平方録

身辺をつれずれに

声なくて花やこずゑの高わらひ

2018-03-31 06:52:38 | 随筆
やっぱり「大桜」は見事である。

周囲の木立が伸ばす枝のさらにその先で枝を茂らせ花を咲かせている。
花ははるか上空に咲いていて、街中で眺める目と鼻の先で咲いているサクラの風情とは随分趣を異にしているが、これがまた奥ゆかしくも媚びることを決してしない山の中のサクラの真の姿なのだ。
ヤマザクラとオオシマザクラの雑種らしく、花と一緒に葉っぱも随分広がっているから下から見上げると花が隠れてしまいそうである。
そんな恥ずかしがることも無いのにと思う。

広町緑地の真ん中あたりにこの巨樹は存在する。
あわや開発の波にさらされかけ、宅地に削られようとしていた時に時の知事が動き出したのがきっかけで48ヘクタールもの広大な緑の丘陵が保全されたのである。
それ以来、この大桜は地元の人に知られるところとなったわけで、それ以前はひっそりと鳥や風や雲を相手に見事な花を見せていたのである。

もう10数年前になるが、春爛漫の夕暮れ、件の知事たち数人とまだ整備されていない山道に分け入ってこの大木の下に坐ってカップ酒で乾杯したことを思い出す。
そういう思いのこもったサクラでもあるのだ。

夜半から吹き続けていた風は朝になっても収まらない。
昨日のこの欄では西行法師の歌を引いて落花に胸が騒ぐ思いを託したが、朝食を食べ終わるとそそくさと家を出て広町緑地の「大桜」を見に出かけたのだ。
わが家からだと歩いて20分余りかかり、その間にもサクラのきれいなところばかり抜けて行くのだが、それらは帰りにじっくり見ることにしてサッサとわき目もふらずに満開のサクラの下を目的地に向かった。
緑地に到着して入り口を抜けても、今度は大桜に向かって一目散に細い尾根道や谷筋の道を伝ってズンズン奥へ進む。
討ち入りをするときの気分はかくやと思うくらいわき目もふらず、一途に歩いて行ったのだ。

細い山道は茶色の地肌をそのままさらしている。
ちょっと強い風が吹いた後や、花の終わりのころに山道に入るとまるで雪が積もったように散った花びらが山道を白く染めているものだが、そんな気配すらなかった。
咲き始めの花はしっかりと枝にしがみついているものなのだ。
今年もまた会えた。

 声なくて花やこずゑの高わらひ  野々口立圃

大桜はまさにこの句のように咲いていた。



はるか上空で花は咲いている


幹や枝はうねり、天にまで達しようとしているかのようである


照葉樹の多い海辺の森の真っただ中で踏ん張り根を張る大桜


隣には若いヤマザクラが枝を広げ、こちらの方が花自体は眺めやすい


右側の大先輩の大桜と仲良く枝を接しているのだ


この森ではサクラは照葉樹の上に伸びて枝を茂らすので、樹形の全容が見えることはまれである。従って花を見るのも照葉樹の葉の隙間からという場合が多いのだ
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さめても胸のさわぐなりけり

2018-03-30 07:03:38 | 随筆
深夜目を覚ましてトイレに立つと、外は強い風が吹く気配である。

 春風の花を散らすとみる夢はさめても胸のさわぐなりけり

寝ぼけた頭にすぐに浮かんだのが西行の歌である。
今年は咲き始めに雪に見舞われたりした花もあったようだが、その後はうららかな日々が続いて花を散らす狼藉の風も吹かず、冷たい雨に打ちひしがれることもなく、いい塩梅だと思っていたがやっぱり「ハナニアラシノタトエモアルゾ」の井伏鱒二の名訳は生きているのだ。
盛りのサクラは大丈夫だろうか。まさか一夜にして……なんてことはないだろうが、だいぶ花びらのじゅうたんは広がっていることだろう。

于武陵の「勧酒」の和訳は目にしたことがあるはずである。

 コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトエモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 
その昔、入学したての大学で所属することにしたサークルの部屋に初めて入った時、部屋の壁に比較的大きな字でサヨナラダケガ人生ダという部分だけ抜き出した落書きがしてあって、随分陳腐な奴がいるんだなぁとがっかりしたのを覚えている。
どうせ落書きするなら全部書けよ、大した文字数じゃないんだからと言いたかったし、得意がって書いたんだろう神経を軽蔑したのだ。それほどまでに人生の達人なのかよ! って気分だったのである。
呑兵衛のボクはドウゾナミナミツガシテオクレっていうところも大好きなのだ。
本音はナミナミツイデオクレだけれど…

