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02 詩人便所を洗う
おわい屋と云っても、タゴを担いで、公然と民家の裏口を出入りするところの、土の伝統のこもったあの風情あるおわい屋さんとは、その趣きを異にしていたのである。つまり仕事の範囲とか方法の点など、明かに現代文化の息吹がかかっていたのである。だが、どちらにしても、つまるところはおわい屋なので、その仕事はひたすら糞尿を汲み取ることなのであった。
勿論、僕は好んでおわい屋になったのではなかったのである。まるで、米を食おうとしたはずみにおわい屋になってしまった感じなのであって、現代文化の底に棲息しているところの所謂、米の食えない人間の一種なのであった。此の種の人間は、歴史の生んだ新しい人間で、人間社会の至る所に群れているのである。たとえば芸術家の場合には、米が食えないその食えないをくっつけられているところの、食えない詩人とか食えない小説家だとかの類がそれなのである。
僕なども結局は、食えない詩人に該当する人間なのであった。しかしながら、人間のおもしろさは、たとえ、どこまでも食えない詩人であろうと、まお、かつ、食わねば生きている実感をたのしむことが出来ないものと見え、だから僕にしても、とりあえずおわい屋にもなる次第なのであった。
その頃、或るビルディングの二階の空室に、食えない詩人となって僕は起居していたのである。そのビルディングの管理をしている佐藤さんという人と僕とが十年来の知己なので、お蔭で僕は空室に住むことが出来たのである。もっとも、空室に借り手がつくと、その度に、僕は、二階から三階の空室へ、三階から四階の空室へ、四階からは地下室のボイラー場へと、空室から空室を、寄生虫みたいに転々として生活を営んでいたのである。
こういう僕の生活振りや、ダルマ船に乗ってみたり、暖房屋であったり、路傍に寝ころんだりしたことの総てを佐藤さんの言い分に依れば、それは僕が詩人だからとのこと、あっさり詩人のせいにしていたのである。だから常々、僕の顔さえ見れば、一度はきっと詩人なんかやめなさいと佐藤さんは言うのだった。就中(*なかんずく)、衣食住の、食の件まで彼の恩恵を蒙る段になると、もう今日限り詩人をやめなさいとくるのだった。しまいには、空室をのぞきに来ては、どうです詩人をやめる気はないんですかと言って、次第に加速度的な態勢を示すようになって来たのである。流石に僕も根負けして、或る日、彼に蒙った恩恵を見ぬ振りをしながら、こころもち怒気をほのめかして見せるように、詩人をやめると僕は死にますよと言ってしまった。すると、佐藤さんは呆れたもんだと思ったのか、めしが食えないで何が詩人です詩人をやめてめしを食った方がいいんです、とはねかえした。そんな時には僕もまた僕で、詩人をやめると食いたくもなくなるんです、と言うのが常だった。これは嘘みたいにきこえるかも知れないが、なんでこれが嘘だろう。佐藤さんに限らず、世間のあることろ至る所でかような目にあって、恥を浴びるにはすっかり馴れてしまったこの僕が、嘘でこんなに詩人顔して生きているもんか、とにかく僕には、詩人をやめてまで食わねばならない理由がないのであった。
ところが、その実、佐藤さんには悧巧なところがあったのである。僕には、詩人をやめろやめろと言いながら、御自分はまるで蠅とり蜘蛛のような身構えをして、詩人の上にくっついている例の食えないということ(九文字傍点)それを狙っていたのである。即ち、ぼくが詩人であろうがなんだろうが、食えないに憑かれているからには何でもするより外にはないのではないか。
そこで、佐藤さんがすすめた仕事、それがおわい屋の仕事なのである。
