「おわら節」に挑む !

爺さんが 唄と踊りの両方を欲張って始めてみたのだが - - 

手塚おさむ

2017-11-19 04:37:41 | 日記

私は子供の頃、鉄腕アトムのマンガに夢中になった世代である。

愛くるしい容姿で空を飛び、怪物ロボツトや悪漢を懲らしめるアトムはヒーロー

であり、ワクワクしてページを開いたものである。

このアトムの生みの親は言わずと知れた手塚治であるが、ジャングル大帝や宝島、

リボンの騎士など登場人物やストーリーが今でも鮮明に蘇る。

このころ「少年」や「冒険王」と言う少年向け雑誌があったが、その冒険王に

「小松崎しげる」 という作者が居た。こちらはマンガではなく精密に描いた

挿絵風の物語で、頭にターバンを巻いた正義の魔王が活躍するという筋書で

あったと記憶するが、人の名前などとんと出てこないこの頃なのに

こうして書いている最中にも鮮明にその姿が蘇るから不思議である。

マンガ上の鉄腕アトムの生みの親は「お茶の水博士」であるが、人類が労働者

として作り酷使されて来た何十万というロボットが、巨大な人口頭脳の指揮の下

人間を襲うというシナリオがあった。

現在、人間とロボットのチェスや将棋の対戦など面白がられているが、人間が

逆立ちしても将来のAIの頭脳に勝てる訳はない。

手塚治がマンガで書いた人間とロボットの戦いのすストーリーは、科学技術の

進歩がこのような間違った方向へ進まないようにという警鐘であろう。

それにしても手塚治は凄い。

 

 

 

 


ブライトパス

2017-11-17 23:25:04 | 日記

 多くの人の命を奪っていく癌撲滅は世界人類の共通の祈願であるが 陽子線でも300万ほど

 かかると聞こえる私の耳に、オブジーボなる新薬を使った治療費は3000万とか聞けば

 驚きを通り越して笑えて来る。

 庶民が頑張ればどうにか手の届く、5万円位で済む画期的新薬ができないものかと常々思っ

 て来たが、癌の免疫医療の治療が脚光を浴びているらしい。

 この免疫療法というやつ、効果もないのに看板だけのものもあるようで週刊誌や新聞紙面で

 注意喚起がなされているが、山中教授のIps細胞を使って元気に増やした免疫細胞を使うと

 いう表記ブライトバスという会社が進めている治験が最終段階になっており、昨日今日

 の株式市場を賑わしている。

 この癌の新薬が承認される確率は2万分の1 という極小の門で、世界の一流企業が

 第三相(最終治験)でポシャッタ例は数限りないという。

 いずれにせよ、日本で安価で使える副作用のない特効薬が一日も早く完成してほしいもの

 と願う。

 

 

 

 


西瓜畑け

2017-11-14 06:19:47 | 日記

蜂に刺された瞼は書くまでもなく、片目はお岩さんのように腫れ、熱と痛みで数日間寝込む

ことになったが、これ以降今に至るまで蜂恐怖症になってしまっている。

(ちなみに、熊ン蜂とは現在で言うスズメ蜂のこと)

さて、村の周りは田んぼばかりだが バスの道の向こうに外(ほか)と呼ばれていた場所

があった。

ここは田んぼの高さよりいくぶん高い丘状の大地で水田には向かず この地区の人が先祖代々

畑として受け継いで来たものである。

夏の日の夜 あたりは真っ暗だが勝手知ったる村の子供達と一緒にこの外(ほか)にいったの

だが そこには西瓜畑が広々とひろがっていた。

どこの家の西瓜畑か分かりもしないが、勝手に畑に分け入り西瓜の玉をポンポンと手で

叩いて音の良いのだけを割ったのだが、中は昼間の日照りでなま暖かく それと

無断の後めたさか、甘かつたのだが決して美味しいとはおもえなかった。

「甘くて苦い思い出である。」

今なら、当然、誰がやったのかや、警察沙汰云々になるところであろうが、噂にも

聞こえて来ず、村では 「どうせ子供のいたずらじゃろう」 と至極のんびりしたものだっ

たようだ。


熊ん蜂(クマンバチ)