昨日は朝食を済ませた後、新聞を斜め読みしてすぐ家を出た。 
わが家から見える山を含めて幾重にも重なり合う山々に点在するヤマザクラがパッチワークのように存在を主張し始めているので、今の内だろうと山に分け入ったのだ。
特に確かめておこうと思ったのは常盤山に連なる一帯で、生えているヤマザクラの足元で花を愛でたいという地元の有志が人の背丈を越えて密集していたナントカという笹を刈って道を作り、広場を確保したところがあり、実際にどんな具合か確かめに行ったのだ。

春霞に包まれてしまっていてぼんやりとしか見えなかったけれど海も見えたし、はるか彼方には富士山の胸から上がボォ~ッとだけども見えたのだ。
街中のサクラの梢は手の届きそうなところにあって、花そのものも目と鼻の先にあるような感じだが、山の中のサクラは他の木々に負けじと枝先を伸ばすから、花の咲いている枝はずいぶん高いところになる。
そういう彼我の違いもあって、街中では親しげに見られるサクラも山の中で巨木に出会ったりするとそれだけで圧倒され、畏怖の念すら覚えるものである。
山のサクラはちやほやされていないのだ。その一点を取ってみても大きな違いがあるのだ。

今日は広町緑地に分け入って「大ザクラ」を見てこようと思う。
花の季節はあっちのサクラ、こっちのサクラと気ぜわしいのだ。
紀貫之サンと同じ気分なのである。

 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

そうそう、西行サンの「さめても胸のさわぐなりけり」について大岡信は「一面では花が散ることを惜しむ思いを込めながら、実は落花の情景そのものに、ただひたすら惹きつけられ、息をのんでその美しさに没入している心を語っている」と書き残している。
確かに満開のサクラの木々の梢から一斉に花が白い幕を引くように散るさまは圧巻で、その見事さは散る惜しさをはるかに上回るものだ。
一方で風もないのにハラハラハラハラ散る桜の風情もまた感じるところ大なのがサクラなのである。



鎌倉山から見る常盤山から葛原ヶ岡、源氏山へと連なる山並みにサクラが点在しているのが分かる


ズームするとぽっかり浮かんだ山はサクラで埋まっているような……吉野山とは比べるべくもないが、ここは峯山と言うんだそうな


民家と民家の間の狭い道を入っていくと早速ヤマザクラがお出迎え


山道を登っていくと笹が切り開かれたところに出てヤマザクラも姿が良く見える


峯山山頂も笹が切り払われ、見上げれば満開のヤマザクラばかり


近所の保育園児たちが上って来ていて、置かれた手作りのシーソーなどで遊んでいた


逗子方面を望む相模湾は春霞にかすんでいる


サクラ、サクラ、サクラ……


上を見てもサクラ


どっちを見てもサクラ、サクラ、サクラ……ヤマザクラの真っただ中


サクラとサクラの間からは遠くにかすんだ富士山が……


ボクが道端によけて園児たちが通り過ぎるのを待っていると、園児たちが手を出せと催促するものだから手のひらを出すと次々にタッチして通り過ぎて行った


足元にはタチツボスミレが咲き


ホウチャクソウまで咲き出して……


こっちではシャガまで。まだ3月だぜ
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満開の花の下でつぼみと遊ぶ

2018-03-29 06:42:49 | 随筆
春休みの5日間をわが家で過ごした姫を北関東の町まで送り届けるついでに上野動物園に寄り道した。

サクラは満開、春霞が漂っているものの空に雲はひとつも無く、学校もお休みというジャストタイミングに訪れたことはなかったので駅も上野公園も動物園も人、人、人…でごった返しているのにびっくりした。
これほどまでとは思わなかったのだ。認識を改めさせられた。
4月から4年生になる姫は既にジイジのボクとお風呂に入ることはなく、混雑しているところなどではぐれないように手をつないだ方が安心できるのだが、すでに親ともつなぎたがらなくなっているので、後ろを振り返り振り返り歩くことになる。
とはいえ、自分だって迷子になりたくないからボクの後を遅れることも離れることもなくぴったりくっついてくるから、とりあえずは安心である。

そんな成長過程にある姫だが、一昨日に砂鉄を集めに行った稲村ケ崎の砂浜では砂鉄集めにすぐ飽きてしまい、波打ち際で寄せる波と戯れたのだが、こういう時は別でボクの手をしっかり握りしめて波に対峙し、しぶきがかかったと言っては大はしゃぎし、立っている足元を引いていく波が足を砂にうずめていくぅ~と叫んではキャァキャァ大声を出しながら、それでもボクの手を絶対に放そうとはしないのだ。
この辺の落差がボクにはとても微笑ましく思えて、一層可愛さが募るのである。まだ子供なのだ。

