長かった1月もようやく終わる。
次の2月という月は無いが如くにあっという間に過ぎ去るのが常だから、瞬きひとつにもうかうかできないものがあり、心構えとしては春を玄関先に出て出迎えるようにしたいものである。
ウグイスの初音を聞き逃したくないし、わが家ではまだ顔を出していないが、早くフキノトウを味わってもみたい。
ひょんなことから「おぉ!」と思わず膝を打ってしまった句に出会ったのだ。
春の寒さたとえば蕗の苦みかな 夏目成美
春の余寒にしたってフキノトウの苦みにしたって、人によっては変哲さを感じるものかもしれないが、一般的にはごく日常のありふれたものだ。
それがこうやって並ぶと、いきなり無限大の空間に飛び出していくようで脱帽するしかない。
こういう句を詠みたいものだ…とつくづく思う。
それにしても、5つか6つのフキノトウでも摘むことさえできれば、山の神にフキ味噌にしてもらい、日本酒をちびりちびり飲りながら嘗めた時のあのほろ苦さこそ、待ち望んだ「春」そのものと言っていい。
余寒だって淡雪だって、南関東ではまさにこれからのもので、淡雪どころかドカ雪になって首都圏を混乱させたって、この一つ一つを一里塚のように踏みしめることが「春がやって来た」ことの証なのだし、実感ってやつなのである。
これから現れるものはみなすべて「春の、春による、春のための」出来事であって、それ故ににぎやかで明るく楽しいもになるってわけなのだ。
……と、書いたところでハタと筆が止まる。常套句を排して正確に言うと‶キーボードを打つ指先が止まる〟。…まっ、いずれこうなるのかもしれないが、ジジイは微妙。
なので「筆」の方がしっくりくる。
なんてことはどうでもいい…
今朝はこの句がすべて♪
余計な駄文は目障りだし…
写真は昨日、太陽は雲に隠れ、北風が吹きすさぶ不景気な空の下、物好きに立ち寄った北鎌倉・浄智寺のフクジュソウ