平方録

身辺をつれずれに

乾いたぞうきんを、それでも絞るために

2018-02-28 06:38:15 | 随筆
1月がとても長く感じられた分、2月は今日でおしまい。
2月があっという間に通り過ぎるのも毎年のことで、今年も宇宙の運行は順調らしい。
明日からは弥生が始まるわけで、いよいよ長かった今冬の寒さともお別れの時がやってきた。

昨日も初音を求めて広町緑地まで30分ほどの道のりを歩いていってみたが、時折「チャッ チャッ」という笹鳴きは聞こえてくるが、澄み切った声で鳴くあのホーホケキョォ~はまたもや聞けなかった。
唄を忘れるのはカナリヤで、ウグイスが歌を忘れたという話は聞いたことがないから、そのうち聞けるはずだが、何とも待ち遠しいものである。
明日は春一番が吹いて、それに雨も混じって嵐のようになり、気温も20度くらいにまで上がるらしいからいよいよウグイスにもその気になってもらわないといけない。

先週の金曜日に広町緑地を歩いた時は曇り空で時たま青空がのぞく程度でそれほど寒くもなかったのだが、広大な緑地で人っ子一人すれ違いもしなかったのが、昨日は少し寒さが緩んだせいか、入園前くらいの幼児の一団と幼児の人数分のお母さんたちが所々でグループを作って日向ぼっこをしていたし、ストックを持って歩いているおバアさん、犬を連れて険しい山道に分け入っていく中年女性、短パンとランニングシャツで手足をむき出しにした格好で急傾斜の階段を駆け下りてくる若い男、カメラを首からぶら下げてキョロキョロしているボクと同年代と思しき男性など、随分と大勢の人たちとすれ違った。
みんな本格的な春の到来を待ちかねた連中である。

ところで、木道ですれ違ったカメラを首から下げてキョロキョロしていた男性などは、用心しなくてはいけない。
なにせ、この国には反対の大きなうねりを強引に押し切ってアベなんちゃらが成立させた共謀罪が施行されているのだよ。
覚えているだろうか。国会論戦の中で花見に行くのか、はたまたよからぬ企みを秘めて事前の下見に行くのか、どうやって見極めるのだという議論があったのを。

カメラなんか首からぶら下げてキョロキョロ歩いていたら、それこそ挙動不審をとがめられるより前に即警察に引っ張られて行くことだろう。
今はまだそうした状況には至っていないが、いつそのような状況に置かれるのか分かったものではない。
戦前戦中に猛威を振るった治安維持法は、時が来るまでは忘れられたような存在でほこりが積み重なったような法律だったのだ。
それが突如鎌首をもたげてきて善良な、それこそ何も悪いことをしていない、しようとも思っていない善良そのものの市民たちに襲い掛かったのだ。

今の共謀罪がいつ鎌首をもたげてボクたちに襲い掛かって来るか、知れたものではないのだ。
今またアベなんちゃらは経済界の言いなりになって働く人たちを定時を越えてタダでこき使うための「乾いたぞうきんを最後の一滴まで絞るための法律」というものの成立に血眼になっている。
国会の舞台では名前こそ「裁量労働制」とかいう包み紙にくるんで如何にも働く側に裁量の余地がありそうな幻想を抱かせるが、どっこい裁量権は使用者側にある事を隠している姑息さである。
この法案を作成するための基礎的なデータとして用意したデータが間違いだらけだったことが次ぎ次ぎに明るみになって、法案そのものの信頼性が揺らぐことになってもそんなことはどこ吹く風である。
カエルの面に小便とはこのことで、旦那衆に媚びを売るだけで芸の一つも出来ない半端芸者そのものの哀れな姿を、じっくりと有権者が見ているのだということなぞ眼中にもないらしい。

かくしてまた共謀罪同様の、何の悪意もない善良な市民を締めあげて黙らせ、くたくたになるまでタダ働きさせる法律というものが産声を上げるのである。
産声? 多分これまで耳にしたこともないような泣き声なんだろうね。
のんびり初音なんて待っている場合じゃないかもしれないが、既に労働市場からは撤退した身である。
現役諸君の目が節穴でないことを祈るばかりだ。



