清帝国の最盛期、康熙帝、雍正帝、乾隆帝の3世代約90年にわたって整備
されたサマーパレス、それが避暑山荘。
と聞くと豪勢なものを予想するが、案外質素。
北京の当時の一般的な家屋である四合院(しごういん)造り、平屋の建物が
多い。

門構えの方がむしろ立派なくらい。


例によって、混雑と混沌。
獅子が玉を制している、皇帝の象徴の一つ。

ああ、人だかり。

避暑山荘の扁額、こっからが本当の入り口みたいなもの。

虎の皮の壁、と呼ばれる石住の壁。写真は山荘内部から見たもの。
外側はひたすらこの壁が連なっている。

油松という種類の松。樹齢数十年から百年以上と言うが、日本ではせいぜい20年くらい
の太さにしか見えず、そうじてこの国の木々は生育が悪いと思う。
ちなみに一本一本の木に避雷針が付けてあるとか。絶句。
避雷針の有効範囲は半径100Mほどの同心円だと聞いたことがあるが、そうだとすれば、
せいぜい5本も付ければいいものを、ご丁寧に数十本に付けてあるとか。世界文化遺産なの
は判るけど・・・。


畏れ多くも皇帝の玉座に直筆の書を基にした扁額なるぞ、控え、控えぃ。ってな感じ。

これも視にくいですが、御輿、これに乗って北京は紫禁城からヨットこさ。何日かかった
んでしょうね。300KM以上mなので十数日、下手すると二十日以上はかかったんでしょ
うね。

玉座を見る人のカタマリ。当時の皇帝は思いもしなかったであろう光景。


非常にわかりにくいですが、西太合の履いていた靴と書の複製。ほかにも生活用品などが
ありましたが、ガラスの反射で写真にはならず。

彼女の暮らしたスペースは質素で、寝室、会見準備室兼生活室、そして会見室兼居間と
6帖3間程度しかない。
食事とかほかの建物でとったんでしょうけどね。

建物裏の記念撮影スポット。
引く続きお庭部分のほんの一部を見学しました。狩場や山の庭園もあって、実際は広大で
1日かけても回れません・・・。
続きは次回。
(続く)
されたサマーパレス、それが避暑山荘。
と聞くと豪勢なものを予想するが、案外質素。
北京の当時の一般的な家屋である四合院(しごういん)造り、平屋の建物が
多い。

門構えの方がむしろ立派なくらい。


例によって、混雑と混沌。

獅子が玉を制している、皇帝の象徴の一つ。

ああ、人だかり。

避暑山荘の扁額、こっからが本当の入り口みたいなもの。

虎の皮の壁、と呼ばれる石住の壁。写真は山荘内部から見たもの。
外側はひたすらこの壁が連なっている。

油松という種類の松。樹齢数十年から百年以上と言うが、日本ではせいぜい20年くらい
の太さにしか見えず、そうじてこの国の木々は生育が悪いと思う。
ちなみに一本一本の木に避雷針が付けてあるとか。絶句。
避雷針の有効範囲は半径100Mほどの同心円だと聞いたことがあるが、そうだとすれば、
せいぜい5本も付ければいいものを、ご丁寧に数十本に付けてあるとか。世界文化遺産なの
は判るけど・・・。


畏れ多くも皇帝の玉座に直筆の書を基にした扁額なるぞ、控え、控えぃ。ってな感じ。

これも視にくいですが、御輿、これに乗って北京は紫禁城からヨットこさ。何日かかった
んでしょうね。300KM以上mなので十数日、下手すると二十日以上はかかったんでしょ
うね。

玉座を見る人のカタマリ。当時の皇帝は思いもしなかったであろう光景。


非常にわかりにくいですが、西太合の履いていた靴と書の複製。ほかにも生活用品などが
ありましたが、ガラスの反射で写真にはならず。

彼女の暮らしたスペースは質素で、寝室、会見準備室兼生活室、そして会見室兼居間と
6帖3間程度しかない。
食事とかほかの建物でとったんでしょうけどね。

建物裏の記念撮影スポット。
引く続きお庭部分のほんの一部を見学しました。狩場や山の庭園もあって、実際は広大で
1日かけても回れません・・・。
続きは次回。
(続く)