9/21はガックリ。
この所、チャート上の「出る」Entryタイミングだけに集中してきた。
ところが「引く」Exit(場合によってはNo Entry)のタイミングは難しい。
特に最近のようなトレンドレスでは場味が目まぐるしく変わる。
順張りでは、頭と尻尾を手数料に置いて行くから、身っ子がなくなってしまうことが多い。
だから十分な調整を済ませてブレイクに乗るまで、ジッと我慢のノーエントリーの習慣をつけなければ必ず負ける。
今週は、そこのセオリーの開発検証をして見たい。
今日も早朝登山をして来たが、つくずく山は罫線チャートに似てる。
高値安値切上げにヨコヨコ調整を入れてやっと頂上に取りつける。
高値安値の切下げで、登山口に戻れるわけだ。
問題は「引く」とき、多くは逆襲のシグナルであることが多い。
それにメゲナイで、どうそれをセオリー確立の検証材料に出来るかだ。
たまたま、単独登山のブログを見た。
~~~~~~~~~~~~~~~
出る・引くのタイミング・・・
・・・というけれど、これは、いつも意外に難しい。
山歩きをする以上、運・不運はつきものだと思うけれども、本当のところは、多くの部分が自己に起因するのであって、全く持って降ってわいたような災難というのは少ないものである。
だから、特に単独行であればよけいに、「出る・引く」の決め所が大切になる。
たとえば、「だいじょうぶかな?」と迷う状態になった時は、すでに危険の縁に立っている時であり、「ヤバイ」と感じた時は相当に深刻な事態になっており、そこから先は一気に、抜き差しならなくなっていく。
力量のそろったパーティであれば、双方がカバーしあって、何とでも過ぎていくことが、単独行ではそうはいかない。いつも、ワンランクアップして、危険は忍び寄ってきている。そして、脱出するすべもなくなってしまう。
単独行で、出るか引くかというタイミングというのは、実は、「だいじょうぶかな?」と不安や迷いを感じた所にあると思っている。コースの困難さや、行程の長さや疲れももちろん判断基準になるが、より以上に、自分の直感が警告をしてくれるものである。
その声を素直に受け入れて、あっさりと引くことが、単独行で身を守る秘訣だと思っている。
多分、そんな時に強引に出ても、多くの場合は幸運に支えられて、何事もないように行けてしまうだろう。しかし、何回となく出かける山行で、そういう警告を無視した強引さが、何回かに一回の確率で、致命的な結果を迎えることになる。
たとえば、社会で起こる事故の統計では、ふっと危ないなと思う・・・そんなことの繰り返しの中で、29回に1回はぞっとするような場面になり、300回に1回は大事故に至ると証明されている。単独行もよく似ており、不安な場面を強引に突っ切る習性を身につけると、確率的に、1回は、いつか必ず、致命的な場面になってしまう。
そして、それは、1回おこれば、すべてが終わってしまうのである。
山ヤは、その時々の偶然に助けられる安全を頼りにするのではなく、確率的でスタンダードな安全策を身につけることが大切で、特に単独行であれば、自分の内面に「大丈夫かな?」と、不安や迷うが起きた時が、その引き時だと思う。
膝がふっとすくんだような感じで動きがかたかったり、気持ちが思い切りよく前に出なかったり、怖さを感じて肩回りが固まってきたり、そういう兆候の中を感じ取り、臆病になり、あっさりと引くべきではないだろうか。
とりあえず無事に帰れば、また行けばいいのだし、もしもその予感が当たって、アクシデントに至れば次はなくなるのだから。そうでなくても、多くの幸運の中で生かされる単独行なら、その幸運をいつまでも大事にして、山を楽しまなくては損である。
気後れした時は絶対だめになるから、だめになる場面に至るまでに、引き際を早く確実にすることだろう。リラックスしていれば簡単につかめるホールドが、不安と迷いの中では、絶対につかめない。・・・というよりも、つかめないとそうそうに決めて、あきらめて、自分から落ちてしまう。
そんなものである。人間は、内面から崩れやすいのである。
人としての弱さには、きっと、逆らえない。