江ノ島は春霞に浮かんでいるように見え


その江の島の北側、住宅に迫られてはいるものの奇跡的に残された48haもの広大な緑の塊が広町緑地


泥にまみれて駆け回る小さな子たちの歓声が聞こえ


緑地の奥から流れ出て来る水はぬるみ始めてキラキラ輝く
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寒サバもぼちぼち終わりかなぁ

2018-02-27 06:40:10 | 随筆
今の季節、魚と言えばすぐにサバを思い起こす。

水揚げされたばかりの飛び切り鮮度の良いサバの、それも丸々と太って如何にも脂が乗っていそうなサバの姿である。
そういう状態のサバだから当然のこととして目は生きているようにランランと輝いている。

3、4年前に腰越の行きつけの魚屋が閉店してしまい、魚屋の店先でも覗いてくるかという目的のはっきりした散歩が出来なくなり、実に悲しく寂しい思いをしているのだ。
それに代わりうる魚屋がないではないが、スーパーのような規模の大きな魚屋で、地元で揚がった魚ももちろん並ぶのだが、同時に全国で水揚げされる魚も大々的に扱っているから魚種の豊富さから言ったら魚っ食いには申し分ないのかもしれないが、ボクは偏狭にも地元相模湾産を偏愛しているのだ。

例えばアジ。
最も味が良くなるのは産卵期を控えた初夏から真夏なので今の時期は旬ではないが、それでも魚屋の店先からアジの姿が消えることはない。
産地を聞けば九州だったり東北だったりして、多分西の方から届くアジは養殖物が多いのだと思うが、手を出す気にはなれない。
何せ目の前の海で揚がった魚を食わずに、わざわざ遠くから運ばれてくる魚を食う気にはなかなかなれないのだ。
待っていればやがて新鮮で安いものが手に入るのだから。

サバについていえば、これは今まさに寒サバの季節であって、三宅島付近に好漁場があり、三崎のサバ漁船や伊豆・下田あたりの漁船が大挙して操業している。
だからサバに限って言えば、今魚屋の店先に並んでいるサバの大部分は地元相模湾産のサバということになる。
まさに旬のサバが出回っているのだから、買い! である。
正確に言うと三宅島は相模湾のちょっと先だが、まぁ誇大広告とまでは言えない、許容範囲ではないか?

相模湾で獲れたばかりサバを目にすると、大概はほかに目もくれず買って帰ってシメサバにして食っていた。
その締め方も軽いもので、塩で締める時間は小1時間。
そして酢に新鮮なレモンを数個絞って、そこに浸すのも15分~20分程度という短いものである。
レモンを加えるのは、そうすると「まろみ」とほのかな甘さも加わるためで、これは直木賞作家の高橋治氏直伝の技なのだ。
シメサバとは言うけれど、ほとんど生で食べるようなもので、でもナマではないというのがボクの好みであったのだ。

これはずいぶん長い期間続けていたから、たまに外でシメサバを食べるような機会があっても、締め過ぎにがっかりさせられることが多かった。
ところが、もう3、4年前になるが妻がボクの作ったシメサバでアニサキスも飲み込んでしまい、胃カメラまで飲み込む羽目に陥ったのだ。
以来、1人で食べてもおいしくないのでシメサバとはご無沙汰が続いていて、ピンピンのサバを見ても心が躍らなくなってしまったのが悔しい。
今度復活させるときは24時間冷凍庫に入れたものを〆るようにするつもりだが、いつのことになるだろうか。

シメサバ復活の日の来たらんことを!




近所の自然公園で初音を待っていて、フト視線を下げたらアシやガマの枯れ茎の中にアオサギがじっと立って餌を狙っていた


管理人の話ではアシの茎に虫がいるらしく、ウグイスがやって来て笹鳴きが聞こえると言うが声も聞こえす姿も見なかった


池の一角では最近寄りついている「はぐれウ」がカメと並んで日向ぼっこをしている
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見事な奴ら

2018-02-26 06:32:23 | 随筆
冬季オリンピックについて一言も触れてこなかったので、それもなんだなと思い直して感じたことを一つ二つ…

何はともあれわが平方録の由来になった「へぇ~」「ほぉ~」を幾つか。
まずはスノーボードハーフパイプの平野歩夢クンのこと。
偏見に満ちたジジイは街中のスケートボードなどをしている連中と同一視してしまい、ああいう競技を好む人間は押しなべてズボンを腰の下までずらして、今にもずり落ちそうにして履く輩であって、決して相容れない人種だなと思っていたのだ。
それがニュースか何かでちらっと見て、その運動神経のずば抜けたすごさと演技の大胆さに口をあんぐりさせられてしまった。

