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「出島の集い」その2 松本商事
オランダ屋敷のお隣さんは漬物店の松本商事・松本勇治さんの倉庫でした。
参加されたのはお孫さんの松本憲明さんと、 当時の事をよく知っている憲明さんの叔父の
宮田さんと一緒にいらっしゃいました。 松本勇治お爺さんの出島話をして下さいました。
「1950年(昭和25年)始まった朝鮮戦争で地金で儲けた西野商店が戦後に傾いたんです。
そこで、農林中金から松本の爺様に話しのあって、吉田染料に100坪。松本に100坪。
買うてくれんか?と。・・多分、爺様は昭和32年ごろ買ったんです。」と話されました。
「それから・・・松本の爺様は、お酒が大好きで、闇酒も作ったんです。出島でも一斗がめに
作ってて・・腕が達者だったんで、味噌、漬物、佃煮の製造元で扱っていたんです。」と。
「その酒の美味しゅうて、よく呼ばれて出島で飲んどったんですよ。爺様が亡くなってその酒は
床ン下に半分は残ってたけど、ぜ〜んぶ、酢になっとった。 そん酒が美味しくですね!! 」と。
「 あの味は覚えています。飲みながらこの川で鰻バ釣いよったとです。それから、日野さんの
爺さんの時にしょっちゅう出かけて飲みに行ってました。」と。
面白い話が出ました。 わぁ!! こんな出島の面白い話や鰻が釣れたなんて!!
それに、宮田さんのお孫さんは、前にわらべうたを手伝ってくれた大学生だった。世間は狭い!!
宮田さんは、松本商事から昭和36年に独立。同じ漬物業で刻み唐人菜の「うまかばい」などを
作られて今は、息子さんに㈱ミヤタを譲られてるそうです。
また宮田さんにお話して頂きましょう。 次回の9月4日が楽しみです。
Tagged: food, ひと, 店, 昭和20年代, 昭和30年代, 長崎出島オランダ商館 · 月曜日, 7月 25, 2011 · コメントは受け付けていません。
「第一回 出島の集い」その1 2011年7月24日
長崎の出島オランダ商館跡地、最後の住民だった方々が集まって下さいました。
1951年は私が生まれた年で公有化開始年。2001年に50年かかって全て公有化完了です。
2011年は開始から60年経ち・・・7月24日に元出島住民の「第一回 出島集い」です。
それぞれ、個別に公有化に応じられたので、バラバラになって一同に集まるのは久しぶり。
出島の旧長崎内外倶楽部のレストランで8名の方が集まられました。
ぽろぽろ、懐かしい出島オランダ商館跡地での生活ぶり、こぼれ話がでてきましたよ。
皆さんの思い出話と・・ランチを食べながらの交流会を月1回しましょう!!と。
この60年で出島復元整備も少しずつ進み、出島公式HPのいろんなイベントも楽しみです。
これから、皆さんの面白い出島こぼれ話と復元話も伝えていきますね。
Tagged: ひと, イベント, 昭和20年代, 昭和30年代, 長崎出島オランダ商館 · 日曜日, 7月 24, 2011 · コメントは受け付けていません。
少女クラブ・1923年創刊「夾竹桃の・・」
長崎では昭和30年代、子どもが行くような図書館はありませんでした。
その当時は、リヤカーで古着や雑貨と一緒に古本も売っていたんです。
母に本を買ってもらって題名を覚えているのは「夾竹桃の花咲けば」でした。
その本はもう手元にはなく、県立図書館に行ったらわかるかもと行ってみました。
すると、蔵書庫から探してもらった本は、すごく古いんです。びっくり!!
古いはずです。佐藤愛子が母の時代だから、そのお父さんの佐藤紅緑の本ですもの。
記憶ではカラーの表紙だったような?・・少女クラブの昭和5年7月号〜昭和6年6月号。
多分、母が若い時に読んだ本を娘に!と買ってくれたのでしょうね。
どんなストーリーか覚えていないんですが、でも・・・嬉しかったのは確かです。
ちなみに、今でも母は佐藤愛子の本の大ファンです。
Tagged: ひと, 昭和30年代, 本 · 金曜日, 7月 22, 2011 · コメントは受け付けていません。
鯨の日野浩二さん
先日、長崎のクジラ(鯨)商の日野浩二さんに会うことが叶いました。
日野さんは、鯨の第一人者でNHK「知る楽」日本くじら物語 2009年8月18日放送の
”第3回 鯨食文化の灯は消えず”に出ていらっしゃる方でした。
私とは、昭和30年〜長崎の出島商館跡地に住んでらしたのでご近所だった事になります。
当時、私は小学生だったので出島といってもなかなか接点がなかったのかも知れず、、、
日野さんと親しい海江田さんに教えて頂いたのです。
昭和36頃にオランダ屋敷と呼ばれていた時に陶製の大門の前で妹とった写真をお見せしたら
その門は戦後、県庁の裏手にゴロンと横たわっていたそうです。 びっくり!!
