平方録

寒サバの季節がやってきた

その昔、30年ほど前のことだが、真冬のサバ漁に同行させてもらったことがある。

午後3時過ぎに三崎港から出港し、三宅島周辺の漁場まで出かけて行って夜通し漁を続け、明け方に漁を終えて帰港の途に就くのである。
深夜の漁だから集魚灯を煌々と照らして操業するのだが、明かりを灯すとすぐに船の周りの海面すれすれに魚影が走り始める。
魚群探知機で群れを見つけてそこで明かりを灯すから、見えているのはサバばかりである。
乗り込んだ漁船の周りにも仲間の漁師の船が操業しているので、サバの群れの周囲はたくさんの漁船が灯す明かりで昼間のように明るくなる。

この明るい光を受けて見える魚体のスピードは狂ったように早い。
ボクが驚いたのは、その魚体が放つ青い光の美しさだ。
釣り上げたサバをしげしげ見ると、背中の辺りは濃い青が主体で、新鮮であればあるほどその青は深く、そして鮮やかな光を放つのだが、泳いでいるところを上から見る場合は、集魚灯の光に明るく照らされた海はコバルトブルーの海になり、その中を魚体の背の青さが加わり、さらに腹の白い部分がきらきら光るのである。
周囲が真っ暗な中のコバルトブルーの海というのは印象的で、さらに漁労長兼船長の「集まる魚が多い時は魚の上を歩けそうなくらいだ」という言葉も現場で聞くとあながち誇張でないように思われた。

こういう光景というのは、想像の世界ではなかなか望むべくもなく、実際に現場に立ってみて初めて覗くことのできる体験なのである。
「現場が何より大事」という一種格言めいた言葉は職業人ならあらゆる場面で聞かされ、実際に感じることだろうが、まさにこの漁場のど真ん中に於いておや、だったのである。

あの時、どうやってサバを獲っていたのかよく思い出せない。
それくらい、印象としては漁場のサバの群れの美しさと海の色の美しさに圧倒されていたのだと思う。
サバ漁で聞くのは棒受け網漁だが、三崎の漁船は長い棒の先に丸い小さな網を括り付けた「タモすくい網漁」をしているらしいから、多分それだったのだろうと思う。
カツオのような一本釣りではなかったし、効率が悪そうだなあぁと思ったから、間違いないだろう。
人間の記憶というのは鮮やかに覚えているものがある場合、他の部分が欠落してしまうことがままあるのだ。

この漁の帰り、もう一つ忘れられない光景を目撃したのだった。
往路の凪いだ海とは打って変わって、西寄りの季節風が強く吹き付けた帰りの海は波高6、7メートルのうねりの中を満杯のサバを積んだ船は8ノットがやっとという速度で、えっちらおっちら進んでいたのである。
8ノットというのは時速12、3キロである。
ボクはブリッジに立たせてもらって波間に浮き沈みする光景を眺め、北斎の「神奈川沖浪裏」の木版画を思い浮かべていたのだ。
その時、フト船首前方右手わずか100メートル足らずのところに、突然黒い物体が現れ、目を凝らそうとした次の瞬間にはその物体は消えていた。

唖然としていると、5分も立たないうちだろうか、10分くらいは立っていたのか、今度は行く手左前方にまたその黒い物体が現れたのだ。
今度ははっきりわかった。
潜水艦のブリッジである。
潜望鏡もはっきり見えた。
距離も先ほどと変わらず、100メートルも離れていない、だろう。超至近距離に見えたのだ。

漁労長兼船長に聞くと「横須賀の米原潜だよ。時々やられるんだよ。奴ら訓練のつもりだろうが、船の下くぐってんだよ。危ねぇ~んだよナ」
そのあと5、6年経った後だった。愛媛の水産高校の練習船がハワイの沿岸で米原潜の急速浮上に船底を突き破られて沈没し、実習訓練中の高校生が大勢亡くなったのは。
この痛ましいニュースを耳にして、波間に現れた得体のしれない黒い物体の恐ろしさがまざまざと蘇ってきたのだ。

いま寒サバ漁の最盛期に入ったころである。
ボクが乗り込ませてもらったのも寒サバ漁の時期である。
秋サバが美味しいと言うが、三崎港で揚がる寒サバも脂が乗っていておいしい。生で食べるのが一番だが、浅く締めたシメサバも十分イケる。
この安い魚が身近に出回るとすれば、これほどうれしいことはない。サバは大好きな魚の一つなのだ。




荒れ模様の相模湾




打って変わって静かな相模湾
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