子園の選手宣誓みたいな感じでしょうか。
宣誓!我々は!というあれに似ています。

それは報告と言いますか何というか、叫びです!叫び!怖いです。目がイッテル!?かも、です。
(この目がイッテル方々は、普段はいたって普通です。こういうときのお約束って感じですね)

まず報告者が壇上に向かいます。向かうときその地区の部員は「ぅおー」とか言って盛り上げます。

報告者:「○○地区の同志!元気かー!!!」(何百デシベル?ってぐらいでかい声)
部員 :「ぅおー!!!」
報告者:「折伏ーやってるかーー!」
部員 :「ぅおー!!!」
報告者:「えー!では◯◯地区、活動報告並びに体験発表を行わせていただきます。」

という感じで叫びます。
(注:私の地区だけかもです。ほかの地区は知りませんが、大方は同じようなノリかと)
以下、折伏・新聞営業・選挙活動など、
その時々の創価学会が掲げてる目標に沿った内容の報告がなされます。
人によりますが、この時の、この人は、はじから終わりまで、なぜか叫んで発表していました。

「おまいら、今から戦争でも行くんかい?」と思ってしまいました。(失礼

ちなみに創価学会では、常に[戦い]という目標が、
上位下達方式で数字となって、本部から降りてきます。
創価学会員はその戦いに[勝利]することで自己鍛錬となり、
ひいては人生との戦いに勝利できる。
つまり幸せになれると、ちょっと大雑把ですがこういう考え方です。

で、本部から降りてくる[戦い]は、
概ね、折伏・選挙・新聞営業
(学会では新聞啓蒙と呼んでますが、私は「啓蒙」という言葉がきらいなので「営業」とします)
が主な目標になります。学会員はこれらの目標を必死で達成しようとします。

念のためですが、この[戦い]に、ノルマのようなものは一切ありません。
達成できなくても個人が責められるということは無いです。
ただし、プレッシャーはかなりかかります。
あいつは逃げてる。勇気が足りない。意気地なし。みたいな雰囲気とか発言ですかね。

総会の話を続けます。
幹部の指導は、そんなに叫びません。
が、出だしだけは「元気かー!」「ぅおー!」で始まります。たぶんお約束ですね。
幹部の指導は、きちんとしています。立派というか、それなりにちゃんとしてるというか、身振り手振り、拳を握ったりなんかして、熱弁です。話し方が上手で、時にフォローも入れます。

「今日はじめて参加した、メンバーいますか?(何人かが手を挙げる)
あっ。すごい迫力でしょ。あの、いつもこんな感じじゃないですから。
びっくりしないでね」みたいな。


いつもこんな感じなんですが…。


そのような感じで[戦い]の[勝利]に向けて、色々な指導をします。
そして、幹部は諭すように言います。以下、幹部の指導。

「みんな、何のための戦いか本当にわかってますか?
いいですか? みなさんも私も、何も学会のための営業マンではないですよ。
集票マシーン、学会マシーンじゃないんですよ。
戦いは、みなさんひとりひとりの宿命転換のためですよ。
幸せのためですよ、 病気の人は病気を直すため、
経済苦の人はそれを解消するため、
人間関係に悩んでる人はその解決のため。
だからこの戦いをやるんですよ。
学会のためじゃなく自分の幸せのためにやるんです」


創価学会は本当に正しいのか?

おそらく[このカルト指向的な発想]が、
私が学会に馴染めないところかもしれない。ふたつある。

ひとつは、
折伏・選挙活動・新聞営業・などの数字目標達成が、自分の幸せのため。
という事を信用できない。

もうひとつは、
たとえ、それが本当だとしても、その考え方で幸せになりたくない。

考えてみたら楽なのだ。幸せになる方法を、ものすごく簡単に説明してくれる団体。
魅力的だし。いい人ばっかりだし。信用したほうが楽だ。でも自分は嫌だ。

幸せとは、実感するものだと思う。…………たぶん。

でも、私は幸せを、折伏・選挙活動・新聞営業で得たくないのだ。
それは曲解だと学会員の方は言うかもしれない。
じゃー言うな、そんな、宿命転換とか言うな。
普通の人間同士なのに…、幹部だからというだけで…。

