闘病記(脳梗塞・脳動脈瘤)

今から11年前の31歳の時に、脳梗塞を発病し、それ以後、3回の脳梗塞と脳動脈瘤を併発。それでも1日も諦めなかった。

高次脳機能障害 慈恵医大リハビリ科     橋本圭司先生

2009-02-15 17:11:31 | Weblog
 皆さん~大変ご無沙汰しておりました。 すみません。
 では、前回の続き「高次脳機能障害」についての内容になっております     

 2006年  平成18年  11月    41歳

 僕は、都リハのリハビリ科の先生に高次脳機能障害を専門にやっている、先生がいるので、紹介しましょう。と言われ、「慈恵医大・リハビリ科・橋本先生」を紹介して頂きました。
まず、〔高次脳機能障害〕とは、交通事故や転落事故・スポーツ事故等によって脳に損傷を受け、或いは、脳血管障害後の後遺症として、記憶障害、注意障害、記憶障害、社会的行動障害などの認知障害を生じ、これに起因して、日常生活・社会生活への適応が困難となる障害とされています。
僕は、脳梗塞を何回もやっているので、脳血管障害後の後遺症として、高次脳機能障害になってしまいました。そして、橋本先生の外来に行く事になったのでした。
橋本先生は、若いのに、とてもしっかりとした考えを持っていて、とても信頼のおける先生です。そして、高次脳機能障害についての説明、症状等、教えて下さいました。先生は、「右側頭葉から頭頂葉に掛けて、脳梗塞がありますが、左側の脳は正常に活動しているので、左を使う様にしたら、良いと思います」。と言われました。 そして、色々質問され、先生は熱心に話を聞いて下さいました。先生とは、自然と僕の言っている事が通じるので、会話が進みます。
他の人とでは、中々言葉が通じない事が殆どなので、途中で、話す事に疲れてしまいます。先生との会話が僕の言語での大きなリハビリにもなりますし、自信にも繋がります。橋本先生との、外来は、月1回ですが、先生とお話するのが楽しみでした。 そして、今、こうやって、闘病生活の本を書く事を先生にお話したら、「僕の患者さんでも書かれた人は何人も、いますよ。とても良い事なので頑張って下さい」と笑顔でおっしゃってくれました。僕はまた、勇気が湧いてきました。
 そして、橋本先生に先日の外来で、「飯岡さん、もう少し、ステップアップしましょう。今は、家の人に甘えて何でもやってもらってるでしょ?これからは、自立しなくっちゃ!ね!」と先生に言われ、最もだと思った。
いい加減、自分で出来る事はやっているものの、やはり、家に居ると、つい、恵美子に甘えてしまう。僕が自立するのにいいチャンスだと思いました。そして、僕は、これから必ずもう一度、社会復帰を目指し、今、自分にできる事をまず、やってみる。何があっても、今までの病気との苦悩を思えば、やれるんだ。さあーこれからが、僕に出来る恩返しです。僕を支えてくれた皆さんのために僕は目標に向かって頑張ります。
これが、僕と橋本先生との出会いでした。

 新たに「高次脳機能障害」と言う障害が解った僕は、この障害を素直に受け止め、僕に出来る事、自立への道を誓うのでした