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超・シナプス空間

脳波から言語音波の変換装置

「ゴンドアの谷の歌」に学べ

2011年12月03日 | 日記
「ラピュタは滅びぬ。何度でも蘇るさ。」
ムスカ大佐の名ゼリフである。

圧倒的な文明の力を誇るラピュタの人々も、大地をはなれて人は生きられないことを知る。
そして地上へと戻った。

なぜ、ラピュタでは生きられなかったのか。

パークス・ローマーナ(Pax Romana)。
「ローマの平和 」を意味することばである。
文明を背景にした強大な軍事力で外敵の侵入を防ぐとともに、これ以上の領土拡張を戒めたことによる、空前の繁栄と平和が続いた時代のことだ。

平和な時代を生きたローマの人々は、しかしながら、やがて平和におぼれ堕落しはじめた。

属国からもたらされる富、奴隷の労働力を背景に、お腹いっぱいに食べては、次を食べるために吐く。
寝転がって食べ、ワインを飲みほし、浴場で至福のときを過ごす。
刺激を求めては剣闘士の殺し合いを見る。

人々の心は病み、社会は荒れていった。

ラピュタの人々も文明が故の堕落をみたのだろう。
ロボット兵で侵入を防ぐとともに、ロボット兵の労働でもって自分たちはぬくぬくと暮らし、そして精神が狂った。
くるくるパーになったのだ。

「今は、ラピュタがなぜ滅びたのか、私よくわかる。ゴンドアの谷の歌にあるもの。土に根をおろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう。」
シータ(本名Lusheeta Toel-ul Laputa注1)の名ゼリフだ。

くるくるパーになったラピュタ王家の末裔であるシータは、かつてラピュタの人々が文明をすて地上にもどったときの教訓を読みとった。

「どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられない。」

ところで、アメリカ軍は最近、無人戦闘機を使ったり、遠隔操作の兵器を使って戦争をしているようだ。
兵士の人命を失わない戦争だ。

このまえの新型ASIMOの公開デモンストレーションでは、ASIMOがジャンプしたり、サッカーボールを蹴飛ばしたりしていた。近い将来、なにか物を運んだり、ジュースを入れたりと、いろいろ人の手伝いができるようになるそうな。

科学技術の進歩には目をみはるものがある。

照明の明かりと養分を溶かした水で野菜を育てる工場ができたり、水槽でマグロを養殖する技術ができたりしている。もはや畑や海は必要ないのか。

「国が滅びたのに、王だけ生きてるなんて滑稽だわ。あなたに石は渡さない。あなたはここから出ることもできずに私と死ぬの。」
ムスカ大佐を道づれに死ぬ覚悟をするシータ。

シータも滑稽という言葉を使うのだ。
科学文明に憧れ、再び堕落の過ちを犯すのは滑稽。

しかし真の問題はそこではない。
ラピュタに“滅び”の機能が備わっていたことだ。
“眠りにつく”機能など備わっていたことも興味深い。

文明を興し、国を建てるなら、永遠にと願うはずだ。
自らを滅ぼす準備など、するはずもない。

謎といえば“滅びの呪文”の短いこと。
「バルス」って間違って言ったらどうするつもりなのか。
それに比べ、目覚めさせる呪文というのは長い 注2。

ラピュタを興した人たちは、文明が行き過ぎると人はコントロールを失い、道を誤ることを知っていたのではないか。

そうであれば、ラピュタ以前にも、同じ過ちを犯した文明があり、それが教訓となったていたのではないか。

歴史は繰り返される。

「ラピュタは滅びぬ。何度でも蘇るさ。」


注1)ウルはラピュタ語で“王”、トエルは“真”を意味し、シータがラピュタの正統な王位継承者であることを示している。

注2)リテ・ラトバリタ・ウルス・アリアロス・バル・ネトリール。ラピュタ語で「われを救けよ、光よよみがえれ」という意味。