半世紀も前に卒業した高校の同窓会組織から「会員名簿を発行するから買ってくれ」と振込用紙が送り付けられてきた。
そう言えば思い出した。
半年くらい前に「同窓会名簿を作るから協力してくれ」という案内書が届き、他の同窓生の消息を知っていたら教えてほしいと言ってきたのだ。
何をいまさら血迷ったことをと、破り捨ててゴミ箱に放り込んでおいたのだが、こういう類の名簿を欲しがり、帰属意識をことさら強調しようとしたがる時代遅れ野郎がまだたくさんいてのさばっているらしい。
そもそも、仲の良かった同級生やサッカー部で一緒に練習に励んだ先輩後輩とは最低限の連絡手段は保持しているし、必要があればそういう連中を通して友達の友達の連絡先を知ることだって可能なのだ。
それをわざわざ鬼籍に入っている人の名前まで並べて同窓会名簿でござい、なんて何の意味があるのか。
まさか、政治家連中や悪徳業者に売りつけて一儲けしようってわけじゃないだろうな。
よしんば、そういう意思がなくたって、その名簿が悪用される恐れは名簿が出来上がった瞬間から生じるものなのだ。
時代は個人の情報をいかにして守っていこうか、と知恵を巡らせ注意を喚起しているというのに。
ボクが通った高校は県下で一番最初に開校した旧制の尋常中学校だが、戦争末期に空襲で焼かれた校舎と住み慣れた土地を捨てて戦後は別の場所に移り、新制高校として校名も全く新しいものに改めて再出発している。
従って古い卒業生たちは「オレ達が通った学校はなくなってしまった」と公言するほどで、それは某右寄りの作曲家の言としても新聞紙面にも掲載されたからよく覚えている。
古い卒業生の共通した認識なんだと思う。
ボクが卒業した後しばらくたって学園紛争が起こり、その数年後にはまた校名が変更されるという具合に、へその緒が気になって気になってしょうがないような経緯をたどっているのも、そうした学校自体の生い立ちや先輩連中の空気とも無縁ではないだろう。
ボクが通った頃の校歌は佐々木信綱作詞、山田耕作作曲の「皇国の精華…」で始まる旧制時代の歌詞の「皇国」だけを「御国」と言い換えて使っていたが、その校歌も校名が代わるのだからと当時の国語教師が作詞し、メロディーも一新させてしまった。
これはごく自然なことで、絡まっていたへその緒がようやくキレイに片付いたというべきなんだと理解している。
校歌を聞くのに一番手っ取り早いのは野球の応援で、夏の大会で勝てば必ず校歌が流れる。
しかし、実際に応援などには行ったことがないのでどんな校歌が出来上がったのか知る由がないし、聞いたこともない。
正直言ってほとんど興味もない。
ボクにとって、自分が通った高校というのはその程度のもので、帰属意識を掻き立てるものでもなければ、まして名簿なんてものを欲しがるわけがないのだ。
弱い奴ほど群れたがる。
帰属できる組織がなければ一人では安心できないとでも言いたいのか。
それとも…
いずれにしたって迷惑な話である。
鎌倉市大町にある日蓮宗の妙法寺は苔寺の名前でも呼ばれている
雨が降り続いているので、こういう時こそ見ごろかと、久しぶりに行ってみた
うっそうとした樹木に囲まれた境内はアジサイの花がまだ残り、キキョウやノウゼンカズラ、ユリ、ヤブカンゾウなどが咲いていた
仁王門の奥に苔の階段がある
苔むした階段は立ち入り禁止だが、見出し写真の如くビロードのような明るい緑色の色彩が水分をたっぷり含んで生き生きしている
仁王門越しにたどってきた参道を振り返る
苔階段の上から階段と仁王門を見る
木の下闇に佇む法華堂
妙法寺は鎌倉駅から歩いて20分ぐらい