そもそも佐藤さんが、なぜまたこういう仕事を僕にすすめる気になったかは、必ずしも、食えない詩人の身の上を考えたからではなかったろう。少なくとも佐藤さんの目的にとっては、食えなければなんでもするという肉体に近い人間を必要としたのであって、それは、エスという男と佐藤さんとの関係から推して見ても、僕におわい屋をすすめた佐藤さんの目的が明白なのである。
この仕事は、もともとエスが佐藤さんに持ちかけて来たものであった。彼等がおわい屋になるということと、食えない詩人がおわい屋になるということは、その趣旨に於いて既に違った性質のものであった。エスの上を見ても、佐藤さんの上を見ても、食えないという奴はくっついていなかったが、錢を儲けたいのその儲けたいという奴がくっついていることは確かなのであった。もっとも、エスがこの仕事を佐藤さんに持ちかけて来たことは別にエス自身の目的もあったのであるが、それは措いて、佐藤さんとしてはこの仕事にかなりの自信を持っていたのである。第一、仕事そのものが汚いものでいっぱいであるということは、食うに追われている僕をさえ一応悩ましたくらいであり、事実、或る二、三の友人なども日々食えない食えないばかり言っていたにもかかわらず、僕といっしょにおわい屋にならないかと懸命に誘って見ても彼等には一向僕の誠意が届かなかったのである。結論としていえば、金にはなってもなかなか人の出来る仕事ではないのである。だからそこを見込んで佐藤さんは儲けたくなったのであり、佐藤さんの身がわりになって糞尿をあびる当事者の役として見込まれたのが僕なのであった。
これが、口のための仕事なのであろうかと思われるほど、僕は文化の底に落ちて来て、よくもまあ、尻どもの近くに就職したもんだ。
やがて、ビルディングの管理事務所には、表札が一枚増えた。「佐藤衛生工務所」というのがそれなのである。
この仕事の芸名(二字傍点)を、僕は山口英三と名乗り、営業主任の肩書を刷り込んだ名刺など出来上った。ここまで来れば、食えない詩人でも詩人をやめるほどのこともないどころか、詩人のまんまで、はじめから営業主任の椅子が待っていたのである。開業の案内状には、営業の課目として、給水、下水、給湯、水道衛生工事、浄化槽新設、浄化槽掃除、消毒薬槽見廻、水洗放流切替工事、設計並監督、と印刷して置いた。但し、佐藤衛生工務所の本質的な仕事はおわい屋なのであるから、右のうちの浄化槽掃除の一課目なのである。しかし、その一課目だけを案内状に出すとなると、如何にもおわい屋でございという感じを与えるので、こちらにしてもおわい屋ながらではあるが一寸ていさいが悪いし、その上、相手に馬鹿にされては商売がしにくくなるのではないかとの見解から、佐藤さんとエスとが頭を捻って左様に羅列したのである。これならば、本職は工事屋で、ほんのつけたり(四字傍点)がおわい屋であると見せかけているわけだ。万一、浄化槽掃除以外の仕事を依頼されたら、その時は適当な工事屋を見つけて来てそれをやらせるということになったのである。
エスはこの仕事に、浄化槽所有者名簿を出資した。これに依って仕事の得意を嗅ぎ出すのである。佐藤さんの出資は、利益をあげるまでの経常費の負担である。無論、僕の出資は日傭人夫と同じで仕事の都度二円をおしいただくのである。
さて、いよいよ、浄化槽所有者名簿を繰(*く)って、五、六百通程の案内状を発送した。営業主任の僕は詩人を兼ねているばかりでなく、現場監督を兼ね更に佐藤さんがエスに食われてはならないようにとエスを監視するといったようなスパイ風の役をも兼ねていて、全く多事多端の身になったが、何しろ、このおわい屋界には素人のこととて、当分の間はエスが僕の手引きをすることになったのである。猶、速達郵便を以て何時でも召集出来るように、エスの取り計らいで熟練人夫を二人用意した。倉庫の中には、手押ポンプやバケツや亀の子ダワシや、ブリキ製ゴミトリ、柄杓と麻縄、サクション・ホース(*1)、赤色のゴム・ホース、塩酸、カルキなどが揃っている。これで万事が整い、ビルディングの管理事務所の一隅に古びた一脚の椅子を与えられて、そこに僕は待機の姿勢を据えた。