この所、チャート上の「出る」Entryタイミングだけに集中してきた。
ところが「引く」Exit(場合によってはNo Entry)のタイミングは難しい。
特に最近のようなトレンドレスでは場味が目まぐるしく変わる。
順張りでは、頭と尻尾を手数料に置いて行くから、身っ子がなくなってしまうことが多い。
だから十分な調整を済ませてブレイクに乗るまで、ジッと我慢のノーエントリーの習慣をつけなければ必ず負ける。
今週は、そこのセオリーの開発検証をして見たい。
今日も早朝登山をして来たが、つくずく山は罫線チャートに似てる。
高値安値切上げにヨコヨコ調整を入れてやっと頂上に取りつける。
高値安値の切下げで、登山口に戻れるわけだ。
問題は「引く」とき、多くは逆襲のシグナルであることが多い。
それにメゲナイで、どうそれをセオリー確立の検証材料に出来るかだ。
たまたま、単独登山のブログを見た。
~~~~~~~~~~~~~~~
出る・引くのタイミング・・・
・・・というけれど、これは、いつも意外に難しい。
山歩きをする以上、運・不運はつきものだと思うけれども、本当のところは、多くの部分が自己に起因するのであって、全く持って降ってわいたような災難というのは少ないものである。
だから、特に単独行であればよけいに、「出る・引く」の決め所が大切になる。
たとえば、「だいじょうぶかな?」と迷う状態になった時は、すでに危険の縁に立っている時であり、「ヤバイ」と感じた時は相当に深刻な事態になっており、そこから先は一気に、抜き差しならなくなっていく。
力量のそろったパーティであれば、双方がカバーしあって、何とでも過ぎていくことが、単独行ではそうはいかない。いつも、ワンランクアップして、危険は忍び寄ってきている。そして、脱出するすべもなくなってしまう。
単独行で、出るか引くかというタイミングというのは、実は、「だいじょうぶかな?」と不安や迷いを感じた所にあると思っている。コースの困難さや、行程の長さや疲れももちろん判断基準になるが、より以上に、自分の直感が警告をしてくれるものである。
その声を素直に受け入れて、あっさりと引くことが、単独行で身を守る秘訣だと思っている。
多分、そんな時に強引に出ても、多くの場合は幸運に支えられて、何事もないように行けてしまうだろう。しかし、何回となく出かける山行で、そういう警告を無視した強引さが、何回かに一回の確率で、致命的な結果を迎えることになる。
たとえば、社会で起こる事故の統計では、ふっと危ないなと思う・・・そんなことの繰り返しの中で、29回に1回はぞっとするような場面になり、300回に1回は大事故に至ると証明されている。単独行もよく似ており、不安な場面を強引に突っ切る習性を身につけると、確率的に、1回は、いつか必ず、致命的な場面になってしまう。
そして、それは、1回おこれば、すべてが終わってしまうのである。
山ヤは、その時々の偶然に助けられる安全を頼りにするのではなく、確率的でスタンダードな安全策を身につけることが大切で、特に単独行であれば、自分の内面に「大丈夫かな?」と、不安や迷うが起きた時が、その引き時だと思う。
膝がふっとすくんだような感じで動きがかたかったり、気持ちが思い切りよく前に出なかったり、怖さを感じて肩回りが固まってきたり、そういう兆候の中を感じ取り、臆病になり、あっさりと引くべきではないだろうか。
とりあえず無事に帰れば、また行けばいいのだし、もしもその予感が当たって、アクシデントに至れば次はなくなるのだから。そうでなくても、多くの幸運の中で生かされる単独行なら、その幸運をいつまでも大事にして、山を楽しまなくては損である。
気後れした時は絶対だめになるから、だめになる場面に至るまでに、引き際を早く確実にすることだろう。リラックスしていれば簡単につかめるホールドが、不安と迷いの中では、絶対につかめない。・・・というよりも、つかめないとそうそうに決めて、あきらめて、自分から落ちてしまう。
そんなものである。人間は、内面から崩れやすいのである。
人としての弱さには、きっと、逆らえない。