しかも、テレビのワイドショーだったか新聞の端っこの方に出ていたのか定かではないが、彼の日常は空中で自由なパフォーマンスが繰り広げられるように節制に次ぐ節制で食事は1日1回と決め、しかも水分は水以外は口にしないという徹底ぶりだという。
水以外の飲み物には塩分やら糖分、あるいは様々なミネラルの類、人工の添加物が加わっていたりするのを嫌ってのことだろうと推察するが、出来るようでいて実際にやるとなると簡単にできるようなことではない。
コーヒーもお茶も口にしないなんて…

それを365日、何年も続けているというのだ。しかも空中姿勢をきちんと維持できるように暇さえあれば腹筋を鍛えているのだという。
そこまで徹底しても彼は銀メダルしか手に出来ず、表彰式でメダルをかけられてもインタビューを受けてもニコリともしなかった。
4年後を期してのことだろうが、こういう決意を秘めた変人じみた男は大好きであり〝腰パン野郎〟を見直したのだ。

次はスキー複合の渡部暁斗クン。
ノーマルヒルで銀メダルを取った時、クロスカントリーの先頭集団でドイツの選手とトップ争いをしている時、風の抵抗を一人で受け止めなければいけない不利な先頭にドイツ選手と共に交互に立ち、結果としてドイツ野郎にスパートされて僅差の銀メダルになってしまったのだが、終了後の言やよし。
ドイツ選手の後ろから行けば風邪をよけられて体力を温存できたのではないかと問われ、「フェアな条件で競いたいと思ったから先頭を交代して前に出たのです」と。

アスリートだねぇ。すべての競技を終えた後、コーチがろっ骨骨折で痛み止めの注射をして戦っていたと明かしたのは余計なことだと思ったが、そんなことを暴露しなくったって十分に奴は立派だった。
人間的にも信用が置けるね。
体脂肪が何と5%だというからこちらも驚きである。

フェアプレー精神という観点から見るとスピードスケートの女子500m決勝でオリンピック新記録で滑った後、会場が沸きに沸いて歓声がなかなか止まないのを見て、唇に指を1本当てて「シィ~」のサインを送った彼女の姿も印象的だった。
直後のレースに2連覇中の地元選手が控えていたからだが、短距離レースには集中力が必要で、ざわついたところではその集中力がそがれかねないという危惧からの行為だったのだ。
これも一流アスリートならではの配慮で、自分さえよければという態度とは対極にあるものだったのだ。
それだけでも十分に金メダルに値する。
仲間を置き去りにしてその仲間が悪いのだなどとうそぶくような選手はアスリートとは呼ばない。
レース終了後、地元の期待に応えられずに2位にとどまって悲嘆にくれる韓国選手の肩をそっと包んで「リスペクトしているよ」と励ましたりもしたそうで、この小平奈緒という選手も忘れられない魅力の持ち主である。

日本でも自分さえ良ければ、という風潮がじわじわと広がりを見せる中で少なくとも2人が示した態度には感じるところ大であった。

ざっと並べてもエピソードは数知れないが、これ以外にもスキージャンプの沙羅ちゃんの銅メダルにはボクも少し目が潤んだ。
フィギュア男子のユズルくんも短期間でよくあそこまで回復させた。何かボクらの考えも及ばないような所で、相当な努力があったとしか思えないすごさだった。
緊迫の中のゆる目というのか「そだね~」の言葉が耳に残ったカーリングも銅メダルを取って、まなじりを決して挑むばかりではなく、笑顔で臨む競技というものもあるのだということを知らされた。
メダルに届かなかった選手たちにもオリンピアンとして晴れ舞台に登場するまでの努力の積み重ねは半端なものではなかったろうと思うと「参加することに意義がある」というクーベルタンの言葉はその通りなんだなぁと思うのである。
何度もオリンピックは見てきたのに、こんな感想を持つなんてことが信じられない気分だ。どうなっちゃってるんだろう。

最後に一言。
わざわざテレビで放映させるためにビデオ収録までしてアベなんちゃらが奈緒ちゃんとユズルくんに掛けた意味のない電話。
ありゃぁすべてをぶち壊してしまう愚挙である。愚挙! 見苦しい! 
オリンピックの政治利用じゃないか、恥を知れってんだ。
さわやかな風が吹いている現場にしゃしゃり出てくるなと言いたい。



イワタバコの葉が出始めた=円覚寺龍隠庵


同上


こちらは東慶寺のイワタバコ。東慶寺の群落は見事である


東慶寺ではがけ一面にイワタバコが咲く
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万万歳って言葉生きてる?