幸せを、人生を、保証するな。選挙と幸せ。新聞と幸せ。
折伏と幸せを極々シンプルにつなげたもの言いをやめてもらえまいか?
そりゃ~信者も増えるって。


自分は俗っぽい人間だと思う。「ハッピーになりたい」そう思ってる。
思ってるが、それは、普通に世間一般のリアルな現場でリアルな行いによって
ハッピーになりたいのだ。学会の中にいても、世間一般で生活していても、生きるのは大変だ。

幸せになる方法を、そんな簡単(でも大変)に組織活動で、
ノリノリで、怒鳴り声で、ワーワーワーワー言いながら、みんなでそーだそーだと言いながら、
他人をどんどん巻き込むことを、最終的には自分が幸せになるためだ。
という考え方には抵抗感があります。



“創価学会は絶対真実だから、創価学会が広まれば世界中が幸せになるからいいじゃん”


そんな意見もあるかも知れん。

カタチのないものをカタチにしてしまった創価学会。言い切ってしまった創価学会。
僕たち創価学会員は、いつかこの責任をとらなければならないのかも知れない。


なんつって。だんだん文章が暗く、支離滅裂で、長くなってきました。この辺でやめときます。
今日は男子部ニューパワー総会の事を書きました。
次回は、学会の会合などで感じた疑問を、
Aさんにぶつけてみた(質問した)時の話を書こうかな。です。

創価学会の同時中継。

2008年11月30日 | Weblog
前回は、はじめて同時中継に行くところまでを書きました、今回はその続きです。
かなりの長文なので疲れるかも、です。

日曜日午後。
会館に行くためにAさんと待ち合わせていましたが、Aさんは15分程度遅れてきました。
開始時間を10分程過ぎた頃に会館到着。受付。受付時に持ち物検査される。
Aさんいわく
「テロとかそういうのの防止のため」とのこと。
広い会場に入ると200~300人ぐらいの学会員の方々が
畳に座って中継に見入っていました。男性はあぐら、女性は正座のくずしたようなの。
上座には高さ3メートル程度のご本尊が安置されています。

中継は、青年部の代表者がしゃべっているところでした。
内容は、デマ週刊誌が創価学会に正式謝罪した。裁判なども全面勝訴。学会は正しいとのこと。
続いて秋谷会長、日顕氏の素行を糾弾する内容。
「極悪日顕」という言葉を連発していたと思う。

最後は池田名誉会長、たとえ映像とはいえ動いている池田名誉会長を見るのは
生まれてはじめてでした。
横を見るとAさんがあぐらから正座に変わった。
池田名誉会長はスピーチの時だけ登場します。大拍手とともにゆっくりと、
海外のSGI代表者や招待者と握手しながら、
同時通訳を伴って言葉を交わしながら入場してきました。いきなり華やかになった印象。
ここで池田名誉会長のスピーチの前に、吹奏楽団による迫力のある演奏(学会歌)。
そしてスピーチ。来場者に挨拶。「~のメンバー、来てる?」見たいな感じです。
岸本加世子が映ってました。続いて各国の大学や機関から受けた表彰などの報告。

「みなさんを代表して私がいただきました」とのこと。

続いて過去何十年間の戦いに勝利してきた話、ディテールは忘れました。
そして一言

「もうちょっとい~い?」

全員が「はい!」と野太い返事。
いつもスピーチの間、この「もうちょっとい~い?」を何回か言います(もとい、仰ります)。
続いて哲学者・偉人・博士などの格言を引用し、創価学会活動の正当性を指導。
「ね、学会は正しいんです。」というようなことを言って(仰って)いたと思います。

スピーチ終了、池田名誉会長が退席、映像終了。続いて地区幹部の挨拶、
退館時の注意事項があり、同時中継終了。
池田名誉会長が9割以上ペーパーを見ながらしゃべるのと、
名誉会長退席と同時に会館に参加している2割ぐらいの学会員の方々が
地区幹部の挨拶中にもかかわらず帰ってしまったことが、何となく気になりました。


創価学会は本当に正しいのか?

