H講師のクール講座  クールだけど、熱いので炎上注意です(笑)

30年前
私の言葉で始まったテレクラ
3日後にサクラの原型を作りあきばの企画は、専門の声優科生徒を使う予定だった…

みんなが知らない…NHKなつぞら(その6)

2019-06-09 16:22:59 | 日記
今週も出ていた「影武者」のなつ。
もうちょっと、吹き替えするのに、気を付けた方がいいと思うよNHKさん。
ビール瓶は、絵柄にテープを張って(<古い!!!)
山口百恵には、「真っ赤な車」と歌わせたぐらいの力があったのに・・・

どう見たって、作画をした時点で「親指の位置が違う」のである。

でも、最後にすず自身が、クリーンナップしたときの、作画の線はすずである。
だって、下手にトレスするのがそのシーンであるから、
何も「影武者」を使わなくてもいいのである(笑)


今週は「線」と「動き」に惑わされるすずだが・・・




私も、実際に経験をするのである。


東映の養成を受けていた私たちは、(井戸原さん演ずる)大御所アニメーター大工原組と、
天才アニメーター月岡貞夫率いる月岡組に分かれていた。

2組で講習を受けてはいるが、内容が全く違っていた。
大工原さんの教えは、「即戦力」になるようなものだが、
我々の月さんは「動き重視」のモノであった。

そう、まさに「制作部」と「作画部」の衝突の場面と同じで、
「マコ」が言うセリフ通りであった。

だから、大工原組は講習後、東映動画に残る人が多かったのである。
しかし、もともと、東映がアニメーター養成を、何十年たって行ったのは理由があったのだ。
それも、くだらない理由でだ。。。

そのくだらない理由がこれだ!!!

これがなければやらなかったのだが・・・
それは、「東京ムービー」が、「テレコム」を作ったからなのである(ちこちゃん風に…)

テレコム・アニメーションフィルム=通称テレコム
これは、東京ムービーの藤岡社長が、「夢の国のリトル・ニモ」をやりたくて、
わんぱく王子の名コンビ「大塚・月岡」でやるために、募集をかけて作ったのがテレコムなのである。

これに憤慨した東映の社長が「老舗の東映動画が先だろう!!!」って、募集で集められたのが我々であった。
Aプロには、楠部三兄弟(巨人の星のEDに頻繁に出てくる)ルパンの大塚さん、宮崎さんも顔をみせるが、みんな東映のOB。
やっている仕事は「東京ムービー」の仕事である。

A(エース)プロ。通称エープロ。
そして、エープロが新しくなって出来たのが「新Aプロ」で、通称「シンエイ動画」なのである。(ドラえもん)

だから東映は「大工原・月岡」で、リトルニモに対抗して・・・
昔ながらの「オリジナル長編アニメ映画」を作ることを名目で養成したのである。


そして、東京ムービーがニモの制作が長引いたので、
東映はその時制作した「龍の子太郎」を上映し、
その後は、「長編アニメ」を作らなかったのである。
この作品が、すず(奥山玲子風)の久々の作画監督作品である。

そして、養成を受けたものは、「東映動画の社員ではなく・・・」
東映の子会社「スタジオ カーペンター」に引き取られたが・・・
月岡組がメインではなく、大工原組がメインであったのは当然であった。
①即戦力の人を作っていたのは大工原さんだった。
②みんなも気づいただろうが、大工=カーペンターだからである(笑)

私はというと・・・
お呼びが駆らず・・・どうしようかと、考えていたところに「渡りに船」です。

その当時の東映は「キャンディキャンディ」「花の子ルンルン」「一休さん」「キャプテンハーロック」・・・
などであった。

私が、本当にやりたかったのは、実は「東京ムービー」の仕事。
正確言えば「マッドハウス」の「杉野昭雄」の作品がやりたかったのである。

そしたら、斜め後ろの席の「アカデミー」(ヤマトの会社で広報をしていた。)の奴から、
「どこ行くか決まった?」
と聞かれ・・・
お呼びがかからないこともあり・・・
「東映の作品はちょっとネエ」
「東映に残んないだったら、うちに来ない?」
と言われ、すぐ
「どんなのやってるの?」と聞くと・・・
「たから・・・」
「宝島!!!」
「宝島やってるんだったら行く!!!」
「会社は吉祥寺に有って・・・」
「どこでもいい。宝島やってるんだったら行く===」
条件も聞かずに決定です。

その当時の吉祥寺は、まだパルコもなく、快速が止まらないところであった。

初日に、社長と話をして、朝10頃出勤 動画1枚120円+交通費であったが、
お金なんかどうでもよかったのである。

絵が描ける。
それも「マンガ」だ。
それで、お金がもらえる。
こんな、ありがたい事はなかった。

数年後、東映時代に研修に来てくれた森英樹さんに聞かされたことがある。
「僕は三期で、芸大出身者がごろごろいるなかで、絵を描いてお金がもらえる仕事って、教師ぐらいしかなっかたからね。ディズニー好きの僕には「もってこいの仕事」であるというとは言うまでもないよね。」

そう、昔も今も絵が描ければよかったのである。

だが・・・
月岡組の欠点が出たのは、数日後であった。。。

それは、
「1週間は会社の雰囲気や、手順に慣れるまで~それがすんだら動画をやってもらうからね」
というもんであった。

そして、研修らしきものが終わったら本番が始まった。

最初に渡されたものは・・・
「ガッチャマン2」のコンドルのジョーの車が、
「手前から奥に行き、Uタ-ンして戻ってくる」
というモノであった。

描く上での注意事項は?を問うと…
「きれいじゃなくていいよ=動いていればね~」
というもので、16枚な作画であった。

普通、止め1枚>口パク>目パチという、簡単なものをやるのだが、
最初っからムズイはずだが・・・
2日で描いて「出来ました」と持っていったら・・・
パラパラと見て「オッケーだよ」てっさ===

気をよくして「次これやって~」手渡されたのが…
煽り気味の歩きである。

立っていて>セリフ>歩き始めて>左へアウトというものだ。
これで問題が起きたのだ。

ラフができ、担当者に見せたらすんなり「OK」だったから後はクリーンナップである。
なんとそれからOKが出るまで5日かかったのだ。
それも、これで「OK」がでなけら「やめる」と考えていたのだ。

OKでて、一息ついてた時に
「仕上げの子」から「あなたの描いた線だ塗れないからリテークだった」と言われ、
「え==ちょっと塗らせて!!!」
トレスマシンをかけた瞬間にその答えが判ったのだ。
この線だと「絵の具がノラナイ!!」=実線が弱すぎるのである。

きれいに描くだけでなく「一定に筆圧」という事もその時知ったのだ。

月岡組は「動き」重視であったため起きてしまった。

でも、5日間で一人前になったのだから感謝です。

因みにこの月の給料は「12800円」です(笑)
でも、ちゃんと1年後には10倍以上にはなっていました~


余談>>>
面白いことに、月岡組の方が今でも「現役」が多いのである。
私も、師匠がやめないのに、弟子がやめるなんて・・・
というか、やめたら「ただの人」になってしまうので、
生涯いち「アニメーター」という肩書きのもとに生きたいのである。


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