*注
*1.サクション・ホース:送水や排水を行うための配管。
エスは、毎日一度は事務所に顔を出すのであるが、来ると先ず、未だ申込みは来ませんかと言う。
案内状発送後、一週間は経ったろうか。一葉の端書が舞い込んで来たのである。それは○○区○○町〇外科医院からの申込みなのであった。僕は早くも自己分裂をしてしまったのか、たったハガキ一枚にこの現実を取り捲いて、人間になり詩人になり、営業主任になり人夫になり、はてはスパイというように、いくつもの僕になった姿の合間々々には、もうあの、むずかしいにおいどもが這い廻って来ているような感じなのであった。
仕事の当日は、朝の九時過ぎに現場に着いた。のんきに見える出勤振りだが、朝めし前だとそこの家人に気の毒だからというエスの紳士的教えに倣ったからである。エスは一足先に来たらしく、彼はもっともらしい物腰をして浄化槽のスラブ(*1)の上を往ったり来たりしているところであった。そこへ人夫が二人自転車で来た。ひとりは井ノ江君で他のひとりは堀下君である。
*注
*1.スラブ:鉄筋コンクリート造(RC造)の床や屋根のことです。元々は「平板」「石板」を意味する言葉。
エスは、僕を物蔭に呼び寄せて言った。あなたは手にとって仕事をする必要はないが、一寸ていさいが悪いから、その上衣とネクタイをはずして一寸ズボンをまくりあげて靴も脱いで、あっちこっち往ったり来たりしていて下さい、と。なるほど、彼は頬かむりをしている。おわい屋としての先輩だけあって、その汚れきった霜降りの襟詰も袖は千切れていて肘が露わにぶらぶらしている。ズボンも膝から下は毛脛である。こういう姿のエスが、なんであるかは知らないが高等教育まで受けたというインテリ人物なので、お互いに哀れと云えば哀れでもあるが、顔を見合わせるとそこに先立ってくるおかしさが顔の大半に崩れてしまう。僕は、用意してあったメリヤスのシャツに着換え、ナッパズボンを膝の上までまくり上げると、エスの鞭に暗示を受け受け、まるで動物園の肉体みたいにあっちこっちと動きだしたのである。
この浄化槽の中には、人間どもの糞尿がいっぱい詰っているわけだ。彼等の糞尿量は一人一日一・三九キログラムという。その糞尿は、一人一日の洗水量二五リットルの水で押し流されて、便所から浄化槽内に来て重なり合っているのである。

浄化槽の構造は、断面図に見るようなもので、大きさは、建物の総坪数に比例し、十五人槽だの五十人槽だのと言い、それはつまり便所常用者の人数を意味しているものであり、人数は、廊下を別にして一坪一人の割である。
浄化槽の役割は、腐敗と酸化の両作用に依ると言われている。便所から来た糞尿どもは、先ず、流入管から腐敗槽に現れ、そこで嫌気性菌(空気を嫌いな菌、たとえば酪酸菌のような)の作用に依り、腐敗、発酵して、浮渣、液層、沈渣という三種のものに分化する。浮渣とは腐敗槽の上部に浮き上る滓の一群で、下から上へと溜まる奴だから上になるほど硬くなっている。その下の液体が液層、その下即ち腐敗槽の底に黝(*くろず)んで沈んでいるのが沈渣、俗におり(二字傍点)という奴なのである。そのうちの液層が、点線の矢の示す方向へと移行して予備濾過層へ這入る。これだけの作用を時間に換算すれば四十八時間を必要とするとのことである。
予備濾過槽には棚があって、棚の上には砕石(花崗石)を積んである。そこで液層は下から上へとこの砕石によって濾過される。
酸化槽には幾条かの鉛桶があって、その下にもまた砕石がある。液層は鉛桶に伝わりその両脇から雫となって落ち、下へ下へと砕石の間を抜けて底に出る。その間に、好気性菌(空気を好む菌、たとえば尿素菌とか硝化菌など)の作用に依って空気中の酸素が液層中に溶解し酸化作用が行われるのである。そのために、酸化槽には排気管があり、消毒槽の送風孔から空気を呼び寄せるのである。
