リベラリズムの「基本のき」
私は感動しました。
映画で教師が「あなたの考える自由は髪染めのことばっかりだよね」としつこく言うのに対し、生徒会長が「僕自身は茶髪にする意思はない。だが、そうしたい人の自由を守る」と言った。これは人権リベラリズムの「基本のき」です。
上野千鶴子さん
選択的夫婦別姓も同じことです。「私は別姓にする気はありません、夫婦同姓で幸福です。でもそうしたい人の自由は守ります」、これも「基本のき」です。それを認めない政権与党も最高裁も、人権侵害してることになります。
映画を見て私は「この子たちは自由を味わったことがある、だからそれを奪われることに抵抗している。最初から自由を知らない子たちはどうなのだろう?」とツイートしました。「管理主義のはびこる日本中の高校生たちは、自分たちが自由を奪われていることにも気がつかないだろうな」という意味です。
高校のブームはSDGsで、その中でもLGBTQの問題への関心が高まっている。いま高校では、性的少数者であるLGBTQの人権への配慮で、スカートとスラックスを選べる流れになっています。
でも生徒に「そもそも制服はなぜあるの?」と聞くと答えられない。「そろっていたほうが秩序がある」とか「何々高校生としての誇りがあるから」とか、教師が言うようなことと同じことを言うんです。でも根拠がない。「制服で誰が得する? 先生が管理しやすいだけじゃない?」ということを考えることはしない。
教育は洗脳装置です。
記事の後半には、映画を撮った東京都立北園高校の生徒らの先輩にあたるジャーナリストの津田大介さんが登場します。後輩たちを頼もしく感じる一方、若者たちの「ルール」に対する意識に、変化を感じるそうです。
その意味で、映画を撮った北園高校の生徒たちは、(国軍によるクーデターに抵抗している)ミャンマーの市民と同じ。いったん自由を味わってるから、奪われることに抵抗する。
ミャンマーは軍政からいったん民主化したからこそ、抗議運動が大きくなる。権力者はそこから何を学ぶかというと「自由なんて初めから与えない方がいいんだ」っていうことでしょう。
日本が子どもたちを軍国主義の中で育てた戦時下を思い出してほしい。自由のない環境で育つと「そんなもんだ。当たり前だ」と考える。秩序の代理人となり、従わない子どもを排除するような、権力の手先になるでしょう。
おかしいと思うこと 口に出そう
頭髪指導の話をしていて思い出したのが、1990年代に学校現場で男女混合名簿を推進しようとした女性の教員たちのこと。「そんな些末(さまつ)なことになぜこんなにエネルギー使うの?」と散々言われました。
たしかに男女混合名簿にしたからって学校現場はそんなに変わりません。でも、それは象徴的な闘争なんです。ある先生が言いました。「男女混合名簿がゴールじゃない。それを達成する過程で風通しのよい職場になり、自由にものが言えるようになった」と。
たかが男女混合名簿、されど男女混合名簿。たかが茶髪、されど茶髪。もう一つ言えば、たかがお茶くみ、されどお茶くみ。
一事が万事です。おかしいと思うことを口に出して変える過程で組織文化が変わる。そういうことって馬鹿にしちゃいけない。
自由とか責任とか選択というのは、実践の過程で学ぶものです。
高校生と18歳選挙権について討論したことがあります。まじめな優等生ほど18歳選挙権は要らないって言う。「僕らはまだ未熟だから」って。
私は「じゃあいつになったら未熟じゃなくなるの? そもそも未熟じゃない大人っているの? 未熟な大人だって平気で投票してるじゃない?」って言ったら、うーむとうなって、考えを変えました。
私、ほんとに心配してるの。18歳まで民主主義を学ぶ機会が与えられてないのに、突然ポンと「今日からキミたち、有権者だ」って。北園高校の生徒たちのように、日常のなかで民主主義を学んでほしい。(聞き手・宮崎亮)
管理教育へ問題提起、後輩たち誇らしい 津田大介さん
映画の出来の良さにびっくりしました。デジタルツールを当たり前に使いこなす高校生が、こういうのを作れる時代なんだなあと。
動画を撮って編集して、字幕を付けていくというのは、僕らの高校時代はプロの機材がないとできませんでしたが、いまはスマホがあればできる。でもそれ以上に大きな違いは専門知へのアクセスです。いまはSNSがあるから何も介さずに直接、専門家に連絡できる。その環境の変化は大きいです。
津田大介さん=2021年6月21日、東京都港区、宮崎亮撮影
映画を見ると、髪染め指導について生徒が納得のいく理由を求めても学校側はダメの一点張り。会話が成立していない。僕は1989年に北園高校に入りましたが、先生は髪形について何も言わなかったし、僕たちが納得いかないことは議論してくれた。
この20~30年、全国で管理教育が進み、校則が厳しくなりました。北園だけの問題ではなく、都立校を指導する都教育委員会、文部科学省の問題。もっと言えば第1次安倍政権の2006年に教育基本法が変わり、その後に道徳が教科化され――という流れがある。「ブラック校則」と言われるひどい校則がある学校もある。
高校生の9割近く 「校則守るの当然」
大阪大学の友枝敏雄さんの編著「リスク社会を生きる若者たち」にある高校生への調査では「校則を守るのは当然のことだ」と答えた割合が13年に9割近くと、01年から2割ほど増えた。
