いやぁ~、びっくりした。
公の機関がそこまで言うか…と心底驚きつつ、そのとおりだ、よくぞ言ってくれたっ!という思いだ。
公正取引委員会が「ニュースが国民に適切に提供されることは、民主主義の発展において必要不可欠だ」と至極もっともで当たり前だと思って来たことを、改めてズバッと言い切ったからだった。
公取委は突如狂ってしまったわけではない。
ネット社会の急速な発展に伴って、あれよあれよという間に主流になってしまった感のあるネット配信ニュース。
それを担っているヤフーなどニュースプラットフォーム(PF)事業者と、記事を提供する新聞などメディア各社の取引実態の調査をしてきた公取委がその報告書を公表し、思い切った指摘をしたというわけである。
ここで重要なのは、PF事業者の中でメディア事業者の約6割が取引しているヤフーについて「メディアに対して『優越的な地位』にある可能性は否定しきれない」と断じつつ、記事の配信を受けるメディア各社との契約内容を一方的に変更したり、著しく低い使用料を設定したりすることで不当に不利益を与える場合、「独占禁止法上の優越的地位の乱用に当たる」とまで指摘した点だ。
そして、民主主義社会におけるニュースの存在が如何に重要かを解き、指摘したのが前述した「ニュースが国民に適切に提供されることは…云々」という文言である。
世の中で日々起きる事柄を正しく理解し、その意味について考えたり自分自身の行動に反映させる場合、その事柄を客観的かつ正確に、しかも迅速に伝えてくれる存在抜きには絶対に不可能である。
それを可能にしているのが、民主主義社会では活動の自由を保障されている新聞など報道各社の存在であり、報道各社が日々提供するニュースや背景を詳しく解説する記事に他ならない。
かつてそれぞれの報道機関が提供するニュースはその報道機関が発行する媒体でしか読むことはできず、そうしたニュースを知るために我々国民は一定の金額を支払って、その媒体を手に入れなければならなかった。
ニュース…新鮮で正確な情報と言うものは、タダでは手に入らず、各自がお金を払ってアクセスするものだった。
それがネット社会の急激な普及に伴って、あれよあれよという間に、お金を払わなくても済むようになり、それがやがて新聞離れ引き起こしつつ、新聞社など報道機関の経営を圧迫し、ひいては民主主義の危機が言われるようにさえなってきているという現実がある。
そうした報道機関で一つのニュースをものにするには、大変な思いをして事実かどうかの裏付けを取り、何人かの証言なども得つつ、何度も中身を確かめるなどの作業を時間との戦いの中でこなしたうえで、ようやく日の目を見ることが可能となる。
それが無料でネット空間にさらされる不合理!
かつてその報道機関に端くれとして身を置き、昼夜を分かたず駆けずり回った者のひとりとして納得のいかないことだったが、今回の公取委の指摘を胸のすく思いで受け止めている。
繰り返すが、ニュースや情報がタダで手に入ると思ったら大間違いで、タダで情報が入手できる社会というのは、都合の良い情報しか流さない専制主義国家の為政者のやり方にほかならない。
一方で、現在ネット空間に広がるニュースと呼ばれる類の中には出所が明らかでないものも含まれ、フェイクニュースという偽情報が氾濫しているという現実もある。
常に真贋を一目で判断できる知識、情報を身に付けることができる人物であればいいが、大多数の国民にはそれは無理と言うものだ。
気がついたら日本国民の大多数が何か特別な方向に向かって洗脳されてしまっていた…なんてことだって起きかねない。
それぞれの報道機関が担う「責任ある編集」というのが欠かせない所以だと思う。
残念ながらPF事業者にはそれは不可能だし、そもそもそういう機能は最初から備わっていないのだ。
そういう観点からも、健全なジャーナリズムがこの先も長く存続できるような環境整備を図っていく一助に、今回の指摘が役立ってくれることを願わずにいられない。
茅ケ崎市北部の県立里山公園の際にあるコスモス畑が盛りを迎えつつある
奥にはキバナコスモス畑