こうして、液層は所謂浄化された汚水となって、消毒槽へ移り、そこで、薬液入から落ちてくる一滴ずつの消毒薬液(カルキ溶液)に依って消毒を受け、さっぱりとした汚水となって下水道から河や海のほうへ立ち去ってしまうのである。
なお、汚水中に含有されているという炭酸瓦斯とかメタン瓦斯というような瓦斯には気軽なところがあると見え、酸化槽中に訪れて来る空気に伴われて、率直に排気管から空中へ立ち去ってしまうとのことだが、アンモニアと称する瓦斯はどこまでアンモニアなのか、のうのうと汚水について下水道の方へと出て行くそうである。
以上は、浄化槽の存在理由として、化学的見地からの論理づけであるが、結論としての浄化汚水そのものは、人畜に対して有害なものではないとのことなのである。だから詩人も安心して、糞尿の中に棲息出来るかと思えばそこまでは流石に現代文化といえども進んでいない。というのは、細菌学的には未だその浄化汚水を割り切ることが出来ず、多少は衛生上危害を生ずるような虞れがあるとの話を耳にしているのである。なんでも糞尿中に存在する細菌が五十余種もあるとか、大腸菌、チフス菌、コレラ菌などという菌の大家連が混入されていることは、否定することの出来ない事実なのであるという。詩人なんかもこうしておわい屋にならねばならないほど、生きるにはこの上もなく忙しい時代ではないか。僕らみたいな新式の人間のためには、一日も早く、細菌学の意見を反駁する文化的浄化槽が必要なのではあるまいか。そう思いながら、僕があっちこっちしているうちに、エスはどこからか、ひとりの伝統のこもったおわい屋さんを伴って来た。おわい屋がおわい屋さんを傭って来るというところなども近代的な風味がある。エスとおわい屋さんはスラブの上に来て、まずお互の顔を見合わせた。それからエスが、一本の竹を以て、それをマンホールから静かに垂直に糞尿の中へさし込んだ。竹のぐるりがぶくぶくと黄色く泡立ち、竹の先端が底についたかと思うと、エスは何事か手加減をして見せるように神妙な面持ちをするのである、やがて、徐ろに竹を抜き出した。竹には、浮渣の厚さだけの滓がついていて、液層や沈渣に触れた部分には淡く黝んだ色がぬれていた。これに依って、おわい屋さんに汲み取ってもらう汲み取り荷数を推定するのである。エスは竹を見ながら、十五荷ぐらいはあるかも知れないと言った。おわい屋さんの汲み取り料金は、一荷(タゴふたつ)に付二十五銭を普通としているのであるが、たまには、浄化槽の糞尿なんか肥料にはならないとの理由のもとに三十銭を要求するおわい屋さんもあった。だがその理由は、肥料にならないというのがほうのうのことなのか、三十銭をせしめるための理由なのか、いずれにしても浄化槽の糞尿が肥料にならないということを知りたかったので、それの教示をエスに仰いで見た。するとエスは足もとに眼をやって、そして言うには、奴らはみんなそういうんですがどういうわけでしょう? と。
人夫の井ノ江君と堀下君とが、おわい屋さんの長い柄杓を借りて、腐敗槽の中を汲み取りはじめた。おわい屋さんが、空タゴをマンホールの際に持って来ては、汲み取った奴を表へ運び出す。エスはまた、僕を物蔭に呼び寄せて耳うちした。表に運んで行ったタゴをそれとなく調べて呉れと言うのである。ずるいおわい屋さんになると、空っぽのタゴを混ぜて置いて、汲み取り荷数をゴマカス者もあるという。僕は表に立っていて、おわい屋さんが出て来るとあっちを向き、引っ込んで行くと腰をかがめ、手の甲でタゴを叩いて見た。詰っているものはココと鳴って、空っぽのタゴはカカと鳴るように感じるのだった。
