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2007年ナポレオン・ヒル・インターナショナルコンベンション参加レポート

2011年09月26日 | ナポレオン・ヒルについて
■2007年ナポレオン・ヒルツアー&コンベンション

3月4日(月)~16日(金)の12日間をかけて、「ナポレオン・ヒル・インターナショナル・ツアー&コンベンション2007」が開催されました。

「ナポレオン・ヒル・インターナショナル・ツアー&コンベンション2007」と題するこのイベントは、ナポレオン・ヒル財団の「世界をより住みやすい場所にする」と言うミッションのもと、多様性とニューアジアを象徴する国、独立50周年を迎えた、マレーシアにて開催されました。

ツアーは、世界から集った参加者を伴いながら、東洋の真珠と称され、現マレーシア首相の生誕地でもあるペナン島に始まり、お茶のメッカである高原-キャンメロンハイランド、東のビーチリゾート-クラブメッド・チェラティン、新行政区プトラジャヤなどを巡り、各地で世界の財団公認インストラクターが、ヒル博士の17の成功哲学をレクチャーして回るというもの。

また、3月12日(月)13日(火)の両日を通しては、プトラジャヤにある巨大なコンベンションセンターPICCにて、ゲストスピーカーたちが、ヒル博士の哲学をいかにして自分の人生に活かし、成功したのかをスピーチする、インターナショナル・コンベンションの二部で構成されています。

開催期間を通し、マレーシアの豊かな自然を体感しながら、「世界をより住みやすい場所にする」ために、それぞれが善く生きるということを、ヒル博士の哲学を通して互いに深めあう、そんな素晴らしいイベントとなりました。

12日(月)のインターナショナル・コンベンション開催のオープニングには、マレーシア第五代首相であるアブドラ・バタウィ氏が来場され、20分にも及ぶ、心からのスピーチをいただきました。
そしてこの度、マレーシア発展に貢献してきたアブドラ・バタウィ氏の功績に対し、ナポレオン・ヒル財団より、「グローバル・リーダーシップ」のアワードが授与されました。

またその後も、財務大臣イェン・イェン女史、観光大臣テングク・マンソール氏等、マレーシアを支える要人たちが続々と会場へ駆けつけました。

開催当日の夜に催されたパーティーでは、マレーシア国王が列席なさる予定でしたが、急遽体調の都合で今回はキャンセルとなってしまいましたが、それでもとにかく素晴らしいコンベンションでした。

ヒル博士の哲学を教育に反映させていくことは、マレーシアの更なる発展につながっていくとの見解を、それぞれの方が口にされ、まさに国策としてヒル哲学を国民に普及していくというような勢いを感じました。その模様は、翌朝すぐさま地元有力紙「スター新聞」を通じて、マレーシア全土へと報じられました。


■マレーシアについて

イギリスからの独立50周年を迎えるマレーシアですが、近年の目覚しい経済発展を牽引してきたのが、第四代首相のマハティール・ビン・モハマド氏でした。マハティール首相は22年もの長きにわたる政権を通し、欧米からではなく日本や韓国などのアジアから国づくりを学ぼうという「ルックイースト政策」や、2020年までに先進国入りを果たそうという30年間ヴィジョン「ヴィジョン2020」を打ち出してきました。

氏のヴィジョンは見事に結実し、新空港を始め、鉄道、地下鉄、モノレール、道路住宅はことごとく新しく整備され、ペトロナス・ツインタワー、マレータワーは国家発展の象徴としてクアラルンプールの街に高々とそびえ立ち、ハイテク工業団地「サイバージャヤ」や行政都市「プトラジャヤ」がその基幹を動かし、世界的コンベンションセンターKICC、PICCが用意され、豊富な観光資源を活かした大型リゾート施設が数多く開発されてきました。

また、そうしたハードだけではなく、それを動かしているソフトとしての“人”づくりも同時に行っていきました。英語はもとより、主張ができる力、おもてなしの心、多様性を受け入れる柔軟な発想、そして世界の優れた先端の教育ノウハウを躊躇なく取り入れていったのでした。