つぼみそのものの姫なのだが、観察していると実に目が良く動く。
ボクの数十倍と言ってもいいくらいに目を動かしている。
極端な話をすれば混雑する駅でホームに上がるまでに100人の人とすれ違ったとすると、その100人の持ち物から服装から表情に到るまですべてを瞬時に認識し、同じような女の子がミニオンの絵柄のポシェットを持っていればそれを認識し、年上のお姉さんがスヌーピーの付いた手提げを下げていれば、それを瞼に焼き付ける。
ちょっと変な顔やしぐさをするようなおじさんを見ればさっと僕の後ろに隠れる。エトセトラ、エトセトラ…

ボクなんかは疲れてしまうのであえて見ないようにしていることも含めて、目に飛び込んでくるものはすべて認識してしまうのだ。
そうなるといくら若い細胞の持ち主だってくたびれるに決まっている。
だから姫は東京のターミナル駅を通過したり繁華街の人混みに連れて行くと、だんだん疲れがたまってくるのだ。
帰り道ではぐったりしてしまい、夕暮れ時などに差し掛かると涙ぐむことさえあるくらいなのだ。

でもさすがに昨日あたりは人混みに慣れたというか、目に入るものすべてを認識しないでやり過ごすことも覚えたようである。
そう、それでいいのだ。
世の中にはじっと目を凝らして目を背けちゃいけないものも多いが、無視した方がいいものだって山ほどあるのだ。

若いつぼみは日々さまざまなことを学んで成長していくのである。



砂鉄集めに飽きたので…


サクラが満開の上の公園は通路が見えない


動物園の入り口も長蛇の列


初夏のような日差しに故郷を思い出したか、このサイはじっと動かなかった


不忍池のほとりの西園から見る春霞に浮かんだスカイツリー




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パブリックサーバント!

2018-03-28 06:15:25 | 随筆
考えてみれば、追い詰められつつあるアベなんちゃらにすればこの筋書き以外に道はないのだ。

財務省の元理財局長だったサガワ君にペラペラありのままをしゃべられたら一巻の終わりで、首相退陣どころか国会議員も辞めなくてはならない。
そういう追い詰められた権力者がだまって指をくわえているわけがない。
水面下でどんなあがきをしているか、想像すればすぐに分かることだろう。

これで次の焦点は大阪地検の捜査の結果を待つしかなくなったが、これだって最近の司法の政権寄りの姿勢は目に余る。
そういう状況を斟酌すれば「次の忖度」が現れるところは、わが国最強の捜査機関と恐れられてきた特捜部だって例外ではないのだ。
ここでサガワ君とその部下の下僚に公文書改ざんの責任を押し付けてしまえば、巨悪はぬくぬくと逃げ延び、あの短い舌を使って得意顔にしゃべるアベなんちゃらも、そのノー天気なカミさんも相変わらずの日常を過ごし、この国を好き放題、やりたい放題にしてめちゃめちゃにするはずである。

ただ、世の辛酸をなめてきている庶民の多くのしたたかな視線は、仮にそんな筋書きがその通りに展開したとしても、それでアベなんちゃらの潔白が証明されたとは決して考えないだろう。
マグマはたまってきているのだ。
いささかうんざりもしてきているのだ。
そういう地下に潜り、貯まったエネルギーというものは、必ずはけ口を求めるものなのだ。
何をきっかけに表面まで上昇してくるか、それは分からない。分からないが貯まりに貯まるのだ。そうしたら次はどうなるのか…

それにしても証人喚問のテレビ中継は冒頭部分をチラッと見ただけで孫娘と遊びに出かけてしまったので、昨夜のテレビニュースを見る限りはサガワ君の独り舞台だったような印象である。
でも、まてよ! と思うのだ。
結果としてアベなんちゃらからの指示もアソー財務相からの働き掛けも「全くございませんでした」と明瞭に言い切る一方で、公文書書き換えについての質問には何を聞かれても「刑事訴追を受ける恐れ」を盾に証言を拒んだ姿勢の落差は一目瞭然で、野党議員が怒るのも当たり前である。
奴、サガワ君はここに至っても官邸の意向に逆らおうとせず、官邸の考えたシナリオ通りの答弁に終始したという点では、とことん官僚の垢のしみ込んだ野郎である。

だが、一方であまりに両極端な対応を見るにつけ「どうです、不自然でしょう? でも、この場でボクの口からは言えないんです。察してください」という気持ちを込めたんじゃないかとさえ思わせるようなところがあったのは皮肉である。
皮肉ではあるが、辞めて尚、アベなんちゃらの下僕であり続けるその姿はいかにも哀れとしか言いようがない。
アベなんちゃらの「もし私自身か妻の関与があればが国会議員も辞める」という発言をきっかけに、官邸サイドから「証拠になるような文書などの類はないだろうな」というような念押しがあったのが動機だと、サガワ君が一言証言すればすべては解決するのに。
「この期に及んで」という言い方もあるけれど、垢のしみ込んだ官僚がそんなことをするわけがないのだ。奴の立場は「公僕」「パブリックサーバント」だったのになぁ。

