2月19日付け朝日新聞朝刊から
頼みの母親にもかばってもらえず、父親から来る日も来る日も暴力を受け続け、学校の担任に助けを求めたが何もしてもらえず、一旦は児童相談所に保護されたにもかかわらず児相の認識の甘さから家に帰され、その後一層苛烈を極めた虐待によって去年1月の深夜、風呂場で裸にされたところに冷たい水を浴びせ続けられた末に呼吸が止まってしまった10歳の女の子がいた。
栗原心愛ちゃん。
みあちゃんと読むんだそうだ。
去年このニュースを新聞で読んで、ボクはほとほと胸が悪くなった。
虐待を続けた父親は「許して」と懇願する娘をもてあそぶように、苛め抜くことを日課にしていたのだから、その情景を想像するだけでも胸を掻きむしりたいほどやるせない気持ちにさせられた。
その心愛ちゃんが命を絶たれる3か月前に学校の授業で「自分への手紙」を書いていたことが分かり、それが新聞記事の1面に掲載された。
一応、手紙の写真を掲げておいたが念のため文字で記しておく。
自分への手紙
栗原心愛さんへ
三月の終業式の日、あなたは漢字もできて、理科や社会も完ペキだと思います。十月にたてた めあて もうたっせいできましたか。自学ノート( )さつめまで終わりました。五年生になってもそのままのあなたでいてください。
未来のあなたをみたいです。あきらめないで下さい。
4年1組 くりはらみあ より
記事の中身はほとんど読んでいない。
というか、この手紙に目を通しただけで、文字がみるみる霞んでしまって読めなかったといったほうが正しい。
母親にも見放され、学校の担任にも、児相にも助けを求めたのに…
そうした絶望の淵で「未来のあなたをみたいです」と綴る気持ち、「あきらめないで下さい」と自分を叱咤する健気さを思うと、どうにもいたたまれなくなって胸を掻きむしりたくなる。
きれいな字で丁寧に書かれていることが余計につらい。
こうやって書いているだけで文字がにじみかけてくる。
心愛ちゃんはボクの孫娘の姫と同学年なのだ。今5年生。
21日から父親の公判が始まるそうだ。
街道で待ち伏せして鉄砲で織田信長を狙った根来衆があわやのところでひっ捕らえられ、信長の前に連れてこられた時、信長はその場で切って捨てるのではなく、肩まで埋まる穴を掘らせ、そこに首から上だけ出して埋め、街道をゆく旅人たちに首に当てた竹で作ったノコギリを引かせたんだそうだ。
鋼のノコギリだって、その痛さ辛さは尋常じゃなさそうだが、竹製となれば切れ味は格段に悪かろう。
何べん引けば息絶えるのか。その残虐性には驚くばかりだが、ボクの正直な気持ちは心愛ちゃんの父親にはその刑が最もふさわしいと、この事件を知って以来、思い続けているし、ボクもひと曳きしたいくらいである。
そう思っていたら、また目が点になるような出来事があった。
同じ日の夕刊記事で知った。
神戸のこども家庭センター(児童相談所)に「家を追い出された」と小学校6年生の女の子がやってきてインターホンを押したんだそうだ。
時刻は未明の午前3時ころ。
すると、応対に出た委託の職員はインターホン越しに「警察に行きなさい」といって追い返してしまった。
女の子は仕方なく近くの交番に行き、交番から連絡を受けた児相がようやく保護したんだそうだ。
女の子の家と児相との距離は分からない。
しかし、どっちにしたって、寒空の真夜中の街をたった一人でトボトボ歩いて、多分以前にもお世話になったことのある児相に行けば何とかなる、助けてくれると思ったんだろう。
親も親だが、心愛ちゃんのような残酷な目に合わせないだけマシ(ちょっとヘン…か)。
許せないのは児相の委託職員の方だ。
そいつには子供はいないのか。開いた口が塞がらない。
寒空の未明に小学生の女の子がたった一人で児相のインターホンを鳴らすか ? 助けを求めるか ?
普通ならあり得ないだろうに…何のための児相だと思ってんだ、バカたれ目が !
こういう子どもの心の痛みを分かってあげようとしない大人も竹製のノコギリ引きにしてやりたい。