一通りの成果を得た2003年には、副首相であった、アブドラ・バタウィ氏にその座を譲り渡したのでした。第五代首相となったアブドラ・バタウィ氏は、前首相がバランスを取り得なかった、マレー系、中国系、インド系という異なる3種の多様性(ダイバーシティー)を受け入れ、グローバルな視点でアジアをリードしていくという考え方と、その業績に対して、この度ナポレオン・ヒル財団より「グローバル・リーダーシップ」のアワードが授与されたのです。

■クリスティーナ・チア女史について

そのマレーシアにあって、ナポレオン・ヒル博士の哲学を20年にもわたって普及し続けてきたの人が、今回のマレーシア側の主催者である、クリスティーナ・チア女史です。米国公認インストラクターでもある女史は、「ナポレオン・ヒル・アソシエイツ」の代表として活躍し、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、インドネシア、タイへもその活動を広げ、書籍、セミナーなどの多くのコンテンツを通して、ヒル博士の哲学を普及してきました。

そうした長年にわたる地道な普及活動を通して、着実にリーダー層へとそれらを広げ、今回の首相、財務大臣、観光大臣そして国王のコンベンション参加にまで、気運を高めていったのです。それはまさに、クリスティーナ女史の強い信念と、それを支えるマスターマインドに基づく成果に他なりません。
かつて、アジアでは、初代フィリピン大統領のマニュエル・ケソンがそうであったように、またインド独立の父、マハトマ・ガンジーがそうだったように、ヒル博士の哲学は、独立の自主の精神と国家の運営へと活かされてきました。
思えば、ウッドロー・ウィルスン大統領、ウィリアム・タフト大統領、フランクリン・ルーズベルト大統領なども、ヒル博士の哲学に触れていたことを思えば、マレーシアにおいても政治や教育にこの哲学を活かそうというのは、当然のことと言えるかもしれません。

■ツアー&プレゼンテーション

さて、今回ツアーでは、世界の公認インストラクターたちが以下のとおり、各地を巡りながら、ヒル博士の17の哲学をレクチャーして周りました。

日本からは、日本人として初の米国財団公認の栄をいただくことができました私と、アジア/太平洋本部のインストラクターである鈴木氏による、「チームワーク」のレクチャーが、東のビーチリゾート、クラブメッド・チャラティンの開放感ある自然な空気の中で行われました。

米国財団本部にて現在開講されている、インターネットを通した「ディスタンスラーニング」コースのインストラクターであり、米国パデュー大学にて、はじめて開催された「PMAコース」のインストラクターとしても活躍されてきたライト教授の「資金と時間の活用」のレクチャーは、さすがのいぶし銀で、参加者からの敬愛を受けていました。

また、「クリエイティヴ・ヴィジョン」のセッションでは、自然から感じるワークとして、米国パデュー大学構内にある「ナポレオン・ヒル・ワールド・ラーニング・センター」にてジュディー・ウィリアムソン女史のサポートを担当している公認インストラクタ-、ユリエル・チノ・マルティネス氏による、ラビリンス(迷宮)を歩く実習、ナポレオン・ヒル財団副理事長で弁護士のマイク・バトル氏による「タイチ」の講習へと続きました。

ここクラブメッド・チャラティンにて私のルームメイトになったのが、ナイジェリアから単身やってきたチマでした。
現在35歳の彼はイタリア、ピレリ社のナイジェリア法人で働いていましたが、そこを解雇されてしまったのです。もともとクリスチャンの彼は、バイブルの大切さを知ってはいましたが、日常への実用化の難しさを感じていました。そんな中で出会ったのがヒル博士の「Think&Grow Rich」でした。これだと思いすぐさまインターネットで財団を調べ、「ディスタンスラーニング」コースへの入学を決めたのです。
以来ライト教授のかわいい教え子として、学び、そこを卒業し、推薦を受けて今回の参加につながりました。

