先日、バイト先の館長とお話をしていたら、面白いお話をいただきました。
現代の歴史認識に一石を投じるだろうと考えられている、環境考古学のお話です。
環境考古学というのは、安田喜憲先生(国立日本文化研究センター教授)によって確立された新たな分野で、
歴史において、人間の生活や文明が気候や地理的条件という環境要因によってどうのように影響を受けたのか、
ということに視点を置いた学問です。
一応、地理学の分野に属するようです(地理学が学際的過ぎるのでなんでもよい気がするのだが)。
地理学は、空間事象の学問だと思っておりますけれども、要するに自然と人間の関係を研究することですよね(たぶん)。
考古学は、遺跡から出土した土器を年代や様式で分類したり、といった学問ですよね(たぶん)。
環境考古学では、遺跡の土を採取し、土の中の花粉なんかで、当時の気候や森林変遷、水面の変動などを再現しています。
そして、その気象や植生の変遷などの環境が文明に大きな影響を与えたのではないか、とこういうわけです。
地理学を専攻していた人なら、聞いたことぐらいはあるかもしれません。
ボーリング調査
重い球を投げて、10本のピンを倒すというアレではありません
地中を掘って、過去の堆積物を分析するアレですよ。アレ。 …S原のじいさんが得意なヤツだよ…コンチクショウ(*`θ´*)
んで、ボーリングして、堆積物の中から花粉を採取します。
花粉ってのは強い膜をもってて、湿原や湖底などO2やO3の影響を受けないところに落下すると、
何万年でも腐らないで残るんですね。なので、年代測定なんかでもよくキーになります。
そんで、過去の植生や気候の変遷を読み取るにはもってこいなわけですな
安田先生が読み取った富山県大門町小泉遺跡の花粉のダイヤグラム↓
(参照:「環境考古学-WEB講義-」http://eco.goo.ne.jp/business/csr/lesson/feb02.html)
上図のように花粉によって縄文時代の森林状態が復元できるようです。
また、三内丸山遺跡の花粉分析の結果、三内丸山遺跡の土に含まれている花粉の
90%以上がクリの花粉という結果が出ています。自然の状態では、クリの花粉が90%以上もあることなど不自然であり、
縄文人がクリを栽培していた証拠と考えることができます。
縄文時代の人々は、森の時間とともに生きており、
春夏秋冬という日本の季節の循環にぴったりと適応した生活を送っていたようです。
季節ごとに変化する森を核にした循環システムとでもいうものが維持されていたということです。
ボーリング調査で堆積物の年代測定には酸素同位体による測定なんかがありますが、
これは50~100年ぐらいの誤差が生じます(第四紀学でやったー)
さらに詳細な年代測定の方法に、年縞の分析があります。
年縞とは湖底に毎年毎年静かに堆積して形成された年輪と同じもので、1年に1セットずつたまる堆積物です。
ってことは、1年単位で過去の環境変化を明らかにできるってことですよね スゲーよソレって!!!!!!!
年縞には、花粉、ケイソウ、プランクトン、粘土鉱物、あるいは大型の植物遺体まで含まれるため、
気温や水温だけでなく、植生の変化、海面の変動、洪水や地震の回数まで復元できるんだそうです。
福井県の水月湖の湖底で年縞が発見されました。↓ ←アジア初の発見らしいッス
(左写真参照:「Megumi Kato」 http://research.kahaku.go.jp/department/geology/old1/kato/index.html)
(右写真参照:「環境考古学-WEB講義-」http://eco.goo.ne.jp/business/csr/lesson/feb02.html)
この年縞の分析によって、水月湖周辺の自然環境の変遷が明らかになりました。
1万4800年前に、これまであった氷期を代表するツガなどの植物が激減し、
かわってブナやナラなどの温帯の落葉広葉樹にスギが混成した森が広がりが確認されています。
つまり、この時期に急激な温暖化が進んだと考えることができるわけです
そして、この氷期を代表する植物が姿を消して、温帯植物が現れるまで空白の500年間があるというのが解明されたようです。
そしてそして、この500年の間に、縄文時代の文化は出現したらしいじゃないですか キャーーーー!!スゴス!!スゴスヽ(゜∀゜)ノ!!
