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神の御心が行われますように

2014年10月16日 | 説教
「神の御心が行われますように」
                望月 修

 御心が行われますように、天におけるように地の上にも。(マタイ六・一〇b)


 主イエスが教えてくださった祈りは、「御国が来ますように」に続いて、「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」であります。
 「御国」は、「神の国」であり、神の支配であります。目には見えませんが、御子である主イエスによって既に打ち立てられています。どのようなところにも及んでいます。私たちはその事実を信仰によって受け止めることができます。そのような神の支配のもとで行われるのは何でしょう。神の御心です。そこで、私たちに、「御心が行われますように」と祈るように教えているのです。
 神の国が来て、信仰によって、その支配が受け止められるのであれば、そこに神の御心が行われるようになるのは順序としても当然ではないでしょうか。「主の祈り」は、いろいろなことがバラバラに祈られているのではありません。神の支配が秩序だった仕方でこの地上に及んで行くことを示しています。
 地上のことや自分たち人間のことばかりに目をやり思いを致しても、世界もその歴史も正しく見通せません。世界と私たちをお造りになられ、今も、御子にあって、保ち導いておられる神を見失っているのであれば、世界の問題は本当には解決しません。私たちが良いと思っていることや願っていることと「御心」が必ずしも同じでないことに気づかされます。
 「御心」は神御自身によって行われます。「天におけるように地の上にも」と祈るのは、そのためです。神のもとでは「御心」は既に成就しています。その「御心」をこの地上にも成し遂げてくださいと神に祈り求めるのです。
 「御心」は私たちに対する恵みに満ちています。「御心」が地上に実現したら、悪い者や悪い力がたちまち滅ぼされてしまうというのではありません。むしろ、主イエスにおいて、神に背く者が神に向き直るようにさせられ、悪い力も失われて行くことです。つまり、「御心」は、この私たちと世界とを「キリスト」によって救うという仕方で行われるのです。
 「御心」は、キリストの救い、キリストの十字架の死と復活のによって与えられる恵みなのです。
 「御心」が、このようなものであることを明らかにしているのは、主イエスのゲツセマネの祈り(マタイ二六・三六以下参照)でありましょう。神は、どこまでも罪人である私たち人間の救いを考えておられます。そのために御自分の御子イエス・キリストの十字架が必要でした。罪人である私たち人間が滅びることなく救われるためには、御自分の御子を十字架におつけになる他なかったのです。
 神の御心は御子を十字架におつけになることでした。御子もまた激しい戦いの末に、このことを「御心」として受け入れられ、それに従われて、十字架におつきになられたのであります。つまり、神の御心は、御子の十字架の死によって、私たちを救うことにあるのです。
 私たちは、これとは別のところに、神の御心を見ようとしていないでしょうか。神の御心の中心に御子の十字架の犠牲があることを見損なっていないでしょうか。あらぬ方向に神の御心を見出そうとして、「御心」が分からないと言って嘆いていることが多いのではないでしょうか。
 私たちが自分で考える救いでなく、神から御覧になった人間の救いこそ、本当の救いであります。私たちの罪を御子によって赦し、私たちが新しい命に生きることができるように、罪から解放してくださるのです。
 この恵みを見据えながら、主イエスが教えてくださっているように祈ることが私たちに求められているのであります。「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」と。