2017-11-13 06:33:37 | 日記

八幡では普通の子供の私も ここ宗像では町の子供として珍しがられ 村の子供たちが

近くのいろいろな場所に遊びに連れ出してくれた。

当時は田んぼや畑に農薬を散布することはほとんどなく、田んぼの畦(あぜ)下の溝(水路)

に竹で編んだテボという籠を沈め、足で水をバシヤバシヤと叩いて籠やを上げると

小鮒や小エビやドジョウが跳ねた。

ある日、裏山の中腹に有る無人の神社で鬼ごっこなどして遊んでいた私達五、六人の子供

が遊び飽き 私がふと上を見上げると、屋根の下に何か大きな丸いものがぶら下がっている

のを見つけた。

年長の「やすあき」に尋ねると 「ありゃ熊ン蜂の巣たい 触らんがよか ! 」という返事

だったのだが 私がきれいな丸いしま模様がどうしても欲しくて 取ってくれるよう

重ねてねだると「やすあき」は「蜂が追いかけてきたらこの中え逃げ込むんやど」と私に

お堂の戸袋を指さした。

子供たちはその辺の竹を切り、葛のひもで三本ほど竹をつなぎ合わせて作った長い竿で

蜂の巣を突つき落として四方に逃げ散った。

私も 一目散にも戸袋に逃げこんで扉を閉めたのだが 目の上に激痛が走ったことを

今でも感覚として記憶している。

刺されて泣き叫ぶ私に、駆け寄ってきた「義男」が刺されたところに何かを塗ってくれたの

だが、それは小便と歯糞を混ぜたのだったという事を後から聞いた。

家に帰ると ばあちゃんからたいそう叱られたが 山椒の葉を自分の唾と混ぜて揉んだ

ものを膏薬で貼ってくれた。この意味で義男のつけてくれた薬?もあながち間違っては

いなかったのかも知れない?  ^^;

 


木炭バス

2017-11-12 06:05:18 | 日記

母の在所の宗像郡加藤村池浦と言ってもほとんど知ってる人は無いと思うが、宗像大社の

近くと言えば知ってる人が居るかもしれない。 

国鉄赤間駅で降りてそこから鐘崎行のバスに乗り、城山峠という上り坂にさしかかるとバス

は動かなくなることが多かった。 当時は戦時中のことでわずかなガソリンも戦闘機や戦艦や

戦車に回され、民間バスまでまわってこなかったのだ。

その結果、バスのエンジンは蒸気に改造され、バスの後部には木炭及びコークスを燃やす為の

鉄の大きな釜が取り付けられていた。

しかしこのバスは、このようなことで馬力が弱く、長い上り坂では進まなくなるので,乗客は

全員降りてバスを押すことになるのである。

今ではワンマンバスは当たり前だが 当時は女の車掌さんが必ず乗っていて、途中から

乗ってきたお客さんに車中で切符を販売したり、バスが停留所に近ずくと「次は〇〇で

ございます!  降車の方ありませんか?」と確認し 降りる人が 「降りまーす」

と言うと「次 降車願います」と運転手に告げ、降りる人のない時は

「次 降車有りません」と言う。

このように書くと何かのんびりとした田舎のバスを連想されそうだが、実際はそうでは

なく車内はみんな立ちっぱなしのすし詰め状況で、道路も国道を外れると舗装のない

凸凹道で、人は右に左に大きく傾いていたが、こんな中で車掌さんの仕事は大変であった

ろうとおもう。(車掌さんは紺の制服で白い大きな襟を出し、前部に腰のベルトに固定した

ガマ口風の大きなバックを着け、この中に切符やお金をいれていた。)

話はこれからも 横道やら裏道やらに反れますがご容赦を^^;