浮渣を汲み取り、液層を汲み取ると沈渣の汲み取りである。堀下君が、バケツと麻縄でつるべをつくった。井ノ江君は、腐敗槽の中へ降りるためにボロボロの合羽に着換へ、縄帯を締めて、鉢巻を頬被りにした。堀下君と僕とは、井ノ江君の手首をそれぞれ持って、かきみだされたばかりのむんむんしているその中へ彼を降ろしたのである。どろどろに砂や石っころなどを黒く染めた沈渣を、井ノ江君がバケツに汲み取ると、それを引き揚げる役は堀下君と、ついに僕なのである。ふたりはかわるがわるバケツを引き揚げては、沈渣をタゴの中へあけた。何度も何度も繰り返しているうちに、腰は痛んで伸びなくなり、腕の弾力はあべこべに伸びてしまって、バケツの昇降が鈍って来る。スラブの上には泥色の汚物がこぼれて来て、踏張り立っている足を型どった。汚物にぬれてすべり勝ちな麻縄、すべり落ちようとするバケツをはっと(三字傍点)して引き揚げる途端に、マンホールの縁にそれがぶつかる。はずみをくらった汚物の飛沫どもが飛びつく頬。頬。おとがいなのである。
大腸菌も堀下君も、詩人もチフス菌もコレラ菌も井ノ江君も、みんな蛆を真似ているようだ。それでも、飛び出す声をきけば人間らしく、こぼすなようと呶鳴って来た。穴の中を見ると、井ノ江君の後頭部、襟首あたりから、合羽の背中一面べっとりだ。
沈渣が残り少なくなって柄杓で汲みにくくなると、今度はゴミトリで掬いはじめる。掬った汚物は、直ぐにバケツの中に移さない。一応、井ノ江君は、ゴミ取りの上の汚物を指でひっかき廻し、丹念に改め、それからバケツに移すのである。便所の落し物(三字傍点)がみんなここに流れ込んでくるからである。十銭白銅が一枚、焦色になって出て来た。金入の口金も黒くなって出て来た。それを見ながら堀下くんは、紙幣(さつ)もはいっていたんだろうが腐っちゃったんだろうなあと嘆息した。万年筆も出て来た。其の他、疲れたような表情をして、あのゴム製品が、幾つか出て来たのである。その度に堀下君は、女みたいな奇声を発して、あらま、と言いながら、バケツの中からそれをつまみあげまじまじと見るのであった。
沈渣をすっかり汲み取ると、井ノ江君は、亀の子ダワシを以て槽内の壁をコスリはじめる。僕は、ホースの水をほそめにして、井ノ江君のタワシを追っかけるように水を流す。壁にくっついていた瘡蓋のような汚物が剝げ落ちると、ようやくセメントの壁らしくなる。洗い汁が溜ると、それをまたポンプで汲み出すのである。その時、出し抜けに、駄目ですようと井ノ江君が叫んだ。中をのぞいて見ると、なるほど、たったいま出て来たばかりであろう、彼のふくらはぎあたりには生生としているまでに新しい糞が浮いていたのである。洗い汁を汲み出してしまえば腐敗槽の掃除は終りである。だが、井ノ江君は、いま暫らくの間は中にいなくてはならない。その間に、僕はそこの家人を案内して来て、掃除の検査を受けるのである。きれいに汲み取りましたから御手数ですけれど一度奥様に御目通し願いたいんですが、と女中さんから言わせると、お前見て来いとおっしゃる奥様は殆どいないと見え、奥様方はきっと御自分で出て来る。そうしておっしゃるには、まあこの中に人が這入っているのね、とくるのである。中にはまるでおびえるかのように、御苦労さま御苦労さまと繰り返すごとに後退りして引っ込んでしまう奥様もある。もっとも、エスが傭って来たおわい屋さんだって、糞の中へ降りてゆく井ノ江君の姿を見た時は、おのれを忘れるくらい顔負けしたらしく、へえ、と一言言って啞然としていたのである。
ここらでひるになる。みんな手足を洗って近所のめし屋へ出掛けるのである。途々、井ノ江君はその腕や手の甲や掌などを鼻にもってゆき。此奴ばかりはいくら洗ってもなかなか落ちないにおいだといった。僕らは、一杯ずつの焼酎を飲みほしてめしにした。