10数年ぶりに学会の会合に参加した感想。
「今の学会は勝ってるんだな」というのがその時一番印象に残った。

わたしが10代の頃の会合ではそういう自覚は無かった。
当時の学会は「貧乏人、病人の集まり」と言われていた。
が、子供のわたしは貧乏人とか病人とか、負けてるとか、勝ってるとかを
意識したことは無かった。なぜ「今の学会は勝ってるんだな」と思ったか考えると、
単純な話だ

「勝ってる、勝ってる」と、
何回も中継で連呼するからだ。
会館の設備、中継の演出などにも思うところはあった。
立派な会館の大画面で映像配信を見る今の学会員。
自分の知ってる学会は、狭い民家で車座になって心温まる座談会。
(後に座談会で子供の頃のような心温まる座談会を経験)

中継進行はどうか?池田名誉会長登場までは、明るい話題とは言えない。
名誉会長登場と同時にカメラアングルが切り替わる。皆が大拍手。
外国人と言葉を交わす名誉会長の姿、アカデミックだ。
カメラが芸能人(芸術部)を捉える。「おっ岸本加世子が先生に尊敬のまなざし」
みたいには思う。派手だ。ハリウッドのアカデミー賞授賞式の縮小版みたいな感じか。
そして吹奏楽団の音楽。気持ちが高揚してくる。

[偉大な人物]登場演出のステレオタイプのような印象を持った。

(ちなみに活動家になるにつれて、同時中継のこのような演出に関して、わたしは自分なりに
解釈するようになります「立派な人の登場なのだから、演出して当たり前だ」です)

争いが増えたという事も気になる。マスコミとの軋轢。日顕氏の糾弾。
きつい口調でそれを語る様子はかなり印象に残る。
正直言って、穏やかな休日の午後にこんな悪口を聞きたくないと思った。
その時は「この悪口は、もしかして今日だけ?参加した日が悪かった?」と考えた。
が、その後も毎回同じです。

裁判の話が多いのも気にかかる。
ヘタレ学会員的に言うと、
「それって信仰っぽくないゼ」みたいな。
その後、活動家になってから、上層部の大幹部に質問しました。
その大幹部の返事は「訴えられるからしょうがない」とのこと。
わかりやすいお返事ありがとうございます。単純に考えて、きな臭い印象を持ちました。
そもそも裁判で争うには、争う要素がないと、裁判そのものは起こらないのでは?
もし、訴訟の原因を相手が勝手に捏造したと考えた場合、
少なくとも[相手に恨まれる原因]が、今の創価学会にはあるのかもしれない。

池田名誉会長のスピーチはどうだったか?
これについては、人それぞれかと思います。池田名誉会長を尊敬しているかどうか。
これがあるかないかでスピーチの受け止め方は変わって来るだろう。

正直わたしは、池田名誉会長を心の底から尊敬できたことはないと思う。
もとい、ある場面場面で何回かは尊敬したかもわからないが、ほとんどなかったと思う。
すごい人なんだ。とは思ってましたが。
子供の頃からそうだ。たしか親も、日常的に家庭内で、
そんな頻繁に当時の池田先生の話をしていなかったと思う
(座談会ではよく聞いてましたが)。

熱心に活動してないからか?

直接会って見たらどうだろう。たられば論は、やめよう。
なので、朝晩の勤行はしていたが、活動はしていないわたしは、
同時中継で池田名誉会長を見ることが決まってからも
「自分は池田名誉会長の姿を見ても、たぶん感動しない。
感動するとしたら、指導内容そのものだ」と思っていた。
指導内容には特に何も感じなかった…。







「俺は根性が曲がっているのか?」

しかし、原稿を読んでるだけの池田名誉会長の話を聞いても。
哲学者の格言を持ち出して学会を正当化する話を聞いても。
共感する部分はあっても感動はしなかった。
そもそも感動などしなくてもいいのかも。

とりあえずは池田名誉会長の指導に何も感じなかった自分に違和感、
というか不安を感じたわたしですが、
その時から現在にいたるまで、一度もかかさず同時中継に参加するようになります。
色々疑問点を書きましたが、わたしは単純にこのような創価学会に
[ものすごく興味を持った]のでした。

ここまで読んでくださったみなさん。長文ご苦労様です!今日はここまでです。
次回は、
大迫力!男子部ニューパワー総会
に参加した時のことを書く予定です。