ひさらのきまぐれ。

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「皇室の文庫(ふみくら) 書陵部の名品」展(三の丸尚蔵館)

2010年10月13日 | 展覧会(美術館・博物館)
皇室の歴史と文化的伝統を具象する書陵部の図書、記録、考古品等を、まとまった形で広く一般に紹介する初の試み。
数は少ないけどどれもが、ああ、あれか!と思う名品ばかり。
毎年行われてきた書陵部資料展示会(マニアックでかなりディープ、特定の研究者、関係者向け)とは随分と印象が違います。

大河ドラマの影響もあって、入館者数も驚くほどで。図録の売れ行きも抜群なんだそうです。
完璧に読みを間違えた!と担当者が言っておられました(笑

大河ドラマの影響なのは、展示品「坂本龍馬裏書(木戸家文書)」に黒山の人だかりがあるので一目瞭然。
坂本龍馬の文字は紙の裏で、表は木戸孝允の書簡。薩長同盟の箇条を書きつけたもの。
「もしこの内容に間違いがあれば存分に訂正して欲しい。裏に署名をして送り返してもらいたい」という木戸からの要請に従って、手紙の裏に「表の通りで間違いありません」と坂本龍馬が朱で書いて送り返した。送り返されたから木戸の手紙なんだけど、木戸家に残ったというワケです。

木戸の書いた手紙、しかも薩長同盟の内容を確認する手紙なのに、なんで木戸家にあるんだ?2通作ったのか?コピー?もしかしてニセモノなんじゃないか、などと言ってるオジサンがいました…。ニセモノじゃないですって((^^;; これで謎が解けたでしょうか(←オジサンこのブログ読まないし・苦笑)

木戸家文書にこんなに人が集まっているのを見たのは初めてです(笑
いやぁ、大した人気ですね。
ドラマの中でも、書いているシーンが出てきたので皆さんの興味を誘ったのでしょうか。

私としては、その裏側に展示してある「五箇条の御誓文(原本控)」も合わせて鑑賞していただきたいポイントです。
今、大河ドラマでは坂本が大政奉還を迫る運動を始めたところですが。
この五箇条の御誓文の原案は、由利公正が起草し、土佐藩士福岡が加筆、改定したものとされているのです。こういったところにも幕末維新期、明治新政府樹立期における土佐藩の動き(暗躍?)は見てとれます。
書いたのは有栖川宮幟仁(たかひと)親王。原本も有栖川宮の書で、現在東山文庫蔵。同じ人が書いた殆ど同じ紙なのになぜ「原本控」か、というと。
よーーーく見ると、五箇条の御誓文なのに、五カ条の次の行の頭に「一、」という文字が誤って書かれているのですね。まるで六条目があるかのように。で、チョンチョンと消してある。
よって本番に使われたものではなく、有栖川宮家に残されたものだということが分かるのです。
きちんと清書しなおしたものがあるのに、間違えた方が展示されてしまうのですから、有名人も大変です(?)。

私としてはもう一つオススメが、尾形光琳の「後水尾天皇御画像」。
琳派の祖としてワールドワイドに有名、人気の光琳ですが。人物像はかなり珍しいのです。
しかもそれが天皇像というのだから、興味深いではありませんか。

この画像は光琳の署名から考えて天皇崩御後、直接本人をスケッチしたのではなく、既にあった誰かの筆になる後水尾天皇画像にならって描いたもの、ということが出来そうです。

そもそも天皇を描くというのは大変なんです。何せ、「直接顔を見てはいけない」という決まりごとがあるんですから。
体の方は服装、持ち物、ポーズに決まりごとがあるので、像の主が決まれば自然と決まってくる場合が多いですから、問題は顔。
天皇の顔を見るどころか、直接会うことすらもってのほかという時代。いくら画像を描くと言っても一介の絵師なんぞがそれを望むべくはなく。
後水尾天皇の場合は弟が顔の部分の写生をし、それを絵師たちが写して全身像にするという手順が踏まれました。
そのあとは、出来上がった全身図を基に、他の絵師たちが複製を作っていく。
(後水尾天皇の画像は歴代天皇の中でも抜群に多い)
光琳の場合も出来上がったその中の一つを参考にして描いたのでしょう。

ただ筆の運び方や、署名の仕方などから、光琳筆の他作品に比べて非常に丁寧であることが分かる(のだそうです。専門家によると)。
「天皇画像を描く」ことに対する光琳の特別な思いがそこに表れているのかもしれません。

今回の展覧会に取材に訪れた某通信社記者(女性)さんが、一番印象に残ったと言っていたのは、埴輪でした。
仁徳天皇陵で発掘された馬や犬の埴輪(部分)が展示されているのです。
体全体が残っているわけではないので想像で補うしかないですが、犬とされているものは、もしかしたら鹿かもしれない、と最近の研究者は言っています。
また、埴輪というと動物や人物像がなんとなくイメージされますが、今回は家(とその囲い)も展示されています。
出雲大社のような屋根を持った家が生垣(?)の中に立っている様子が再現されているのですが。
何か特殊な場所を示すものとして埋められたのだろうという話で、詳細にわたる研究はまだまだこれからということのようです。
仁徳天皇陵という名前こそ、教科書にも載っているしとても有名だけれど。まだまだ解明されない古代の謎と言うのはいっぱいあるものなんですね。

公開期間はあとわずかですが。入場無料でもあります。
是非お得な展示会を、この機会に。
(※私別に回し者じゃありませんが…)

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