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平方録

梅雨明けの空に思いを馳せつつ

起き抜けにベランダに出て見ると小糠雨とも呼べないくらいに細かくかすかな雨が…というか、雨とも形容できないくらいの霧状に近い物質が、これまた落ちてくるのではなく空気中に漂っているかのようである。

そよというかすかな風の動きもないから漂うしかないと言うことなのだろうし、そもそも日曜日の夜明け直後の住宅街には余計な音は何も聞こえてこないからシィ~ンと静まり返っている。
いつもの朝なら鳥たちの鳴き声があちこちから聞こえてきているし、わけても「チョットコォ~イ」というコジュケイの甲高い鳴き声や静けさを引き裂くように響く「トォ~キョォ~トッキョキョカキョク」でおなじみのホトトギスも沈黙したままだから静けさに一層の拍車がかかるというものだ。
こういう光景を指して小説家は「小さな針が床に落ちる音さえ、半鐘を鳴らしたように響いてきそうな静けさである…」とかナントカ、大袈裟を極めるような表現をするのだろう。
そういう比喩をあえて使って見たくなるくらいの静寂が辺りを支配している。
そんなことをぼんやり考えながら立っていると、身体はすっかり濡れてしまうのである。
それにしても、空気の流れは完全に止まってしまったのではないか ?
雨が下に落ちてこられないのはそのためもあるのかもしれない…

わが家のバラはほぼ終わってしまった。
ポツリポツリと開いてくる2番花に「おぉ、咲いたか」と挨拶するくらい。
次の本チャンは秋10月だから、それまではあまり無理しなくていいんだよ。
3番花まで無理して頑張らなくていいからね、と声をかける。
12月から楽しませてくれているパンジーは花がやや小さくなってきたようだが、相変わらずプランターから盛り上がり、零れ落ちんばかりに旺盛に咲いている。
それにしても肥料は株を移植した時に施しただけなのに…

今年もゴーヤのカーテンを作るつもりだが、苗を買って来るか種をまくか…
タネはいつの物か分からないが3、4粒パソコンのディスプレーの足元に転がっている。
探せばどこかにまだあるはあるはずだが…
タネを蒔くにしたってぼちぼち蒔いた方が良さそうなのだが、さてどうしよう。
ミニトマトは脇芽をかいたものを土に刺しておいたものが順調に育っていて、梅雨明けには量産態勢に入ってくれることだろう。
苗を1本買いさえすれば脇芽の数だけ増やせるって寸法さ ♪
確か筑波山のガマの油売りの口上に「1枚が2枚、2枚が4枚…8枚が16枚…四六のガマがタラァ~リタラリ…」ってのがあったようだが、お~い、寅さん教えてよ。
見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ…ばっかりじゃないだろう

最後はちょっと下卑ちゃったけど、今朝ままぁこんなところで…

カツラの木の下でナンテンの白くて小さな花が咲き出した
やがて鈴なりになる実が赤く色づいても、わが家ではその美しい実が年を越すことはない みんな鳥たちが食べてしまうから

やはりカツラの木の下で咲き出したナントカセージ

フウロソウ 単独で咲かせるよりは他の花とコラボさせた方がいいのだが、とりあえず緑色の花を持つエキナセアが間もなく咲くけど他をどうしよう

昨日の江の島沖相模湾

どこから見ても梅雨空の海

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