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雨の記号(rain symbol)

母は永続的

 日本テレビのドラマ「十四歳の母(志田未来主演)」はいろいろの問題を投げかけてくる。
 日本において十四歳の母となると、このドラマのように周囲から偏見や蔑視の目で見られることになる。
 しかし、他の国ではこの年頃で子供を生む国はけっこうある。アフリカなどの後発国はそうである。
 だが先進国になると日本を始めこの傾向は少なくなってくる。
 それが少子化の要因ともなっているのだろうか。おそらくそうではないだろう。性に対する考え方の多様性や避妊術が進んでいることもあるが、十四歳の母をサポート出来るような仕組みを国として持っていないことも大きいだろう。生まれてきた子を育てようとする本能は誰にも自然と備わっている。生んで育てられる環境があるなら、ごく普通にテレビドラマ「十四歳の母」に見られるマジメな母親たちが登場してきてもいいはずなのである。
 しかし現実問題としてそれはまだ無理である。母親一人の手では生活を支えきれないから当然父親が必要になる。ただ子供がお腹に入ればそれだけで女子には母親の資格が生じるが、男はそうもいかない。十代半ばの女子を妊娠させることは普通の成人男子には出来ない。それは法に触れる。となれば、一つ二つ年の違う男子が父親になるが、つまりは大人として認めてもらえないことを意味している。
 女子と違って、男子はそこが難しい。もしも資格を得ようとするなら父親としての職業を確保し、母親と子供を扶養する責任が生じてくる。このことによって自立性と社会性を確保しなければならないからである。
 しかもこの家族たちの未来は必ずしも開かれているとは言えないだろう。
 高学歴社会、資格社会の中で、彼らがいい母親、いい父親であり続けていくのはきわめて困難である。先に挙げた二項目は、平たく言えば晩婚化に拍車をかけていると言っていいからである。若くして子育てをしなければならない夫婦にとって、それはとてつもないハンディーである。無理に順応しようとすればプレッシャーがのしかかり、最終的には子育てを放棄してしまう可能性だって高い。夫婦としての危機にも直面するだろう。
 このドラマはヒロインにいみじくも言わせている。
「あなたはいっぱい勉強してやりたいことを目指して頑張って。私は大丈夫だから」
 彼らはそれぞれの家庭の庇護下でないとあと数年はやっていけない。
 今やっているドラマ「十四歳の母」の価値は、今の主人公の姿でなく、二十年後、三十年後の姿こそに示されると言っていいだろう。
 愛と情熱の母が何年か後、荒んでボロボロに傷ついていたのではとても救われない。青春の姿は今にあるかもしれないが、母の姿は永続的に素敵でなければならないのだ。
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