この時代に遊牧から定住へ、新しい生活様式を転換させ、縄文時代に入っていったのだと推測することができるそうです。
もう年縞スゴスヽ(゜∀゜)ノ!!スゴスヽ(゜∀゜)ノ!!
じゃあもう年代測定を全部年縞でやったら?とか思ったんですけど、なかなか見つかる代物でないようです。
あと湖とかでの発見じゃないと詳細な分析ができないそうです。
海とかのはダメんだってー(千年単位ぐらいでしか分析できないから)。
この学問の凄くいいなと、売りなんだろうな、というのは、
政治・経済・社会体制の変化から歴史を紐解く、ということではなくて、
気候や植生といった自然環境の変化から歴史を紐解く、というところにあると思います。
人と自然は切り離して考えることはできません。文明にも密接に関わっていると思います。
このような新たな視点からのアプローチに今後の注目が集まるのでは、そして、新たな発見があるのでは、と期待しています。
シータは言います 『鳥とともに春を迎え、森とともに生きよう。土からはなれては生きていけない』
ナウシカは言います 『森は世界を守ってる…でも…私たちが汚れそのものだとしたら…』
アシタカは悩みます 『森とともに生きる道はないのかと』
我々日本人は、肉食文化ではなく、漁業を生業とし、自然とともに生きてきた。
環境による視点から歴史が見直されるのであれば、
僕らの自然と生きる道を模索し、考える道しるべになるのかも、と思うのです。
今回は概要だけのパクリものなので、詳しい話は下記URLをご覧下さい
参照HP:環境考古学-WEB講義-
国際日本文化研究センター
国立科学博物館の研究活動
今日の一曲 井上杏美/君をのせて
現代の歴史認識に一石を投じるだろうと考えられている、環境考古学のお話です。
環境考古学というのは、安田喜憲先生(国立日本文化研究センター教授)によって確立された新たな分野で、
歴史において、人間の生活や文明が気候や地理的条件という環境要因によってどうのように影響を受けたのか、
ということに視点を置いた学問です。
一応、地理学の分野に属するようです(地理学が学際的過ぎるのでなんでもよい気がするのだが)。
地理学は、空間事象の学問だと思っておりますけれども、要するに自然と人間の関係を研究することですよね(たぶん)。
考古学は、遺跡から出土した土器を年代や様式で分類したり、といった学問ですよね(たぶん)。
環境考古学では、遺跡の土を採取し、土の中の花粉なんかで、当時の気候や森林変遷、水面の変動などを再現しています。
そして、その気象や植生の変遷などの環境が文明に大きな影響を与えたのではないか、とこういうわけです。
地理学を専攻していた人なら、聞いたことぐらいはあるかもしれません。
ボーリング調査
重い球を投げて、10本のピンを倒すというアレではありません
地中を掘って、過去の堆積物を分析するアレですよ。アレ。 …S原のじいさんが得意なヤツだよ…コンチクショウ(*`θ´*)
んで、ボーリングして、堆積物の中から花粉を採取します。
花粉ってのは強い膜をもってて、湿原や湖底などO2やO3の影響を受けないところに落下すると、
何万年でも腐らないで残るんですね。なので、年代測定なんかでもよくキーになります。
そんで、過去の植生や気候の変遷を読み取るにはもってこいなわけですな
安田先生が読み取った富山県大門町小泉遺跡の花粉のダイヤグラム↓
(参照:「環境考古学-WEB講義-」http://eco.goo.ne.jp/business/csr/lesson/feb02.html)
上図のように花粉によって縄文時代の森林状態が復元できるようです。
また、三内丸山遺跡の花粉分析の結果、三内丸山遺跡の土に含まれている花粉の
90%以上がクリの花粉という結果が出ています。自然の状態では、クリの花粉が90%以上もあることなど不自然であり、
縄文人がクリを栽培していた証拠と考えることができます。
縄文時代の人々は、森の時間とともに生きており、
春夏秋冬という日本の季節の循環にぴったりと適応した生活を送っていたようです。
季節ごとに変化する森を核にした循環システムとでもいうものが維持されていたということです。
ボーリング調査で堆積物の年代測定には酸素同位体による測定なんかがありますが、
これは50~100年ぐらいの誤差が生じます(第四紀学でやったー)
さらに詳細な年代測定の方法に、年縞の分析があります。
年縞とは湖底に毎年毎年静かに堆積して形成された年輪と同じもので、1年に1セットずつたまる堆積物です。
ってことは、1年単位で過去の環境変化を明らかにできるってことですよね スゲーよソレって!!!!!!!