なんと言っても、米国財団公認インストラクターとなること。
そんな決意を持っての単身での参加でした。
一緒に部屋にいると夜中に(時差の関係で)何度も現地から彼の携帯に電話がかかって来ていました。(眠いのにそのたび起こされました・・・)
電話はどれも20秒ぐらいで切れてしまいます。それは、遠くナイジェリアからの電話です。きっと電話代がかさむからですね。それらはすべて奥さん、両親、兄弟、友達からの「受かったのか?」「無事か?」という心配の声でした。どこの国も同じですね・・・。
彼の夢は教会を立てる事だそうです。

そしてツアーは、いよいよコンベンションホールへ。プトラジャヤにあるPICCへとたどり着くと、今までツアーで見ていた人たちの顔が、大きな看板となって姿を現しました。リゾートでみせた穏やかな顔つきが一変、明日からはじまるインターナショナル・コンベンションへの期待と緊張へと変わっていきました。

回のこのイベントのすべてを取り仕切ったのが、トニー・モーゼス氏とその奥様のバマさん。クリスティーナ女史との出会いから、マスターマインドとなり、共にここまでイベントを創りあげてきました。彼の素晴らしいコーディネート力は、これぞまさにインターナショナル級だというのが、数々のイベントを経験してきた私の直感です。

12日(月)、2500名を越える観客を集めて、いよいよインターナショナル・コンベンションが開催されました。

オープニングは、華やかなダンスからスタートし、主催者であるクリスティーナ女史、ナポレオン・ヒル・ワールド・ラーニング・センターの事務局長で、元高校校長のジュディー・ウィリアムソン女史からの開催の挨拶からスタートしました。
そして観客のスタンディングオベーションに迎えられて、いよいよマレーシア第五代首相アブドラ・バタウィが登場すると、会場の熱気とそのオープニングは最高頂に達しました。

20分にも及ぶそのスピーチでは、多様性を尊重すること、教育に力を入れていくということが、穏やか語り口の中にも、確固たる信念を持って語られました。
そのスピーチのあと、ナポレオン・ヒル財団の理事長で、メリルリンチの役員でもあった、ジェームス・オールソン氏より「グローバルアワード」が首相へと授与されました。

これも、ジュディー女史とクリスティーナ女史の強力なマスターマインドアライアンスが無ければ、到底実現できなかったことでしょう。
5年越しで叶えた夢を前にジュディー女史は、コンベンション中、私たちにポロっと言いました。
ここまで来るまでには「ノット・トゥー・イージー」(簡単ではなかった)と。



さあ、最初のゲストスピーカーはアメリカを代表するトップモティベーターのボブ・プロクター氏です。
白いスーツに身を包んだ洗練された振る舞いと身のこなし、プレゼンテーション力は、さすが40年のキャリアを誇ります。まさに圧巻。ヒル博士のぼろぼろになった「Think&Grow Rich」を手にされながら、自分がいかにヒル哲学に影響を受けてきたのかを熱く語ってくださいました。


2番手は、ナイチンゲール・コナント社社長のビック・コナント氏。ツアー中、すべての人にわけへだてなく気さくに気配りとやさしさを忘れない真のジェントルマンです。
ヒル哲学の歴史、そしてナイチンゲール・コナント社の歴史を穏やか語り口で語ってくれました。
印象的だったのが、創業者の父ロイド・コナント氏とナポレオン・ヒル博士と共に写真に写った、若き日のビック氏です。
父の使っていた「Think&Grow Rich」はビック氏へ、そして現在は3代目で息子のカールソン師へと引き継がれているそうです。
また、ナイチンゲール・コナント社の看板講師として、R・ナイチンゲール氏、ロイド・コナント氏と若き日からマスターマインドを組んできたのがボブ・プロクター氏で、その二人の死後、親代わりとしてビック氏、そしてカールソン氏のメンター、家庭教師となってくれているそうです。そうして引き継がれていく伝統が、なんとも素敵で、また微笑ましくもあるなと思いました。


