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冊子として発売中

2007-11-16 20:32:37 | 高平小五郎の隠密外交

London1   『高平小五郎 ロンドンからの暗号電報―T.ルーズヴェルトとの密談』と題する冊子を発行しました。

著者は平野恵一、発行所は(株)富英社で定価千円です。

『ニューヨークに輝く高平小五郎』の第二弾で、彼が在米公使になるまでの足跡と、前作では紹介できなかった部分を追記しました。

そして、前米大統領との「密談」を中心に、日米外交史に燦然と輝く無任所大使としての功績を紹介しています。

  表紙には、著者が発掘した「暗号電報」が、裏表紙には、その草稿原稿と若き外交官時代の高平の写真が使われています。

高平が日本外交官の先達の一人であったことに、ご納得頂けると存じます。

London2_3 松村正義元帝京大学教授からは、「歴史上大きな新事実の発見」との評価をいただきました

岩手日報 2007年11月15日に掲載されました)。

・下記の店頭で販売中です。

一関市;北上書房
盛岡市;東山堂、ジュンク堂書店
新宿区;紀伊国屋書店新宿本店

・また、下記へ、直接お申込みくだされば郵送いたします。
(株)富英社
tel&fax;03-3362-8971 メール;
hiranoke@hiyper.ocn.ne.jp


7 高平は生きている

2007-03-01 21:34:40 | 高平小五郎の隠密外交

 ある人物の肉体が朽ちても、他の人に想われている限り、その人は想う人の心で生き続けるという考えがある。
 先人の功績は忘れられがちである。たんに忘れられるだけではなく、実像とは相容れない虚像だけが残されることも珍しくない。司馬遼太郎によって「坂の上の雲」と題する小説に描かれた高平像は、筆者にとって全くの虚像に過ぎない。
 この虚像を疑い、高平の真の姿を手探りで捜し求めてきた者として、今回、高平の功績となる新事実を追加できたことは、うれしいことである。
 筆者にとって、高平は今でも生きている。(以上、2007年2月記)


6 重圧からの解放

2007-03-01 21:33:01 | 高平小五郎の隠密外交

 高平は、1914(大正3)年に六〇歳をもって外務省を退官し、1917(大正6)年には貴族院議員に勅撰された。この時期の、彼の活躍を示す記録は、現在見つかっていない。筆者は、彼とルーズヴェルト元大統領の個人的友好関係は、1919年の元大統領の死まで続いたものと考えている。その意味で、政府の意を受けた彼の活動がその後も続いた可能性は否定できないが、裏付ける資料は発見されていない。
 しかし、彼の生涯を振り返れば、重圧の連続であったと推測される。彼は田村藩の医師、田廼崎三徹の三男として生まれ、幼名を恒道といった、その優秀さを見込まれて、10歳頃に田村藩士高平真藤の養子となった。そして明治維新後、(朝敵)田村藩派遣の貢進生として、大学南校(東京大学の前身)に進んだ。それから外交官としての人生を歩んだ。この経歴をから読み取れるのは、一族の家名、一藩の名誉、日本の国益を担うことの重圧である。
 筆者としては高平の活躍を期待する反面で、これらの重圧から開放された退官後の期間が、(貴族院議員ではあったが)高平小五郎とって、最も人間らしく過ごすことのできた時期であったと想像したい。
 彼は1926(大正15)年11月28日に大往生を遂げた。30日の朝日は、「高平男爵逝去す 日本外交の功労者」として二段抜きで、正装の写真入り記事で彼の功績を讃えた。


5 ロンドン密談の成果

2007-03-01 21:31:49 | 高平小五郎の隠密外交

 ロンドンで、高平とルーズヴェルトと密談したことはこの手紙で、アメリカ側からも証明された。そして、満州問題の重要性について日本の基本方針をアメリカ大統領に伝えることに、高平が成功したことも証明された。この方針が、(現在はともかく)敗戦までの日本の国策であったことは間違いない。それ故に通常の外交ルートに上乗せして、このメッセージを伝える必要があったのであろう。
 そして、書簡に示されているルーズヴェルトの日本観は高平を通して、主として入力されたものと、筆者は理解した。在米大使を離職していた当時でも、高平がルーズヴェルトと直接話し合える関係を維持できていたことは、間違いない。
 外交・交渉力は国力、端的には武力を背景としていることは当然である。その上で、個人的な友好関係を保つために、高平は個人的な努力を続けていたのであろう。
 なお、筆者は前著「ニューヨークに輝く高平小五郎」では、1909年帰国時の高平は聴力に問題があったのではないかと考えていたが、この隠密行動(おそらくは単独行動)では、そのハンディを窺わせていない。休養中に聴力が回復したのであろうか。


4-1 書簡の概要

2007-03-01 21:25:28 | 高平小五郎の隠密外交

・一般論として、政府の行動が誤解に基づいて決定されることは避けがたいものですし、日本自身にも、誤解を招いた責任があります。これに関連してノックス国務長官には話してありますが、この春ロンドンで私を探し当てた高平が、日本政府がこの案件を如何に重要視しているかを私に伝えました。(原文では"Takahira sought me out in London last spring, to tell me how strongly the Japanese felt on the matter"とあり、個人名が明記されている。)
・日本政府には米国以外の事項に関心と興味を持ち続けさせ、同時に日本との親善関係を維持することは、我が国の国益に合致することです。他方、日本の主要関心事項は満州と朝鮮です。
・満州に関して大事なことは、理由の有無にかかわらず、日本政府に米国への敵意を持たせてはならないということです。
・日本との戦争で、米国が勝つには、英国並みの海軍力に加え、ドイツ並みの陸軍力が必要です。
・満州が日本にとって大問題であるが故に、日本の満州内政への干渉を止めさせることは、事実上困難です。
・日本とロシアの友好関係は、表面上増進されています。とは言え、ロシアが日露戦争の復讐の機会を虎視眈々と狙っていることを、日本は充分理解しています。(著者注:現に、ソ連のスターリン首相は、第2次世界大戦での勝利後に「日露戦争の仇をとった」と発言した。)