2018-02-25 06:24:27 | 随筆
ちょっとだけれど、実に1年半ぶりに自転車を漕いで隣町まで往復してきた。

距離にすればまったく大したことはなくて往復9キロだったが、そんなことは問題ではなく、漕ぎだせば身体に受ける風が暖かかったことと、漕ぎたくても漕げなかったのが漕げるようになったという状況の好転という2つの点において大いにうれしい日となった。
実はドクターストップを受けていて、それがようやく医者の許可が出て解禁の運びとなったのだ。
1月末にそのご託宣は得ていたのだが、何も寒風吹きすさぶど真ん中に漕ぎだす物好きもいないだろうし、ボク自身そんなバカげたことはまっぴらで、家の中で赤い鼻緒のじょじょを履いて外に出たがっているみいちゃんのように春の到来を待っているのだ。

だから乗り初めは3月に入ってからだろうなぁと考えていて、その前に自転車整備を念入りにやらねば、と思っていたのだ。
そうしたら昨日は朝からぐんぐん気温が上がっていって、陽だまりで自転車を磨くにはうってつけの光が降り注ぎ始めたというわけである。
まずは整備である。メンテナンスをスルナンデスなんですな。
大事に乗ってきた自転車だからいつも玄関の中に入れて保管し、けっして雨風にさらすようなことはしなかったお陰でパッと見には変速機の前後のギアとチェーンの油が乾き気味だったことと車輪リムやスポークに若干のほこりが付いていたくらいである。

ギアとチェーンがスムーズに動くようにさび落としを兼ねた油を差してクランクをぐるぐる回し、前3つ後ろ9つのギアが滑らかに動くかどうか一つ一つ動かして見て確かめ、車軸にも滑らかに回ってくれるように油を差す。
そして車輪のリムと前後28本ずつあるスポークを1本1本丁寧に磨いて汚れを落としていく。
ブレーキパッドの減り具合はどうか、肝心の効き具合はどうか。
そしていったん前後の車輪の空気を抜いて再び空気を入れ直す。

こういう作業の一つ一つが何より楽しくて、しかもうれしい。降り注ぐ陽はとても暖かくて柔らかい。
まずは試運転である。
近所の少し起伏のある道を選んで10分ほど走ってみる。
ギアの動きに問題はない。ブレーキの効き具合も異常ナシ。
かくして自転車の状態は以前と変わるところが無いようである。ヨシ!

さて問題はボク自身の筋肉がどうかという点である。
これは正直って現物の太ももとふくらはぎを触り、外側から見れば一目瞭然なのだが、両方の筋肉は両足ともに1年半放置してきたわけだから、それなりのものになってしまっているのだ。
鍛えてきたはずの心肺機能だって、急坂や急階段を上れば息も絶え絶えになってしまうようになってしまっているから、それなりのつけを払わされているのだ。
こちらを取り戻すのは喫緊の課題であって、そうはいっても一朝一夕という訳にもいかず、一つ一つ積み重ねて行って取り戻すしかない。

もう一つ気がかりがあって、山中伸弥教授とタモリが登場するNHKの番組で若さを保つのに「骨」がそのカギを握る指令物質を出しているという新しい知見を紹介していて、若さを保つには特に大腿骨など足の骨に衝撃を与えることでその機能が維持できるのだと言っていたのだ。
そのために最適なのがジョギングやジャンプで、歩くこともまぁ、いいらしい。しかし、自転車は漕ぐだけで足の骨に衝撃は伝わらないからその恩恵にはよくさないんだそうな。
どれだけ自転車を漕いで遠くへ行ったって、どんな急坂を上り切ったって、それは筋肉増強と心肺機能の強化には役立っても身体の若さを保つためには何ら効果はないというのだ。