そして3番手は、チャーリー・トリメンダス・ジョーンズ氏。自分のことをトリメンダス(ものすごい)と自称される面白い方です。芸暦は50年以上。現在も80歳を越えているのが信じられないくらいパワフルで、会場を爆笑の渦に巻き込んでいました。しかし、そんな彼も今は癌と戦っているそうです。


ナポレオン・ヒル財団前会長のクレメント・ストーン氏も、なんと101歳まで生きました。本当にPMAは生きる力をも与えてくれる、素晴らしいものだと思いました。またそれを伝えていく仕事に決して終わりなどないし、40年、50年世界を巡りながらそれを説き続けてきた人たちの姿に、真のプロフェッショナルを見いだしました。古き物の中に、しっかりと本質の学びが根付いていると実感しました。

さて、昼食を挟み午後からは、各公認インストラクターたちが、3つのホールに別れての分科会です。9名の講師によって様々なレクチャーが行われました。

初日の最後は、ポリオを患いながらも、乗馬、スキューバダイビング、ボーリング、(ハイスコアはなんと196)、そして飛行機も自ら操縦するというヘンリー・ホールデン氏です。
ヘンリー氏はこれまで俳優として全米の数々のテレビショーにも出演してきました。
彼の口癖は「オーバーカム」。つまり自分を越えること。常に逆境が訪れ、自分を試すと彼は言います。このツアー中ですら、ここまでたどり着くには多くの段差や階段を前に、それらを乗り越えるという試練に鍛え、いよいよこのステージに立ったわけですから。
そんなヘンリー氏が壇上にまさにかけ上がったとき、ツアーの参加者、そして会場からは、多くのヘンリーコールが起こりました。壇上の彼は本当にキラキラと輝いていました。


初日の夜は王様を迎えるパーティーです。
プトラジャヤにある高級ホテル、マリオットホテルにてその会は催されました。
王様を迎え入れるためのロイヤルカラーである黄色をモチーフとした豪華なコーディネートは圧巻。それぞれフォーマルにドレスアップした関係者は真のレディーズ&ジェントルマン(淑女と紳士)でした。
結果的に残念ながら王様は体調を崩され、パーティー出席はキャンセルとなりましたが、素晴らしいショーの数々にすっかり私のお酒も進み、ステージにて華麗な?ダンスを存分に披露してしまい、翌日にはみんなから、「パーティーアニマル」?との栄誉あるアワードをいただくことになってしまいました・・・。

ともあれ、会場での財務大臣イェン・イェン女史のスピーチは素晴らしく、国際社会にあってマレーシアがどうあるべきが、またアジアの女性はどうあるべきかを力説されました。その魂は聴衆の心をも揺るがし、聴衆もスタンディングオベーションでそれに応えました。
ものすごく上手なスピーチで、アメリカ人でもここまでできるかなと思うくらいのものでした。


2日目は、観光大臣テングク・マンソール氏をお招きしての開会となりました。観光資源の豊富なマレーシアを内外にアピールするのがお仕事だけあって、堂々落ち着いた貫禄はさすがです。
観光大臣からは、財団役員、関係者に対して、感謝の盾が一人ひとりに手渡たされました。


そして、昨日と同様、ボブ・プロクター氏、チャーリー・ジョーンズ氏のスピーチを終えると、今度はジョー・ルイス・ダドリー氏が登場しました。
ジョー氏は極貧の黒人家庭に育ちました。貧困から抜け出すために、人生をもがきますが、うまくいきませんでした。いよいよ所持金が10ドルとなってしまった時、手にしたのが「Think&Grow Rich」でした。彼の中にはあるアイディアがひらめき、それを実行に移しました。
台所で黒人向けのヘアケア商品を作り始めたのです。当時は黒人の固い髪質に合うシャンプーがありませんでした。それが口づてに広がり、やがてダドリー社はヘルスケア商品全般を扱う巨大会社へと発展し、今ではかつて育った掘っ立て小屋が、見事な豪邸へと変わったのでした。

