雨の記号(rain symbol)

伯母峰峠

 少年時代のことを小説で書いている。吉野熊野の山奥に住んでいた頃の話である。
あの辺りは今どうなっているだろうと思って、インターネットで検索してみた。すると出てきた。写真である。僕らが住んでいた沢のすぐそばにトンネルが出来ている。海抜千メートルの伯母峰峠の真下を貫くトンネルである。道路はおそろしく広がっている。前はバス一台通るのがやっとの道幅だった。
 僕らが住んでいた時、峠を越えてバスは走っていた。バスは唸りながら急坂を登っていった。
 大きな台風が来た年、夏休みを利して、僕は弟とその峠まで歩いたことがある。峠をほとんど上りきったところに隋道があった。たぶん、バスを走らせるための隋道である。調べてみると昭和15年に出来たとある。そこからすこしばかり上方が昔ながらの吉野熊野の旧街道、峠の頂上部分であった。岬の突端みたいに上っていって右手へぐるりと折り返したのであろうか。
 下からみるとその辺りに目印みたいになって大きなツガの木があった。遡ること三年ほど前に、分校の者たち全部で遠足で歩いてきた。ツガの木を見て誰かが「首吊りの木や」と言ったのを思い出した。なるほど、首吊りのロープを張れそうな枝が一本、横にぐっと伸びていた。
 隋道の近くには茶店があったというのを誰かが話していた。先生と誰かのやりとりで聞いたのだと思う。その茶店はなかったが廃墟となった家はあった。見かけは家の形をしていたが、中はガランドウでグチャグチャだった。足場は朽ちた木や土がたまり、クモの巣もいっぱい張っていた。そこが茶店となっていた家かもしれなかった。
 その隧道は閉鎖され、近くにもう一本隋道が出来ているらしい。
 ここは上北山村に向かう道路としては使われていないようだ。もっぱら大台ケ原の方に向かう道路として使われているようである。僕らが子供の頃、大台ケ原に向かうバスは僕らの沢の方には走ってこなかった。もっぱら、街道を入之波温泉方面へと向かってバスは走ったのである。今は両方のコースがあるということなのだろう。
 斉藤茂吉もこの峠を訪れ、この峠からの眺めのすばらしさを歌にしていると思った。誰か調べて紹介していただくとありがたい。
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