◆有田電信時代の思い出 ・吉木 安之1.役場から電信応答注意宿直室の窓がドンドンドンと叩かれる音に目が覚めました。「吉木さん佐賀電報から応答注意ですよ」と起こしてくださったのは有田町役場の当直の方です。この方の妹さんと私は小学校の同級生だったので、たまたまですが以前から存じ上げていました。お礼を言って仮眠室のドアを開け、電信室に入ると --・ ・・・・(GH=有田) --・ ・・・・ ・・--・ . . . 本文を読む
◆海上公衆通信50周年(昭和33年)を迎えて(座談会)(その2)
出典 長崎無線91年のあゆみ
5.住所不定は ダメヨ
司会:無線電報が受け付けられてから、船に届くまでの過程を教えてください。
亀山:熊本で . . . 本文を読む
わが国の海上公衆通信と呼ばれた無線による船舶と陸地間の電報の発着が始まったのは、明治41年(1908)5月に銚子無線局が開局してからのことです。
その1か月後には、長崎の五島列島にも大瀬埼無線局(後の長崎無線局)が開局したことは、すでに本ブログでもご紹介したとおりです。
「長崎無線91年のあゆみ」には、大瀬崎局の50周年を記念して開いた九州電電社内誌の座談会記事を収録されている。
今回は、その座談会記事により、明治の大瀬崎無線局の開局から昭和中期までのエピソードなど貴重な座談をご紹介します。
. . . 本文を読む