黒人差別の中、決して諦めなかったジョー氏の魂からの言葉が聴衆の胸を打ちました。
「ネバー ネバー ネバー ネバー ネバー ネバー ネバー ネバー クイット!」
断じて諦めるな!という魂からの言葉・・・。

普段は物静かなダドリー氏でしたが、一度その口を開くと魂は、そのスピリットは、熱いエンスージアズムとなって伝染しました。

午後からは、若きビリオネアー若手ブラット・マリン氏とテレル・サミュエル氏です。
彼らはビジネスパートナーとしてインターネットでゲーム、音楽、映画を配給するE3フレックス社を立ち上げました。
そのビジネスモデルと将来性を、若者らしく夢を持って語ってくれました。

彼らがこの度契約をした映画、「ミリオネアー・アウェイクン・シークレット」。そのドキュメンタリー映画を作ったのが、もと英国BBCのフリーディレクター、マーティン・デュッケルトン氏です。

インターナショナル・コンベンションのいよいよ最後のフィナーレを飾ったのは、その彼のドキュメンタリー映画でした。

BBCアワードを受けるほどの実力の持ち主。ハリウッドではジュリア・ロバーツなどの作品をディレクションしてきた実績を持つ彼ですが、現実は厳しく、破産同然となり、敗北感に打ちひしがれ、故郷の英国に舞い戻ります。心配する両親や兄弟、友人に支えられますが、そんな敗北感を背負った彼を大きく変えたのが、落ち込む彼を励まそうと友人がくれた一冊の本。それが「THINK&Grow Rich」。砂漠に水が染み込むように、敗北感に打ちひしがれた彼の心に、PMAスピリットが吹き込まれたのです。

ヒル博士の数々言葉に触れ、次第に活力を取り戻すと共に、あるクリエイティヴ・ヴィジョンに導かれました。
「現代の成功者たちは何を考え、どのように成功したのか?」
「現代の成功者もヒル博士の成功哲学に通じるのか?」

それを確かめるべく、布団から飛び出し、再び活動を始めました。思い浮かぶ成功者に片っ端から電話で面談のアタックをし、それをインタビューしていこうというもの。
それは、さながら21世紀のヒル博士のようでした。

多くの人に断られながらもめげずに向かっていく姿は素晴らしく、本当に感動の映画でした。
かつて私も一時的敗北に打ちひしがれ、一人布団の中でその本を読んでいた姿が、その映像の中のマーティン氏とダブリ、本気で号泣してしまいました。

そんなマーティン氏の活動を支えてくれたのも、知り合った公認インストラクターのフレッド・ウィッケリング氏でした。30年に渡ってヒル博士の哲学を学び、それを不動産業界で実践し、成功してきたフレッド氏が、その活動資金を援助してくれたのです。そんなフレッド氏もまた、自分の誕生日の日にあたるコンベンション当日に、自分の本も生まれるという奇跡を起こしました。それも彼のそうした黄金律実践からの、神様からのギフトだったに違いありません。

映画の権利を買い取った先述の3Eフレックスの若き二人の経営者がマーティン氏に契約小切手を渡しているシーンで終わりました。
3年に及ぶ、マーティン氏の一時的敗北は、今後の彼を大きく飛躍させるための仕組まれた試練だったに違いありません。
きわめてハイクオリティーで感動的な、このドキュメンタリー映画は、今後彼自身の人生と、ネットを通してそれを観ることになる、世界中の多くの人の人生を変えるきっかけとなるに違いありません。


■全てが終わって

最後となった食事会は、マレーシアの衣装に着替えてのさよならパーティーです。
パーティーの終わりは、私のルームメート、ナイジェリアからやって来た、チマのサーティファイドプレゼンテーション(公認を決める)でした。

