
懐かしの関西旅行(25)
ダム湖に眠る人生
これがあれから完成したダム湖なのか…。
伯母谷から不動窟に向かって下る街道沿いに展開する眺めは50年前とはだいぶ変わった。
伯母谷渓谷に伸びてくるダム湖の豊富な水流は分校跡の広場からもくっきり見えた。
その水流を見下ろし、カメラに収めながら街道を急ぎ足に下っていく。
今は思い返すしかないが、伯母谷川は岩の間を縫う水の流れが速く、いつも大きな水音を立てていた。
伯母谷から岸和田の小学校に通っていた頃、集落の者と一緒に山道を歩いて本校への通学を行き帰りした。県道は遠回りになるので滅多に利用しなかった。
放課後を遊んだりして帰りの最終バスに間に合わなかったりしたら、一人で県道を歩いて帰るしかなかった。山道は近いけれど木立の深い場所もあり、夕暮れ時の木立の中は暗くて怖かった。一人で帰る時は歌を歌いながら帰って来いと親から教わったりしたが、茂みで獣の動く音が立つと緊張と怖さで身がすくんだ。歌えなくなった。
県道は遠回りだけど茂みの暗さがなくて怖さを感じずにすんだ。4時半過ぎ発の最終バスが出てからはトラックも材木を積んで走りおりて来ない。乗用車はほとんど走って来ず、車の行き来も絶えるが県道沿いは木立の深い場所もちっとも怖くなかった。


今となっては入之波から流れて来る吉野川本流に注ぐ合流付近から、伯母谷川沿いを遡って伯母谷のバス停へ一人で上がって来たのは懐かしい冒険となった。
ところどころ滝のようになって上るのも困難な場所があり、そこを上流に進むのは脇にそれて進まなければならなかった。そういう場所は脇の斜面も急で途方にくれたものである。
入之波と伯母谷方面の二股街道まで戻るには距離を損した気分が大きかった。来なけりゃよかった気分にさせられるのも癪だった。
結局、始めた以上進むしかなかった。あの日は太陽が中天にあったから行動できた。
定番キャラの蛇やアブに悩まされ、セキレイやトンボ、澄んだ水中で泳ぐ魚たちの姿に気持ちを和まされながらやりきった川登りだったが、それらの景観が水底に沈んだ今、自分の心だけに残る貴重な記憶である。
そういえば伯母谷川の合流付近手前に数軒の家があった。そこから本校に通う生徒がいた。バス停は入之波入り口となっていて、河合行きのバスでは街道の二股付近で降りていった。だが、入之波行きのバスではあの家付近がバス停だったに違いない。
一年後、伊勢湾台風でこの辺りは道路を含めてごっそりえぐられる被害に遭った。そこの家族たちがどうなったのかが今となってはすごく気になる。
このダムの底では自分を含めていろんな人の人生が眠りについている。