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雨の記号(rain symbol)

見舞う

 数年ぶりに旧友を見舞った。広島から上京した友人が一緒だった。池袋の駅改札で待ち合わせ、電車に乗り、埼玉の奥地まで出かけた。家を出たのが朝八時。向こうに着いたのが午後二時過ぎだった。途中、待ち合わせ時間を間違い、西武デパートのレストランで食事をした。だが、行き帰りのほとんどの時間は電車の中だった。天候は尻上がりによくなったが、寒い一日だった。
 日、祭日は事務所の受付はない。直接、彼の部屋を見舞った。ただし、施設の中に入ると介護にあたる人が出てきて記名を求められた。
 彼はベッドに横たわり、部屋の入り口に目を向けていた。彼は怪訝そうに僕を見ている。見知らぬ人間を見る表情である。テレビが鳴り続けているが、見ているのかどうかは分からない。
「こんにちは。僕が分かるか」
 そう訊ねてもきょとんとしたままの目である。僕の後ろから続いて部屋に入ったMが、俺だよ、分かるか、ともう一度訊ねた。しばらく考えた後、M、Mだろ? Mだろ? M、どうしてここがわかった。
「どうしてって、前にHさんとここに来たじゃないか」
Mが答えた。
「僕だよ、H。僕のこと覚えてないか。五年前、Mと一緒にここを尋ねてきたじゃないか」
 彼の表情に変化が萌した。
「Hさん、水時計のHさん」
「そうだ、水時計のHだ」
 彼はうれしそうにもう一度繰り返した。
「Hさん、水時計のHさん」
 続いて、
「M、どうしてここが分かったの?」
「どうしてって、五年前にHさんと一緒にここを見舞ったじゃないか」
 彼は僕をじっと見た。
「Hさん、水時計のHさん」
「おお、そうだ。水時計のHだ」
 説明すると、水時計というのは三十年も昔、僕らが始めたスナックの名である。当時、仲間で同人雑誌をやっていた。うちの一人と始めた店だった。文芸スナックと看板をかかげたのはそういう連中が客で来ればいいと願っていたからだった。まあ、しかし、この願いは外れた。二人は当時からの仲間だった。僕が彼らを君付けし、彼らが僕をさん付けするのは年齢差からくるものだった。
 店ははやらず、相棒は経営からリタイヤした。リタイヤして放浪の旅に出た。そしてタイに流れ着き、タイの女性と家族をつくって同国に住む。向こうで家を建てたということだったから、たぶん、帰国したということはないだろう。帰国すればどんな形ででも連絡が入ってくるはずである。僕らは文学の仲間だったのだ。しかも僕をのぞく三人はW大つながりである。
 僕らは二時間ほどをMの部屋で過ごした。彼は僕が店を始めた頃のことはよく覚えていた。しかし、入院生活の時間は希薄のようだった。電車の事故に遭遇して以降、ちっとも記憶がつもっていかないようなのだ。
 施設を見舞った後、僕らは新宿で飲んだ。某居酒屋の巧みな勧誘に遭い、割高の酒代になったが、話ははずんだ。
「彼はここ十年の記憶がからっぽのようだな」
「彼がもとに戻れば幸せそうな家族なんだがな」
 そんな話をして僕らは別れた。Mは新宿のホテルで一泊した後、帰る途中、司馬遼太郎館を見学して帰るとのことだった。
「小説を書けよ」
 彼にそうすすめて僕は夜の電車で千葉に帰宅した。
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