いつ、サーティファイドプレゼンテーションをするのかは、親分ジュディーさんの胸三寸です。ようやくいよいよ最後にチマの番が回ってきたのです。

これが取れなくてはナイジェリアに帰れない。そんな想いのこもったプレゼンテ-ションでした。テーマは「習慣形成力の活用」。
がんばるチマの姿に、今までの旅の思い出が重なり、目頭が熱くなりました。

昨年、私がそうだったように、彼もまたプレゼテーションが終わると、力を出しきったのか、全身から、すべての力が抜けていました。

プレゼンが終わると、ライト教授、財団幹部、ジュディーさん、そして先輩の公認インストラクタ-たち、聴衆みんながOKを出してくれ、見事公認インストラクターのライセンスを獲得したのでした。

おめでとうニューインストラクター チマ! 
ナイジェリアの若きリーダーとして、活躍を期待しています。

■編集後記

本当に今回のイベントは色々な意味で私の次元を変えるほど素晴らしいものでした。
クレメント・ストーン氏が2000年に亡くなられてから、新しいメンバーで財団が構成されました。会長がご病気で存命中の1990年代にはほとんど主だった活動が行われませんでしたが、以来ジュディー女史の奮闘、財団幹部の協力、そして田中会長を理事長としたアジア/太平洋本部としての日本、そしてマレーシアのクリスティーナ氏の固いマスターマインドの絆が、いよいよ大きな実をならしたのが今回でしょう。
いよいよ来年2008年は、ヒル博士が、カーネギーと出会ってちょうど100年にあたります。
こんな時代の変化の速い現在にあって尚、こうしたヒル博士の哲学が必要とされるのはなぜなのでしょうか?
それは、カーネギー、ヒル博士、そして偉大な先人たちが受け継いできた、真の人として生きるための生き方の叡智が、そこにあるからに違いありません。


アインシュタインはこのような言葉を日本に残しています。
「世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を、作って置いてくれたことを・・・・」

しかし、私はマレーシアの発展、教育水準を見るにつけ、そしてインド、中国、フィリピンの成長を見るにつけ、これからの日本を疑ってしまいます。

マハティール前首相はかつて、大変な親日家で、息子や娘を日本に留学させ、自分自身も50回以上も日本を訪れ、技術もそうですが、思いやりの心や、勤勉さなど、人としてのあり方なども吸収していったと言います。

それは、戦時中の学生時代、バナナ売りをしていたときに触れた日本人の美しき徳からでした。他の国の兵士の中にはお金を払わずバナナを持っていく人がいるのに、日本人は律儀にきっちり端数までお金を払ってくれたという経験からなのです。

しかし、現在の日本の精神的な荒廃を見るにつけ、かつて日本を訪れたマザーテレサが嘆いたように、その姿に大変な危機感を覚え、首相を退いてから、
「アジアから日本への提言」
「立ち上がれ日本人」
「日本人よ、成功の原点に戻れ」
と矢継ぎ早に、その本を通して私たちにメッセージを送ってくれています。

西洋と東洋をうまく織り交ぜられるのが日本という国なのではないでしょうか。
今の西洋主義一辺倒ではなく、かつて西洋人も驚き、尊敬した古き良き日本人の高潔な精神こそ、切り捨てるものではなく、今再び私たちが取り戻さなければならないものなのではないでしょうか。

私は確信しています。
ヒル博士の成功哲学は、そうした西洋的な思想の善い所と、東洋的な思想の善い所が見事に調和して織り込まれていることを。

私は決めました。
日本の教育界や行政にもこの哲学を普及させることを。

それを、日本の多くの人たちが学ぶことを通して、
西洋と東洋をうまく織り交ぜた、日本独自の文化が紡ぎ上げられることでしょう。
それが21世紀に問われている私たちが受けるべき役割に違いありません。

熱意を込めて
ナポレオン・ヒル財団公認インストラクター
網中 達也



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