昨日は本格的な解禁を前にしたプレ解禁の位置づけで、これからもっと暖かくなったら正式な復活の祝典ライドをやろうと思っているのだ。
しかし、自転車の頻度は少し落としてジョギングなんてものも考えて見る必要がありそうで、複雑な気持ちである。
ボクの辞書からは「万万歳」という言葉が消えつつあるのかしらん。





ギアやらチェーンの具合を点検する


フェニックス号と名前を付けようかな
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耐寒性が備わっちゃったらしいや⁈

2018-02-24 06:32:30 | 随筆
12月早々からこの方、80日間も寒波漬けにされてきたためか気が付いてみたら耐寒性のようなものが備わってきたのかもしれない。

何の話かと言えば、前日の冷たい雨に引き続いてどんよりと垂れこめていた雲の隙間から、ようやく午後になって薄日が漏れてきたので散歩に出たのだ。
その際、玄関を一歩出た途端「あれっ、今日はやけに暖かいな」と感じ、真冬を通じて身にまとっていたものの内の一つをあっさりぬぎ捨てたのである。
寒がりのボクにしては大胆な行動と言わざるを得ない。……ちょっとオーバーか?
つまり極暖の長袖下着と冬物の格子柄のシャツ、その上に羽毛のほとんど入っていないパタゴニアのダウンジャケットといういでたちである。
寒さを感じる場合はこれに薄手のセーターかダウンのベストを着込んでいたのだ。

耐寒性に関していえば、そんなもの切望しているわけでもなんでもないから別に嬉しくもなんともないし、そんなものはいらないから代わりに暖かな空気を下さいと声を大きくして言いたい。
第一、南関東の海辺の町で暮らしているのだ。そもそも耐寒性なんていうものを必要とするような土地柄ではないのだ。
こういうところでは例年本格的な寒さというものがやってくるのは年明けからなのに、今冬に限っては師走に入った途端寒波がやって来たのだ。
それがずっと居座っているのだからいい加減にしてくれと辟易しているのが今の気分である。

そんな中で1枚脱ぎ捨てた格好で人気のない尾根筋の道を2時間ほどたどってきたのだが、アップダウンがあるから当然かもしれないが、途中で汗ばんだくらいである。
夕食の時に妻に今日は暖かかったなと同意を求めたところ「あら、そうぉ? 」と懐疑的な答えが返ってきた。
何時も寒さなんか眼中にないように動き回っている妻にしてこれだ。ということは…
寒がりのボクにしてこれはもう耐寒性というものが備わったんではあるまいか、と一人合点をするゆえんである。

散歩に出たのには訳があって、このところの散歩はいつもそうなのだが初音を求めてのそぞろ歩きなのだ。
従って人気のない山道や残された緑地の藪が残っているようなところを探してはたどっているのである。
定点観測地点は近所の自然公園なのだが、昨日はここに加えて耐寒性装備記念ということもあり、少し足を伸ばして去年2月25日に初音を聞いた広町緑地の中も歩いてきた。

結論から言えば「まだ!」である。
定点観測地点の自然公園で自然林に分け入って絡まったツルを切ったり、倒木の始末などをしていた管理人に「どうです? 今年はもうウグイスの声を聞きましたか? 」と聞いたところ、「まだですねぇ」と即答が返ってきた。
「チェッチェッ」という舌打ちするような、笹鳴きと言うらしいが、それは聞こえるという。
「笹鳴きは聞こえてますから、どこかに行っちゃったってわけでもないようですよ。今年の冬は寒いですからねぇ」とわざわざ遊歩道まで出て来てくれて相手をしてくれた。

確かに「チェッチェッ」という声は耳をすませば聞こえてくる。
しかし、求めている初音は恋の季節を前に縄張りを主張する高らかなファンファーレであって、この初音が響かなければ短歌も俳句も随分と物足りないものになったことだろう。
日本人の感性も随分と乾いたものになっていたに違いないのだ。

ボクだってようやく1枚脱ぎ捨てたのだ。早く初音を聞かせておくれ!



去年の2月25日に初音を聞いた広町緑地の木道付近


此の時は笹鳴きも漏れてこなかった


広町には山桜の大木があちこちに点在するが、これはその中でもわざわざ「大桜」と呼ばれているオオシマザクラで、大木が4本合わさったような大きさで周囲を圧倒している
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