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青春回顧録 その7~最終章~

2005-11-29 11:20:19 | 雑感
・・・その6からの続き!

決定的な事件とは・・・!


その日、Kだけ実家に泊まるといって外出し、事務所(つまり下宿)に居なかった。

僕はその夜、バンドのベーシストと、ベーシストの友人、合計男3人で飲み、
事務所の2階の12畳の寝室(万年床です)で寝ていた。

朝、9時。

ぱちぱちっ。ぱちっ!

「ん?雨?」
僕は、変な音で目が覚めた。

ベーシストは「あ、僕、洗濯物を表に干してるんで、取り込んできま~す」

彼は寝ぼけ眼で、庭先に出て行った。

庭に出たベーシストが叫んだ。

「う、うわわわわわ~~」

どうした?
再び睡眠に入りかけていた僕は、驚いて起きた。

「か、か、火事ですぅぅ!に、逃げてくださいぃ~~」

なぬ?!

「隣が、も、も、燃えてますぅぅ!」

隣も築年数の古い一戸建で、お好み焼屋の社員寮だった。
結局、隣は全焼、うちは天井裏が焼け落ちた。

この火事により、住む場所がなくなった我々は、今後の身の振り方について、
早急に結論を出さねばならなくなった。

Kを含むバンドメンバーは、「東京に行く!」

そして、彼らは東京へ行った。

僕は、彼らと同行する道を選ばなかった。
大阪に残って、普通に就職する道を選んだ。

彼らは「マネージャーとしてアナタが必要です!」と毎夜毎夜、僕を説得した。

僕は自分の人生を選んだ。


父には、こう迫られた。

「火事は神様の思し召し。東京でイチからやるなんて馬鹿げている。万が一成功したとしても、お前の用は無くなり、捨てられる」

彼女には、こう迫られた。

「私は♪大阪で生まれた女やさかい、東京へは、ようついていかん~♪」

彼女の母親には、こう迫られた。

「お見合いさせます。さようなら」

バンドの連中には「俺らを見捨てて、オンナを選んだ」と罵倒された。


が、しかし、東京でのバンド活動は、約2年で終焉を迎えた。
Kは突如起こった児童劇団の危機を救う為、大阪に舞い戻った。

僕は、就職した会社の偉いサンに仲人を頼んで、26歳の誕生日に結婚した。

父は妻に、こう言って感謝した。
「あなたのおかげで息子は真人間になれた。それにこんなに可愛い孫を抱くことができた。あなたのおかげです」

何度も何度もそう言っていた父は、長男が1歳になるのを待たず、突然、あっけなく脳溢血でこの世を去った。



人間はいつ召されるかわからない。
明日死んでもいいように、今日を精一杯生きる!

経験を生かして工夫し、新しい経験に感謝する。
それが言いたいだけで、つらつらと書いてしまいました。

ログハウスは、今も京都の北山にひっそりと建っています。

児童劇団を継いだKは、いまや劇作家・演出家、時に役者として全国の学校をまわり
充実した毎日を過ごしています!

長文になってしまいましたが、個人的な記録にお付き合い頂き、恐縮でした。
原稿の元を書くキッカケをくれたuesumiさん、ありがとう。
発表のキッカケをインスピレーションで与えてくれた李梨さん、ありがとう。
ここまで読んでいただいた方々に、感謝いたします。
ありがとう。

では、通常の香港ぐだぐだ話ブログに戻ります!


さぁ!今日も精一杯、生きていこう!

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