goo blog サービス終了のお知らせ 

雨の記号(rain symbol)

混淆永遠の夢

English Version

 会社人間の彼は久しぶりに仕事から解放され、休日を自宅でくつろいだ。庭いじりする彼を部屋から眺めて妻は言った。
「こんなあなたも珍しいわね。・・・そのチューリップの球根ですけど、あまり地中深く植え付けないでくださいね」
「そのくらい分かってるさ」
 昼食はサンドイッチとミルクだったが、
「今夜は久しぶりに精を出して作るわよ」
 とか言いながら、買い物に出ていく妻の後姿はひどくご機嫌そうに見えた。
 いつもは精をこめて作っていないのだろうか。それとも今夜はとびっきりのご馳走でも作ってくれるというのだろうか。
 彼は苦笑を覚えながらチューリップの球根を浅く植え替えてショベルを置き、部屋に戻ってコーヒーでひと息入れた。
「いずれにしろこっちとしては不味くなければいいだけの話だ・・・」
 窓を開き、風を入れる。福々しい思いで伸びをする。
 一人息子は昨夜から勉強部屋に閉じこもっている。試験が近いと見える。
 この応接間はつまり今、自分だけのために存在しているわけだ。この空間がひどく懐かしく感じられてくる。
 ソファにドカっと腰を沈め、自分の今までをじっくり振り返ってみると、人間らしいひと時から何十年も遠のいていた気がしてくる。
 どれ、ひとつ音楽でも聴くとするか。
 ゴルフ道具の手入れはその後だ。
 彼はガラステーブルの上にあるミュージックコンポのリモコンを手にした。どれがそうか迷ったあげく、あれこれいじってようやく電源を入れる。スピーカーから物凄い音が飛び出す。リモコンが手から離れ落ちる。両耳を押さえる。耳の鼓膜が破れたのじゃないかと思った。息子はいつもこんな高さで音楽を聴いているのか・・・!
 急いでボリュームを調節し、レコード・・・いや音楽CDを探し始める。棚のCDボックスの中は音楽CDでぎっしり詰まっている。息子が買い集めたものだろう。一枚一枚手に取って見て行く。どれもよく分からぬ歌手のLP・・・いやアルバムばかりである。おっと、モーニング娘か、これはさすがに知っている。昨年の暮れ、部長のリクエストで唄った得意の歌も入っている。まずこれをかけよう。

 ニッポンの未来は・・・オウオウ、オウオウ・・・♪

 それから・・・演歌はないかな演歌は・・・美空ひばりなんかあればいいな・・・しかし、見当たらない。フランク永井や北島三郎はどうだ、春日八郎でもいい・・・やっぱりないようだ。
 この手の音楽は自分以外聴く者もいないので、どっか、別の場所にしまってあるのかもしれない。いや、レコードならいざ知 らず、CDなんて自分が買った記憶すら乏しいのだから、とうに紛失したかも知れぬ。
 いずれにしろ息子に聞いてみよう。存外レトロブームに乗って持っているかも知れぬ。
 彼は二階の息子の部屋に行き、部屋のドアを叩いた。何度も叩いた。最後は怒鳴った。息子は不機嫌そうにドアから顔を出す。首にヘッドホンを巻いている。
「何?」
 とっさに彼は質問の方向を変えた。三橋美智也や美空ひばりではサマにならないととっさに思ったのである。
「ビートルズのレコード聴きたいんだが、お前持ってないか? 応接間のレコードボックスの中には一枚もないようだが。それとも題名のついてないコピー版の中にあるのかな?」
「レコードねえ・・・CDじゃなくて?」
「いや、そのCDだ」
「曲名は?」
「そうだな・・・抱きしめたいとか、ツイストアンドシャウトとか・・・」
「初期か・・・俺、初期のやつはあまり好きじゃないから聴かないんだ。後期のやつならポール中心に編集したやつがあるよ。聴く?」
「ポールか・・・ヘイ・ジュードとかミスター・ムーンライトとかだな。いいね」
「・・・ちょっと待ってて」
 息子は奥に引っ込んでから一枚のCDを持ち出してきた。コピー版のようだ。
「これ、父さん用にあげるよ。ほかに好きな歌手とかいれば、作っといてあげるから・・・。ちなみにミスター・ムーンライトはここに入ってないから。あれはレノンなんだ。くずのムーンライトならMDに入ってる。コピー作ってあげてもいいよ」
「・・・」
 彼は応接間に戻ってポールの音楽をボリュームたっぷりで聴き始める。
 ああ、この音楽が流れていた頃は・・・やっぱりたまのくつろぎはいい、などと気分よく回想にひたっているうちたちまち睡魔に襲われ、いつしか身体は横に崩れ、顔は深くソファにつぶれている。
「お父さん、お父さん・・・」
 目を開けると妻が肩を叩いていた。彼はきょとんと妻の顔を見た。
「庭いじりはどうしたんです? 道具が片付いてないじゃありませんか。それに、昼寝のBGMにしては少しボリュームが大き過ぎるのじゃありません?」
 この時、電話が鳴った。妻が応対に出た。上司からだ。
「はい。はい。はい。はっ? 今からですか? おっ、それはいいですね」
 電話を置くと彼は妻に今から出かけると告げた。その目は急に活き活きしだしている。
 彼が出かけた後、息子がノソノソ二階から降りてきた。
「お父さんは?」
「いないわよ」
「音楽が聴きたいと言って僕の部屋に来てたんだがな・・・」
「何が音楽なもんですか。買い物から帰ってきたらグーグー寝てたんだから。そのくせ、会社の上司から電話が来たと思ったら目を輝かしてそそくさ出かけてくんだから」

「それは昔の話だろ! 孫を相手に変な話を吹聴しなさんな。ちゃんと庭いじりやってるよ」
 そう言って彼が手にしたショベルを見せようとしたら、いきなり、肩を揺さぶられた。
「お祖父ちゃん! お祖父ちゃん! そうやって浪曲なんか聴いてるとそのうちみんなから煙たがられてしまいますよ」
 目を開けたら子供の頃亡くしたおばあちゃんがいて、何でこんなところに・・・と思ってよく見たら、窪んだ目をした皺くちゃの妻だった。 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ショートショートショート」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事