goo blog サービス終了のお知らせ 

雨の記号(rain symbol)

イジメ肯定論は嫌い

 日本テレビのバラエティー番組で「イジメ」を特集していたので見た。お笑いコンビ爆笑問題の大田が総理になり、近頃話題となっている出来事から引っ張り出して案件を提出し、それが可決されるか否決されるかという、つまりは国会を井戸端の場所に持ってきて、その途中を視聴者に見せて楽しんでもらう番組である。よって可決されたり否決されたりすることに、さほどの重要性はなさそうである。
 だから、「イジメはいけない、のスローガンをなくそう」の案件が、可決されようが否決されようが、視聴者は目くじら立てるほどのことではないのかもしれない。
 しかし大田の舌ったらずでゴリ押し風の熱弁にはいささか行き過ぎの感を持った。彼はたくさん喋ったので、ある種、詭弁に似た論法に共鳴を覚えた少年少女らが出てくるのじゃないかと危惧を覚えた。その中から、だからやってもいいんだ、というとんでもない勘違い少年(少女)が登場してきかねないのである。
 彼の論理を要約すると、自分が番組で相棒をくさして笑いを取るのも、チャップリンが映画で取っていた笑いも、根っこはイジメにつながるものと同じじゃないか、みんなこんな風なことを受け入れているんじゃないの、それでイジメはいけない、が説得力を持つわけがない、イジメがあることを受け入れてゆこうじゃないか、という乱暴で大味な意見である。
 反対に回った連中がうまく反論できなかったのも情けない話だが(あるいは意図的にカットされた?)、この案件は反対に回った者の一部や、ゲストのイジメラレ経験のある少年少女の賛成票まで取り込んで圧倒的多数で可決されてしまった。
 へえっ、近頃はイジメがあってもいいと思う人間の方が多いんだ、と僕は不思議な気がした。
 イジメをなくそう、のスローガンでイジメがなくなるわけがない、と彼は言う。それはそうだろう。掛け声だけで物事が達成されるなら努力などいらないのである。スローガンをなくせに賛成の者も反対の者もそこは分かっている。ここまでは同じだ。しかし、ここから先が違う。こんなものあってもイジメはなくならないのだから引っ込めた方がいい、という立場と、現状はそうかもしれないが目標は必要だ、の立場に分かれるのである。
 この文章を読んでおられる方はどちらの立場に立つだろうか。
 正直言って立場や結論自体を僕は重視しない。どちらの立場に立とうが、イジメをする人間としない人間は、また二つに分かれてしまうと思うからである。
 いや、もっと突き詰めてみれば、このテーブルに乗っている人は厳密な意味では、世に問題となっている、イジメを行わない人たちかもしれない。行うとしてもお笑いレベルで双方合意の娯楽イジメに留まるかもしれない。
 イジメとはたわいない遊び的心に始まり、そこから発展して暴力人間を作り出していくところに大きな問題の根がある。今、巷のどこかで罪のないホームレスが次々襲われているが、そういう血も涙もない輩が育ちはびこってくる根である。
 ただ、イジメはなくならない、だから、イジメをなくそう、のスローガンは意味がない、という現状肯定的な考え方は、僕は嫌いである。こういう考え方の人が百人中百人であるなら、世の中はいまだに封建主義を引きずっているであろう。暴力は巷にはびこり、女、子供は男に額ずいて生きている時代のはずである。しかし、今の世はそうでない。現状肯定ではいけないと思う人たちが必ずいて少しずつ努力を重ねてきたからである。
 イジメをなくそう、のスローガンを見るのではない。その言葉の持つヒューマンな意味に、大人への行程を歩む子供たち一人一人に気付いていってもらうことこそが、スローガンにこめられた問いかけのはずである。
 結果的に暴力人間をはびこらせるだけのイジメ肯定論は、僕は大嫌いである。いくらカッコいい言葉を並べてもそれはちっとも魅力を放たない。空疎なだけである。
 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事