年縞には、花粉、ケイソウ、プランクトン、粘土鉱物、あるいは大型の植物遺体まで含まれるため、
気温や水温だけでなく、植生の変化、海面の変動、洪水や地震の回数まで復元できるんだそうです。
福井県の水月湖の湖底で年縞が発見されました。↓ ←アジア初の発見らしいッス
(右写真参照:「環境考古学-WEB講義-」http://eco.goo.ne.jp/business/csr/lesson/feb02.html)
この年縞の分析によって、水月湖周辺の自然環境の変遷が明らかになりました。
1万4800年前に、これまであった氷期を代表するツガなどの植物が激減し、
かわってブナやナラなどの温帯の落葉広葉樹にスギが混成した森が広がりが確認されています。
つまり、この時期に急激な温暖化が進んだと考えることができるわけです
そして、この氷期を代表する植物が姿を消して、温帯植物が現れるまで空白の500年間があるというのが解明されたようです。
そしてそして、この500年の間に、縄文時代の文化は出現したらしいじゃないですか キャーーーー!!スゴス!!スゴスヽ(゜∀゜)ノ!!
この時代に遊牧から定住へ、新しい生活様式を転換させ、縄文時代に入っていったのだと推測することができるそうです。
もう年縞スゴスヽ(゜∀゜)ノ!!スゴスヽ(゜∀゜)ノ!!
じゃあもう年代測定を全部年縞でやったら?とか思ったんですけど、なかなか見つかる代物でないようです。
あと湖とかでの発見じゃないと詳細な分析ができないそうです。
海とかのはダメんだってー(千年単位ぐらいでしか分析できないから)。
この学問の凄くいいなと、売りなんだろうな、というのは、
政治・経済・社会体制の変化から歴史を紐解く、ということではなくて、
気候や植生といった自然環境の変化から歴史を紐解く、というところにあると思います。
人と自然は切り離して考えることはできません。文明にも密接に関わっていると思います。
このような新たな視点からのアプローチに今後の注目が集まるのでは、そして、新たな発見があるのでは、と期待しています。
シータは言います 『鳥とともに春を迎え、森とともに生きよう。土からはなれては生きていけない』
ナウシカは言います 『森は世界を守ってる…でも…私たちが汚れそのものだとしたら…』
アシタカは悩みます 『森とともに生きる道はないのかと』
我々日本人は、肉食文化ではなく、漁業を生業とし、自然とともに生きてきた。
環境による視点から歴史が見直されるのであれば、
僕らの自然と生きる道を模索し、考える道しるべになるのかも、と思うのです。
今回は概要だけのパクリものなので、詳しい話は下記URLをご覧下さい
参照HP:環境考古学-WEB講義-
国際日本文化研究センター
国立科学博物館の研究活動
三内丸山の話,おもしろいよね.追記すると,栽培されていたと推測される証拠に,クリ花粉のDNAパターンが非常に似ているそうです.バンドみたら似てたなぁ.
スケールの大きな話ですなぁ
そのままプレゼンいけるのでは?
ナウシカについては、前にプレゼンしましたよ~。人間と虫(自然)との共存の仕方について、みたいな、そおんなことを。
共同研究者がそちらのご教授様でしたか!!
こういう授業とか受けたかったなぁ~ うらやましい
DNAパターンって!ン万年前のDNAが解析できるって凄いよね。
ちょっと怖いけど
>タカミホさん
いやいや~ 全然まだまだですよ。こんなもんじゃ
とりあえず本買ってこようかなーって。(って買ってないのかよ)
ナウシカおもしろいですよね 漫画のナウシカで、倫理の教材作ったことありますよ~
光と闇が生と死だとか、そおんなことを