最近の高校生はいい子だし真面目な子が多いんだけど、枠から逸脱することをすごく怖がる。SNS上も含め、同調圧力が強くなっていることと無関係ではないでしょう。
大学の先生たちからよく聞くのが「いまの大学生は何でもOKなんだ」ということ。多様性OK、同性婚もOK、でも森友問題もOK、みたいな。すごく寛容な一方で、ルールとして「決まったもの」へのクリティカル・シンキング(批判的思考)が弱い。
「ルールはルールだから」ではなく、本来は自由な状態と不自由な状態を両方経験して、選択するのが大事です。例えば「髪を染めると不良グループから抜け出せなくなるからやめなさい」というのは、一方向の選択肢しか与えないということ。抜け出せなくなってもいい。自由にはそういう代償があることを知る貴重な機会だからです。
若者がルールに従順な理由の一つには経済不安もあると思います。トランプが大統領になったときに大学生が何を不安に思ったか。「トランプ政権になって、私たちの就職は大丈夫でしょうか」ってことです。就活で失敗して枠から外れることで、一生はい上がれないという不安がある。
ルールから逸脱するのは不合理という価値観が広まっている。政治にも学校側にも管理したい欲望があり、管理される側にも「管理に乗っていけば合理的に生きていける」という意識もあるのではないか。
多様性を大事にする社会に変わっていく中、学校は逆に、管理する方向に進んでいる。その問題提起として後輩たちがとても良いボールを投げてくれました。先輩として誇らしいです。(聞き手・宮崎亮)
自由って? 高校生らが議論 「髪染めがゴールじゃない」
オンラインで開かれた「第2回自由の北園交流会」のZoom画面=2021年6月19日(画像の一部を加工しています)
ドキュメンタリー映画「北園現代史」への反響は大半が好意的なものでしたが、中には「髪形は1時間で変えられる。安直では?」という意見も寄せられました。北園高生は卒業生や他校の生徒たちを招き、オンラインで「自由」について語り合っています。
連載への感想はメールや手紙などで約20通寄せられた。映画の監督を務め、今春に北園高を卒業した中村眞大(まさひろ)さん(18)や、自身は黒髪だが髪染め指導に疑問を投げかけた当時の生徒会長で3年生の安達晴野(せいや)さん(18)を支持する内容が大半だった。
福島県郡山市の会社員、鈴木登美子さん(45)は小学生と幼稚園児の子育て中といい、「中村さんらのように疑問をそのままにせず、行動に移せる人に育って欲しい」と書いた。子どもが北園高の卒業生という東京都練馬区の主婦、阪本希子(のりこ)さん(59)は、学校側が中村さんらの取材を受けないことを批判した。「高校生らしい髪、じゃあ高校生らしいって何なの? そのシンプルな問いに教師たちは全く答えていない」
東京都教育委員会は2014年度、全都立高校に「時と場に応じた、身なりや所作がきちんとできる生徒」などの目標を示し、それに基づいた「身に付けさせる規律・規範の全体計画」の作成・提出を求めた。こうした都教委による「管理教育の強化」を指摘する投書も複数あった。都教委の担当者は、頭髪や服装などを定める校則について「各校における生徒の実情や保護者の意識などに応じて、校長の責任と権限で定めている」と話す。
感想の中には、中村さんらの行動に懐疑的な内容のものもあった。小中高生の学習支援をする葛原(かつらはら)日奈子さん(55)は「髪色は1時間で変えられる。安直な自己表現ではないか」「髪色の自由を獲得した先に彼らが何を見ているのか知りたい」との意見を寄せた。
(右から)この春卒業した「北園現代史」監督の中村眞大さん、高校3年の林倫太郎さん、中村日向子さん、安達晴野さん、高校2年の平岡裕葉さん。左端は安達さんの母でPTA会長の桃子さん=2021年5月11日、東京都北区の区立中央公園、宮崎亮撮影
安達さんは6月19日、在校生や卒業生、他校生らがオンラインで「自由」を語り合う「第2回自由の北園交流会」で、葛原さんの意見を紹介した。髪を染めることについて「入社面接では黒髪の方が信頼感がある」という意見の生徒もいたが、3年の中村日向子さん(18)は「髪染めがゴールじゃない。見た目を管理されると、思想的にも自由になれない」と反論した。
中村眞大さんは服装や髪形だけでなく、「一つの物事について一人ひとりが考える余裕のある環境」が自身の考える「自由」だと話した。その上で「先生方は生徒と対話してほしい。高校生も、外見より内面や行動が大事と思ってもらえる行動を取る必要がある」と述べた。安達さんらは学校側にも交流会への参加を依頼したが、先生たちが出席することはなかった。
葛原さんは交流会にオブザーバー参加した後、取材に「髪染めは一つのきっかけに過ぎず、先輩から受け継いだ校風を守るところに大きな意義を感じているのだと理解しました」と語った。髪形や髪色にルールを設けようとすることは、生徒の内面をも縛る行為だと気づいたという。
安達さんらは、これからも交流会を続ける。次は8月1日の予定だ。
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