東海道線の東京駅と熱海駅の間を走っていた橙色と濃緑2色に塗り分けられた15両編成の電車を昔は「湘南電車」と呼んでいた。
鉄道好きや乗客が勝手にそう呼んでいたわけではなく、ホームや車内の案内放送でもしばしば「湘南電車」が使われていたから、当時の国鉄公認の呼び方だったと言ってもいいのだろう。
ただ昭和40年代前半にボクが東京の大学に通うようになった辺りから、この呼び方は廃れはじめたようで、やがて卒業するころには長年この路線を利用してきた人たちが何気なく使う以外、耳にすることも無くなってしまった。
東京と鎌倉を結ぶ横須賀線を「スカ線」と呼んだ以外、東京近郊の路線で路線名で言わずに、こうした愛称的な名前で呼ばれた路線を他に知らないので、何か特別感があって好ましく感じていたのに残念な気がしたものだった。
話が回りくどいが、この湘南電車が走る沿線には名物の駅弁がいくつかあった。
その代表選手は横浜駅の崎陽軒のシウマイ弁当なのだが、どっこい、大船駅にも名物があり、それが大船軒の「鯵の押し寿司弁当」であり、「サンドイッチ弁当」である。
相模湾で獲れた小鯵を使った押し寿司弁当は小田原駅にもあり、東華軒が作っているが、地元びいきもあり、大船軒の押し寿司弁当に断然軍配を上げていた。
鎌倉文士のひとり、直木賞作家の立原正明もお気に入りだったと見えて、東京へ出向く時のちょっとした手土産に、この鯵の押し寿司弁当を持参した様子をエッセイに書き残している。
そういう"名物"の一つだったのだが、ひょんなことから製造していた大船軒が身売りしてしまい、今では身売り先の埼玉県の工場で作られていると聞いて、軽い驚きを禁じ得ない。
最近は酢の締め方がきつく、塩辛過ぎて、医者から「塩分を出来るだけ控えるように」と言われている身には、不具合な食べ物になってしまっていた。
昔の味は上品で…などとボヤくと、ロージン特有の昔を懐かしむ繰り言と思われかねないが、列車旅の酒のお供には絶好の駅弁だっただけに「食べる人をみんな高血圧にするつもりかっ」と腹立たしくも寂しい思いをしてきた。
鯵の押し寿司弁当もサンドイッチ弁当も、身売り先が引き続き製造販売を続けるそうである。
とはいえ、地元の名物の一つが忽然と姿を消してしまったという事実は決して軽いものではなく、やけに秋風が身に染みるのを感じて泣けてくる…と言ったら大袈裟すぎるだろうか。
あぁ、ゆく川の流れは絶えずして しかも元の水にあらず……
クラシカルにしてモダンさを漂わせる大船軒の旧本社屋=大船駅西口からすぐのところ
玄関は鎖で施錠されていた
手前は閉鎖された工場棟
これが鯵の押し寿司弁当
こちらは明治32年に駅弁に日本で初めて登場したサンドイッチ
鎌倉ハムのボンレスハムとチーズがはさまれている
(弁当2種の写真はネットから拝借)