ひさらのきまぐれ。

多趣味だけどどこかぼんやりな私(ひさら)の気まぐれブログ。
趣味の話、日々の話。

「未来をひらく 福澤諭吉展」(東京国立博物館)

2009年02月17日 | 展覧会(美術館・博物館)
東京国立博の表慶館で開催されている「福澤諭吉展」を見てきました。→公式HP「未来をひらく 福澤諭吉展」

ポスターなどには若き日の福澤の写真が引き伸ばされ、その上に大きく白抜きで「1858+150」と筆算風のロゴがデザインされています。
慶應義塾創立150年を記念した展覧会ということで、そういうデザインになっているのだと思いますが。
単純に足し算すると1858+150=2008なわけで。ここまで堂々と出されると「(ぴったりなのは)去年やん!」という突っ込みを入れたくなります
…ワタシダケ?

まぁ、それはともかく。

流石、創立者の展覧会とあって動員がかかってたんでしょうか(笑
普段の東京国立博物館、しかも表慶館の前ではついぞ見たことのない、大きなスポーツバッグ(勿論、ペンのマークだの、KEIOの文字だのが躍っているもの)をどっかと地べたに積んだ女子たち男子たちが集まっておりました。
いやはや。
これをきっかけにして彼や彼女たちが博物館って結構おもしろいね、なんて思ってくれたら、嬉しいのですけどね。
とりあえず、そのジャラジャラとマスコットのついた携帯電話はポッケに入れててもいいけれど(殆どはみ出してるけど・笑)電源落とす、せめて音が鳴らないようにしてください。展覧会鑑賞のマナーです。お願い。

さて、内容ですが。
最初の部分は大変興味深く見ました。
慶應義塾が設立されることや、福澤諭吉がたくさん本を書いたことなどは当然知られているわけですが、生い立ちからその生涯をつぶさに追ったことはなかったので。一つ一つの展示と、丁寧なキャプションを読みつつ見進んでいくと、かなりの情報量があって大変面白かったです。

特に福澤本人の家族についての考え方については、確かに本では読んだことがあってエピソードとしては知ってたつもりでしたが。遺品や古い写真を直接目にしつつ見たことによって、深く印象に残りました。

中でも。「僕は4人の子供が全て娘だったとしても、ちっとも残念だとは思わない」という語録が残っているそうで。お嬢さんたちを写した写真と共に紹介されていました。

時代がどうあれ、娘を大切に思わない父親なんていないと思うのですが。何事も心情ではなく、現実なわけで。後継ぎの男子に恵まれなければ、どんなに娘が可愛くったってそこまで悠長にはしてられないご時世。
その時代にこう言いきってしまえるというのは福澤という人柄なんだろうなぁと妙に感心してしまいました。

展示品そのものはとっても地味なんですけどね(笑

慶應義塾にとって150周年記念事業の一環ということですので、いわゆる「内輪受け」っぽいことはあってもいいかな、と思うんですね。まぁ、人情ですよね。
一般の来館者からすると、福澤時代以降近年になってからの写真だのなんだのというのは、見ても今一つ思いいれられないものですが。在校生、卒業生たちにとってはそれぞれ思い出の写真なわけですから。
内輪受けまでは許容範囲内です。

それより後の部分がいただけなかったです。
慶応門閥のオンパレードで、みえみえの「こじつけ展示」が展開されていたもので。。。
義塾の卒業生、そのネットワークという話まではまだよかったのですが。
最後の美術品大集合には、ちょっと首をかしげてしまいました。
五島美術館など名だたる名品を所蔵する美術館の逸品が展示されていたのです。

展示がまた効果的に行われていて。部屋から部屋へ移動した、その真正面に、ポンとに仁清の茶碗が見えるように作ってあるのです。
福澤諭吉、慶應義塾、と見てきたのに、え???なんで仁清??と驚きます。
展示室に入って作品に近寄ってキャプションを見ると、それが塾生による旧蔵品であったことが記されているわけです。
周囲を見回せば、あれもこれも名品として聞こえた(何度も見たことがあるような)美術品ばかり。
ただ、それがなんの脈絡もなくただ並べられている。
旧蔵誰誰というのが重要だから。

うーーーーん。
ここまで広げるのはどうなんだろう。

福澤諭吉自身が美術品を集めていて、それに薫陶を受けた人々が集めたというのであれば意味がわかりますが。福澤自身は美術収集という趣味は全くなかったようですし、特に造詣が深いというエピソードも残されていない。
卒業生たちが美術品を大学に寄付したから、実はこれら全部大学が持ってるんですよー!というのだったらそれはそれで、慶應義塾の展示、になってると思うんですが。(図書館のステンドグラスの図案とか、とても興味深く見ましたし)

塾生の一部にそうい数寄者がいたというのは事実だとしても、それは今回の展示とは関係ないんじゃないのか???と。
例えば、益田兄弟が収集した美術品がたくさん出品されていたのですが。彼らにとっては美術収集関係で一番影響力があったのは、他でもない長兄の益田鈍翁であっただろうと思われ。その鈍翁は塾生じゃないわけですよね。
とすれば、この美術品と慶応義塾って直接は関係ないんじゃないの?ってな具合です。

同行者と、帰りに感想を言い合ったんですが。
第一声が異口同音。
「仁清の茶碗、やりすぎじゃね?」でした(笑
やっぱりね

つまるところ。
記念事業ということで、卒業生関連企業、団体からの寄付なども期待しているところもあったりするのでしょうし。あちらを紹介したらこちらも紹介せねば、的な「心配り」の展示になっていたのだと理解しています。

いろいろ大変なんだよね。大人の世界って(笑


最新の画像もっと見る

コメントを投稿