「答え」はいつも目の前にある
見えていないのは「問い」の方だ
養老孟司
人生は何のためにあるのかという質問に意味がないのは、
人生はいろいろな問題に対する答えだからだ。
頭で「自分の人生は何なのだ」と考えても、絶対に答えは出てこない。
震災をふまえた提言と言われると、
ああすればいい、こうすればいいという話になる。
それも、私からすれば根本から意見が違ってくる。
千年に一度の大地震が起きた。その結果が目の前にある。
けれども、被災者たち、われわれは、これからも生きていく。
そのことに何ら変わりはない。
探すべきものは「答え」ではない。
この震災から「問われているもの」は何かということだ。
AERA臨時増刊
「東日本大震災100人の証言 2011年 4/10号」
より
この震災から「問われているもの」は
防災意識、危機管理、エネルギー、食、と
本当にたくさんあると思いますが、
こんなにも多くの犠牲者、広範囲に渡る被害、がなければ
普段から「問われているもの」がこんなにもあったことに気がつかなかったのか…。
それとも見ないようにしていたのか…。
そして今も先の見えない状態にいる被災者、
復興、復興、と周りから言われても、
1カ月経った今でもガレキがそのまま、
の街を見て、どうしたらいいのか、
「がんばる」なんて簡単な事じゃない。
「がんばる」のは被災者ではない、
今、普通の生活を送れている僕たち、です。
「がんばれ」なんて簡単に言えません。
昨日で震災後一カ月、
余震の恐怖、不安定な原発、
「後」ではない状態。
未だ、震災が1カ月続いている、という感じです。
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