雨の記号(rain symbol)

正月のドラマから

 今年も正月を家で迎えた。飲んで、食べて、寝て、テレビを見る典型的お正月スタイルで、二日は日テレの箱根駅伝とテレ東の時代劇を見て過ごした。この日は昼寝もせず、朝八時から夜十二時過ぎまでテレビにかじりついていたので、神経の興奮が残り、朝方近くまで眠れなかった。三日も駅伝の続きを午後まで見て、約二時間眠った後、衛星第二の将棋番組を見た。
 その後、食事を取ってこの日記をしたためているが、九時からはフジテレビの時代劇「明智光秀」を見るつもりでいる。三日天下の光秀は信長を討ち、秀吉に討ち取られたイメージのさえない武将だが、実際的には時代の流れを読み取れなかった悲劇の武将なのであろうか。その彼がここでどう描き出されるか関心を持っている。
 時代劇と言えば、昨日の「忠臣蔵」も瑤泉院の視点から描かれ、なかなか面白かった。いや、数多く放送されたテレビ忠臣蔵の中でも、自分的には里見浩太朗が主演した忠臣蔵などに続く好感度の強いドラマとなった。史実に沿ってという意味ではデタラメに近かろうが、それから十年後に登場した忠臣蔵の芝居ではすでにあることないことがストーリーに盛り込まれていたという。あれからさらに数百年が過ぎた今、史実に忠実なドラマなど生まれようはずもない。生まれたところで信用も出来ない。史実や事実にこだわり過ぎると、せっかくの大衆ロマンがぶち壊しになる可能性だってある。
 当時、身分を低く扱われた女性の一人である瑤泉院がこうも積極的、行動的な女性としてここに登場して来ても僕に抵抗はなかった。むしろ、風の吹きぬけるような清々しささえ覚えたのである。
 一方で、<瑤泉院の陰謀>とサブタイトルがついているから、あの薄幸の女性をどう描くのだろうと心配もしていたのだが、左京の方(お喜世)を赤穂四十七士を兄弟に持つ同志キャラとして登場させてきたのにはびっくらこいた。
 西丸御殿や二丸御殿にあったという大奥を舞台とした物語は、吉屋信子が最初手にしたと思ったが、その後、女性が華やかなファッションに身を包む時代となってそれらの後押しを受けテレビドラマの世界に登場してきた。きれいな町娘が奉公にあげられ、あでやかな衣装を身にまとうのであるから、その華やかさは今で言えば芸能界に匹敵するだろう。女性の支持を受けるテレビドラマとして進出してきたのは当然の帰結である。
 吹石一恵が演じたお喜世というのは七代将軍家継の生母となる月光院のことである。五代将軍綱吉と柳沢吉保を悪人仕立て(ここでは水戸黄門に描かれるほどの悪役ではなく綱吉のバカさ加減を身にかぶり振り回される可哀想なキャラであった)にして、この月光院らは後に赤穂義士の名誉回復を担う役割を与えられているわけである。
 もちろん、お喜世が内蔵助の手で瑤泉院の許に配されてくるなどありえないことだ。高知 東生の演じた富森助右衛門の妹として登場してきたが、実際は浅草かどこか寺の住職の娘であると言われる。しかし、こういう嘘を暴き立てたところで仕方がない。当の月光院が実際に赤穂びいきであったとするなら、こういうことも許されよう。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事