昔から出島にあったと思ってて、、ものごごろついた頃は堂々と大門になっていましたが。
移動したのだったら、「オランダ屋敷を復元」の西日本新聞/昭和30年の記事で昭和27年に
基礎調査が 始まったので・・・その頃でしょうか。
新聞に写っている片手に書類を持っている父の姿が懐かしいです。
日野さんには、出島のことの他に、カラスミの話など教えていただいて面白かったです。
最近のカラスミは輸入もので、乾燥機なので天日でゆっくり干して発酵させたカラスミとは
ぜんぜん味が違う・・・などのお話も聴かせて下さいました。
長崎文献社から「鯨と生きる」日野浩二の人生という本も出版されています。
貴重な本も頂きお話も聴けて本当に良かったです。 ありがとうございました。
また、いろんなお話をもっともっと、、、お聴きしに行きたいです。
Tagged: food, ひと, 昭和30年代, 長崎, 長崎出島オランダ商館, 面白い建物/場所 · 木曜日, 6月 2, 2011 · コメントは受け付けていません。
「さらやしきのおきく」落語紙芝居
先日、”みさかえ”で「さらやしきのおきく」という紙芝居を即興音楽つきでしました。
おきくの幽霊が皿を一ま〜い、二ま〜い、と数えていくのですが、、、そこは、落語です。
最後に落ちがあって笑えるんですよ。
桂文我とう落語家が「番長皿屋敷」を子どもや大人も楽しめる”おおわらい落語劇場”として
脚本にしたものです。 全部で6巻ありました。
”みさかえ”のみなさんに面白いって言われるのは、語りだけではない即興音楽や効果音の
生ライブにジ〜ッと見入ってしまうらしいのです。
紙芝居は静止絵ながら、生の人の声や音楽があるのと無いのでは違うのですね。
紙芝居は、私も面白いのでまた誰かにやってあげたいなぁ!って思ってしまうんです。
どうして、こんなに紙芝居が好きだったのかと自分でも不思議に思うのですが、、、、
思いかえせば、、、、先日も、母のところで「長崎おもいで散歩」を見ていた時です。
母は本の表紙の女の子を指さし「この女の子はあんたね?」って言うんです。
同じぐらいの年、格好ですが、私ではないんです。、、、、でも何度も聞かれます。
昭和30年後半の紙芝居風景は「そう、そうの通りだったよね!!」と膝をピシリ、ピシリと
相づちを打つ感が私にあるんですよ。
幼い時の刷り込みは面白いものですね。
だから、紙芝居を見るのも、語るのも、即興音楽も好きなのですね。
誰かぁ、、「紙芝居」を観たい、聴きたい人、手をあげて!!って呼び掛けたいなぁ。
Tagged: 昭和30年代, 紙芝居, 長崎 · 金曜日, 2月 25, 2011 · コメントは受け付けていません。
母と。
母は、戌(いぬ)年でもう今年で89歳になります。
2年前まではバリバリと運転もするスーパーおばあちゃんでしたが、病気入院をした後
寄る年波には勝てず、、、今は、住宅型有料老人ホームに居ます。
その母にクリスタルの雛人形を持って行きました。手作りの桃カステラも。
赤い箱に酒袋製コースター、ぼんぼりは木製お雛セットの。後ろの屏風は贈答の中敷ですよ。
これで、部屋が明るくなりました。
母と話すのは昔のことが多く、今日は持っていった”長崎おもいで散歩”の長久橋付近の
写真をジーッと。
「うちの、最初ん車はこの車んごたっコロナやったねぇ」と。
「そうやった!ここのヒゲ爺タネ店でよう買いよったと、何のタネでんあったとよ!」など。
写真をよく見れば、築町の御座船が回っている横の電柱に海江田病院の看板が。
そうそう、当時の海江田病院の若奥様に会いに行った話などアレコレに花が咲きました。
出島のオランダ屋敷に暮らして居た昔話などが芋づる式にぺちゃくちゃ、、、と。
Tagged: 昭和30年代, 美しい物, 長崎, 面白い建物/場所 · 日曜日, 2月 13, 2011 · コメントは受け付けていません。
長崎出島5番地。 海江田病院
昭和30年頃、幼い私たち妹弟は長崎出島19番地に住んでいました。
直ぐ近くの長崎出島5番地は、耳鼻科の 海江田病院 だったのです。
先日、その病院の奥様だった海江田百合子さんに会いにいきました。
今は出島史跡整備のため出島をでられましたが、その頃の様子を懐かしくお話
して下さいました。
百合子さんが海江田家に嫁がれたのが昭和28年だったそうです。
やはり、海江田さんのルーツは薩摩の伊集院。士族の海江田信義のご一族でした。
先々代、海江田純氏は大正11年に長崎大学医学部(元長崎医専)を卒業されて
昭和6年に長崎出島5番地で開業されたそうです。
出島5番地は、幕末から明治にかけて長崎に住んでいたフランス人貿易商ピニャテル家の
自宅と会社があったそうです。
そのピニャテルの洋館を引き継がれたのが海江田氏とわかったのでした!!
ヴィクトール・ピニャテルは大正11年に亡くなり坂本町の長崎国際墓地に。
トーマス・B・グラバーと一緒の坂本町の地に眠っています。
海江田百合子さんには、出島のご近所の方々に加え、千馬町、おくんち、薩摩などのお話が
たくさん、たくさん、、、懐かしくて。お世話になりました。
やっと、出島5番地の転遷が幕末まで遡れてうれしいです!!