現場へ戻って来ると、エスはまた物蔭に僕を呼んだ。おわい屋さんの汲み取り単価を三十銭にして置いてくれと言うのである。というのは、お互いのめし代と飲代をそこから融通するわけで、僕もよろこんで賛成した。そうしてエスは自分に五十銭ばかり借して呉れといい、残りはあなたのもんだというような身振りであったが、残りがないのはかなしかった。
午後からの仕事は簡単なので、一時間もあれば出来るのであるが、それでは仕事そのものを安っぽく見られるというので、ゆっくりと夕方までかかるようにしなくてはならないとエスに教えられた。
予備濾過槽には砕石がある。この砕石を一個ずつ、僕らはスラブの上に取り出した。ぬるぬるぬらぬらと、砕石にくっついている汚物を、一々タワシをかけて洗い落す。やがて、石らしい顔形になると、それをもとのように槽内へ詰めるのである。
次は酸化槽。ここには鉛樋がある。鉛樋には適当な勾配がついているので、足で踏んだりしてはいけない。只、ホースの水で樋の中の汚水を洗い流し、ゴミをすっかり無くしてしまう。鉛樋の下の砕石は、矢張りタワシをかけて洗うのである。
次は消毒槽。ここは、所謂、浄化された汚水が流れているだけなのであるから、槽底に落ちているゴミを取り除き、水で内壁を洗い流し、消毒液入を洗って、カルキを水に溶かして一杯入ら(ママ)て置くのである。
かようにして、僕もまた、人並みに。一・三九キログラムの生産能力を示すことが出来たのである。
くさいと思えば、切りもなくくさいのであったが、生きねばならぬ人間のつもりで生きるんだから、生きると言うことさえも既に遅いくらいで、それと同じく、くさいと言うにも既に遅すぎる食えない詩人のことだと思って見れば、さほどくさい思いも僕はしなかった。それだからこそ、佐藤さんもニコニコしていた筈だ。畜生にも劣らない身軽さで、汲み取りつづけたその結果は、仕事をすればするほど儲かった。無論儲けたのは僕ではなく、儲けたいに憑かれている佐藤さんだけの幸福(しやわせ)なのであった。たとえば、〇〇区○○中学校の浄化槽掃除は、僕の現場見積りで入札し、百八十五円で落札した。その時の、おわい屋さんの下請汲取料が六十円、其の他、一杯代及びめし代等あわせて七十三円九十銭で、差引金高百十一円十銭が儲けになるわけだ。しかもそれは一晩仕事ときた。だが、エスと佐藤さんとが果して利益を等分したかどうかそういうことは結局僕の知ったことではなかった。只、○○区○○町○○公爵邸の仕事をして以来、エスは佐藤衛生工務所に顔を出さなくなってしまった。公爵邸の見積りをしたのはエスであった。百十八円で落札したが、儲けはたった二十一円八十銭、その上二晩仕事だったので一晩の儲けは十円五十銭で、佐藤さんが首をかしげていたのである。
過日の新聞に依ると、東京市では、昭和十六年に開催する予定だった国際オリンピック(尤もこれは中止になったが)までには、市内の衛生設備を完成するとかの意向であった。つまり、市設下水道の完成した地域にある浄化槽を廃止するというのである。そのためには、切換工事に依らねばならないのであるが、水洗放流になってしまえば、従って浄化槽の掃除も要らなくなる運命なのである。その時、わが井ノ江君や堀下君などは、どんな風に彼等の生き方を切り換えることであろうか。
そろそろ、暑さを忘れる季節にさしかかって、どうやら、僕のからだから糞のにおいも落ちてしまった頃、思い出したように、堀下君がビルディングに現れた。彼は例に依って、片手に汚れた手拭をぶらさげていたが、すっかり様子を変えてしまった管理事務所の雰囲気や僕の風采などに気がついたらしく、もうやめたんですか、と一言置くようにして言うのだった。そうして、再び彼は、手拭を振り振り管理事務所を出て行った。
掲載誌
詩人便所を洗う
「中央公論」1938年9月号
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