かくして、日本の最高権力の周辺からは「正義」という言葉は死滅、消滅してしまい、それがアベなんちゃらの言う「美しい日本」の真の姿なのである。







わが家のカツラに今年も花が付いた。雌雄異株だそうで、わが家は雄花の咲く雄株ということのようである


放置しっぱなしのムスカリが花を咲かせた。いつも雑草と間違えて引っこ抜いていたらしく、今年再認識したので今後は少しづつ増えていくことだろう。隣にドクダミが…。厄介なのだこいつは
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宣戦布告じゃぁ~

2018-03-27 06:07:33 | 随筆
暖かい日が続くようになってきて、庭の植物の成長が著しい。
すっかり葉を落としていた木々の枝先にも春はやって来ていて庭に限らずわが家周辺の見渡す山腹も、そうとはっきり認識できるわけではないが、もわぁ~っと霞み始めていて動き出す気配を漂わせている。
ヤマザクラの仲間には花と一緒に葉を茂らせ始めたものもあるし、野山に自生しているマユミなどはとっくに柔らかそうな薄緑色の葉を広げ、先頭を切って笑い始めた。

わが家の庭先も例外ではなく、わけても肥料をたっぷり与えられたバラたちの勢いは増すばかりで、つやつやして油でも塗りたくったような新しい葉が太陽の光を反射させている。
つるバラの中には早速つるを伸ばし始めるものもあって、柔らかでみずみずしいつるが伸び始めてきているのを眺めるのは命の輝きを目の当たりにするようで、ワクワクするものである。
そんな嬉しい気分が一瞬にして凍り付くときがある。

よりによってというか、まさにその柔らかでみずみずしい枝先を狙ってアブラムシが樹液を吸いに集まるのだ。
それも枝先が全く見えないくらいビッシリと枝先を覆いつくして張り付いている。
米粒よりも小さな薄緑色をした虫で、よくよく目を凝らして観察するとヒゲのような触角はあるし足だって案外長いのが6本ついている。
口先には白っぽい棒のように見える突起があって、おそらくこいつを和らなか枝先にブスリとさして液を吸うのである。

考えただけでもおぞましい光景ではないか。
テントウムシがこのアブラムシの天敵だが、あんなにビッシリ枝に張り付かれていては如何に天敵と言えどもひるむんじゃないかと心配になってくるほどの密集ぶりなのである。
第一、こんなことをされて樹液を吸われたらその新しい枝の伸長は望めなくなってしまうし、新しい枝が伸びなければ花もつかない。
大打撃なのだまったく!

アブラムシ駆除には強力な農薬をかけるという手があるが、ボクは去年から出来るだけ農薬は使わず、使うなら植物由来の成分で天敵たちや無関係の生き物たちに被害が及ばないように注意を払っているのだ。
農薬を使わないとなると次善の策の一つにガムテープ作戦ってのがある。
こいつはアブラムシが密集しているところにガムテープの粘着部分を当てて一網打尽にくっつけて捕獲するのである。
これは大いに効果があって、安全かつ簡単である。丸めてしまえば捨てるのも簡単だ。
ただ、手の入りにくいところなどには向いていないので、そういう場合は植物由来の薬品かソフト農薬と呼ばれるものを使う。

ボクが使ったのはでんぷんを使った「粘着くん」という名前の液剤である。もちろん天敵にまで被害を及ぼすようなことはない。
薄めて使うのだが、これをアブラムシが浴びるとでんぷんの成分が作る幕が体を覆うので呼吸が出来なくなって窒息死するのである。
一網打尽に吹きかけるとより効率的、効果的に退治が出来るのだ。

庭のバラのすべての新しい枝先を注意深く点検してみたが、今のところ被害が出ていたのはここだけだった。
本格的な勝負はこれからである。
勝手なふるまいは絶対に許さない! 宣戦布告である‼

そうか、今日だったな証人喚問は。粘着くん、出でよ!




アブラムシってこんなだったんだ!






窒息したアブラムシの多くは落下したが、黒く変色してそのままへばり付いているものも多く見られ、よく見ると触角やら長い足が生きている時以上によく分かる


大部分は薄暗い部分に集まっていて見えにくいが、アブラムシはバラの枝の地肌が目ないくらいにびっしりと張り付いている

口直しに

近所の散歩道に咲いていたキイチゴ?
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