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サッカーとボリビア

南米ボリビア移住して11年目、自分の大好きなサッカーを通して、南米ボリビアで何か出来ないか模索している毎日です。

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2011年05月27日 21時32分29秒 | ボリビア
ボリビア共和国は南米大陸のほぼ中央部に位置し、大陸の6%に相当する5番目に大きい国土(1,098,581K㎡、日本の国土の約3倍)を所有している。
周囲は北部、東部をブラジル、南部をアルゼンチン、パラグアイ、そして西部はチリ、ペルーに囲まれた内陸国。
アンデス山地(寒冷地)、高原地帯(温暖地)、アマゾン流域平地(熱帯雨林) に分類される。

正式国名:ボリビア多民族国家
首都: 憲法上の首都はスークレ
実質上の首都は、ラパス
(政府所在地はラパス)
独立年月日: 1825年8月6日
政体: 立憲共和制
元首: エボ・モラレス・アイマ大統領(Evo Morares Ayma)〔2011年5月現在〕
位置: 南緯 9度40分~22度54分
     西経57度25分~69度38分
    <日本との時差>13時間
面積:1,098,581k㎡ (日本の約3倍)
総人口:    830万人 (2001年推定)
人口密度:  7.55人/k㎡(日本の約1/45)
一人当たりGDP:
970ドル (UNDP 1999年統計による)
非公式統計では3,000ドルと言われている。(日本は2001年度約30,000ドル)

通貨: ボリビアーノス(bolivianos) $us.1=Bs.6.99(2011年5月27日現在)
日系人数(推定):約14,000人
民族: 先住民(ケチュア族、アイマラ族)55%、
メスティソ(白人とインディオの混血)32%、白人13%
公用語: スペイン語、ケチュア語、アイマラ語
宗教:  カトリック
暦: <祝祭日> 1 月 .1 日・・・・  新年 (Ano Nuevo)
..................................2 月 27 ・ 28 日 .カルナバル (Carnaval) ( 2006 年)
・・・・・・・・・・・・・・.4 月 14 日   ・・...聖金曜日 (Viernes Santo) ( 2006 年)
・・・・・・・・・・・・・・.5 月.. 1 日  ・・・..メーデー (Dia del Trabajo)
・・・・・・・・・・・・・・.6 月 15 日  ・・...キリスト聖体節 (Corpus Christi) ( 2006 年)
・・・・・・・・・・・・・・.8 月.. 6 日  ........独立記念日 (Dia de la Patria)
・・・・・・・・・・・・・.11 月 ..2 日  ........死者の日 (Dia de los Difuntos)
・・・・・・・・・・・・・.12 月 25 日 ..........クリスマス (Navidad)
この他、地区毎に独自の休日がある。
(2月10日オルーロ、4月15日タリーハ、5月25日スークレ、7月16日ラパス、9月14日コチャバンバ、9月24日サンタクルス、10月1日パンド、11月18日ベニ)

主な産業:独立以降のボリビア経済を支えてきたのは錫を中心とする鉱業で、錫の他、銀、金、鉛、亜鉛、銅、鉄、タングステン、アンチモン等の鉱産物にも恵まれ、近年では石油、天然ガスの開発も行われている。ただし、就業人口の比率からみると鉱業に携わっている人々は全人口の数%に過ぎず、約半分の人は農牧業に従事している。











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コトカ市

2011年05月24日 16時28分05秒 | ボリビア
アルシーデス・ペニャ選手の出身の場所

サンタクルス州コトカ市は、サンタクルス市から東へ16Kmの町。人口約4万5千人。セラミックの工芸品が有名。聖母マリア像が祭られています。とても宗教的な町です。

毎年、12月8日に聖母マリア像に御参りするためにみな歩いていきます。

僕も何度か行きましたが、大変のどかなところです。

三浦商店

2011年05月22日 14時24分31秒 | ボリビア
ボリビアに在住の日本人でしたら、必ずといって良いほどお世話になります。

店長の三浦さんは、本当に面倒見がいいすばらしい人です。

以下、三浦商店のHP.

http://www.bolivia-miura.com/shoten/


コンセプシオン

2011年05月21日 16時55分20秒 | ボリビア
ボリビアのイエズス会伝道所群は、スペインによる植民地化の過程で、イエズス会によって建造された伝道用の集落群である。それらは、ボリビア国内でも、特にサンタクルス県北部やベニ県に見られる。そのうち、サンタクルス県チキトス地方に残る伝道所群は「チキトスのイエズス会伝道所群」として、ユネスコの世界遺産に登録されている。

スペインがボリビアを入植したときには、様々な会派の修道士たちが、12使徒になぞらえうる新大陸の伝道活動に参加した。彼らが作った建造物・集落群は「ミシオネス」(Misiones) あるいは「レドゥクシオネス」(Reducciones) と呼ばれた。日本語では「伝道所」「伝道施設」「布教村」などの訳が当てられる。伝道所の建設に熱心だったのは、イエズス会とフランシスコ会である。イエズス会士たちによって建てられた施設群は、特にチキトス地方の人々の歴史にとって、逸することの出来ない足跡を残している。

イグナチオ・デ・ロヨラによって創設され、ローマ教皇パウルス3世によって認められたイエズス会は、1540年以降、その伝道施設を新大陸に築き、先住民への宣教を企図した。その活動のために様々な地を巡った結果、征服者たちの新たな領土の発見に結びついたこともあった。ボリビアでの宣教は、有名な黄金郷伝説エルドラドあるいはパイ・ティティの調査にも大きく影響されていたと考えられている。

聖堂などの建築物が今なお維持されているおかげで、1990年に、チキトス地方のイエズス会伝道所は、ユネスコの世界遺産に登録された。世界遺産の対象となったのは、チキトスに残る6つの伝道所サン・フランシスコ・ハビエル(サン・ハビエル)、コンセプシオン、サンタ・アナ、サン・ミゲル、サン・ラファエル、サン・ホセである。

それを踏まえて、ボリビア当局と非営利組織は、チキトスでの一大観光プログラム「チキトスのルネサンス・バロック音楽祭」を始動した。

写真は、コンセプシオン市伝道所。のどかなところです。