沖縄霊能ユタ体験日記!

沖縄の霊能者ユタ・神人を知っていますか! 私が携わってきた体験日記! 後にいろいろ分かった事が、あなたの参考になればと!

第二十六話

2006-01-31 | 体験日記 第一記

 のほ島への船 

 

 第二十六話

 

切っ掛けになった女性は、でっぷり太っていて髪は黒く長く、沖縄独特ユタの人に多い顔付きでした。

この彼女も霊感が強く性格も強い人でしたが、ジャズ系の曲などを歌うとプロ並みでした。

彼女もそれなりにいろいろ有り、苦労をしている人でしたが、今までに逢った事が無いような人でした。
今はもう付き合いは無いのですが

彼女も喫茶店で働いていたので、そこによくお昼を食べに・・・・と言うより隠れ場所みたいになっていました

その頃は夜のバイト週二回程やっていたし、お酒もよく飲まされていましたので、疲れていた為か、彼女の店で身体が動かなくなり、ソファーにうずくまり、寝てしまう事がよく有りました。

その時は分かりませんでしたが、店自体が場所も悪く、彼女も感じていたそうなのですが・・・、その為に霊的なもので寝かされていたというのです。

私は戌生まれなのですが、干支から言うと戌年生まれの人は土地関係・悪い場所に行かされやすく、を取らされやすいそうなのです。

私は小さい頃から足の怪我などが多かった気がします

一番最悪
だったのは、キャンプファイヤーしてた時、男の子缶にガソリンを入れて遊んで入て、その缶が間違って倒れてしまい私の足にかかってしまいました。

運良く産毛が燃えたぐらいで、皆が直ぐにを掛けてくれ、救急病院まで連れて行ってくれて、早い処置をしたので、少したてにが残っているだけで全然大丈夫でした。

あっ・・・  まだ有りました・・・
一歳にも生らない時に掘り炬燵落ち込んで、右足の親指人差し指の裏の方を火傷をし、もしかしてこの指二本くっついてしまうかも・・・と、言われたそうです。
しかし運良く表からは普通の指で、裏の皮膚が今だにおかしいだけですみました。
本当になどで無くてよかったです。

半年くらい通った頃、この喫茶店もいろいろ有った様で閉める事になり、彼女もやめる破目に・・・
これが切っ掛けで、彼女とお昼を一緒にしようと、ある喫茶店に行ったのです。

それが今後本当の意味で”沖縄のユタ 御願い事”を、知る事の始まりになったのです。

第二十五話

2006-01-30 | 体験日記 第一記

 公園のマラソンコース 

 

 第二十五話 

 

一年過ぎた頃、友達の紹介で又夜のバイトを始めました。

知り合ったママは、昼間は毎日トレーニングジムに通い、毎年那覇マラソンにも出る位に行動がある人で、今だに年齢不問・・・・・夜は一変して、着物姿がよく似合う可愛い女性なのです
もともとは、夜の世界は全く知らない人で、飲めなかったそうなのですが、写真家だったご主人突然の死・・・で、画廊喫茶だったのを、そのままスナックに変えて、女の子使いながら今まで頑張って来て、今年で30周年を迎えられたのです。

そんなママが好きで、仕事だけではなく、プライベートでも仲良くさせて頂きました。

いろんな事も教わりながら、那覇マラソンにも挑戦する事にし、営業の途中でも練習したりして、一年間頑張って第9回大会に参加して、初挑戦初完走が出来ました。

この頃から、健康や身体つくりの事をも考えるようになりました。

人間は元気で健康でなければいけない、その為にはどうするか・・・・

その頃、今までに逢った事が無い様な女性とも知り合っていた・・・この彼女が今後”ユタ(霊能者) 御願い”の、切っ掛けになっていったのです。


第二十四話

2006-01-29 | 体験日記 第一記

 美浜のショップ!

 

 第二十四話

 

沖縄に来てから,26歳の時に車の免許を取りました。
取り合えず一発で合格、あの当時で16万円ちょっとで取れたのです・・・とっても安いでしょ

運転暦が長くないので、沖縄に来て余り道も知らず、営業地図片手走り回りまわりました。
随分沖縄の裏道まで分かるほどになりましたが、これも後々に役に立つ為のものでした。

沢山の会社回りもし、いろんな人と出会い話しが出来ましたが、その中でも一番怖かったのが、ヤクザ屋さんと知らずに飛び込み商品を売った時が一番びびりました。
でも何とか最後までちゃんと納品・集金までは出来ましたので・・・、でも泣きもはいりましたが(@_@)

営業は大変でしたが自由が効くので、売り上げには本当に悩みましたが、いろんな事を経験・勉強出来たので、良かったと思っています。

                                 


第二十三話

2006-01-28 | 体験日記 第一記

 車の中から 

 

 第二三話 

 

初めての仕事は普通だと、最初は先輩に連れられて少しずつ覚えてき、
その後一人で営業に出るのでしょうが、何も準備も無車を持たされ、何をどうしなさいとの教えも無く、営業に出されたのでした。

最初はどうしたら良いのか分からず、少しのパンフレットと商品を持って、とりあえず出ました。

さ~どうしよう・・・ 取り合えず、行く当ても無く友達の喫茶店に行く事にし、そこでちょっと考えよう・・・”と、気楽な気持ちで、未知でしたがこの状況を楽しんでいた様な気がします。

少しの間、この店で ランチ も食べながら、少しずつでしたが友達から友達の紹介で、少しずつでしたが商品を飼って貰える様になりました。

しかし、このままだと売り上げも見込めず、ルート営業でしたら、まだ良かったのでしょうが、ほとんどが飛び込みの営業でしたので苦戦しました。

                                     


第二十二話

2006-01-26 | 体験日記 第一記

 A Way 

 

 第二十二話

 

早速と雇って貰い、又頑張る事にしました。

この会社はGPのブランドメーカーさんでしたが、社長が昔から”ユニホーム屋”をやりたかったそうです。
私が入社したと同時に、国道の側にある結構広い店舗開店する事になったのです。

その準備で久しぶりに又仕事に打ち込めていました。
商品はユニホームでしたが、衣料販売には変わりはないので、それなりに仕事をかわしていましたが・・・・なんと・・・・

お店が落ち着いて来た頃、ユニホームの営業命じられたのです。

今までに営業と言う仕事はした事は無く、大変な仕事だとは思っていましたが、”ま~やってみるしかない”とやることにしました。

と言うより、やらされる破目になりました。