ねこのじかん

その34 おかしな事が始まった



「おかしな事が始まった。」

 猫橋皇二郎は、「ザ・ワールド」の中にいる。

 ザ・ワールドは猫橋が開発した超システムであり、止まる事のない永久機関であり、猫橋独自の仮想世界である。

 自分にとっての心地よさを追求するとこの空間になった。おそらく、猫橋は無意識にここで自分の起源を人工的に再現しているのだろう。消えた過去の名残が猫橋の中にはあるのかもしれない。

 そこは矛盾した世界だ。

 過去と未来、夢と現実、相反するものが同時に存在する。

 そこは魚にとっては水中であり、鳥にとっては空中である。泳ぐ魚の横で、鳥や虫が飛んでいる。

 猫橋はザ・ワールドの中にいるが、ザ・ワールドは猫橋の一部でもある。

 ザ・ワールドはいたる所に存在する。それは、我々の目の前に存在している。

 我々にはそれが見えない。もしくは見えた場合でも見過ごしてしまう。見えていても存在を認知できない。

 そして、猫橋が弱っている時、我々はそれを認知できる(時がある)。超常現象や恐怖体験、未確認飛行物体はザ・ワールドの一部である。




 我々は、あらゆる場面で猫橋の影響を受けている。

 猫橋皇二郎は、歪みの起点である。存在しているだけで世界に影響を与えてしまう。

 世界は歪んでいるし、我々は個々で歪んでいる。それは猫橋の影響なのである。

 我々は、人から嫌われたくないのに、人を嫌ってしまう。人を嫌うと人から嫌われる。歪みは連鎖する。嫌われたくないのに、人から嫌われる。猫橋のせいである。

 他人をねたむ。他人を認めない。他人を褒めない。言い訳を言う。不平不満を言う。泣き言を言う。陰口を言う。足を引っ張る。嫌がらせをする。匿名で叩く。話を誇張する。話を誘導する。仲間外れをする。いじめる。差別する。新しい事を嫌う。変化を嫌う。知ろうとしない。間違いを認めない。感謝しない。倫理観がない。自己保身。無責任。不誠実。不平等。不健康。これらの歪みは、全て猫橋の影響である。

 泥棒がいるから鍵がいる。誰も悪さをしなければ鍵はいらない。パスワードも、セキュリティも、核の傘もいらない。余計な事をするから、より余計な対策が必要になる。全て猫橋のせいである。

 誰も悪さをしなければルールはいらない。我々を縛り、我々を裁く法律は必要ない。我々は自由だ。しかし、そうはいかない。猫橋のせいである。

 スーパーに行くと、カレー用の肉が売っている。そこにはカレー用の肉になるために、絶たれた命が存在する。肉じゃが用の肉もある。虫に殺虫剤を吹きかける。大した理由もなく命を絶つ。一方で愛玩動物は大切に育てる。愛でる。生かすも殺すも人間次第だ。人間同士でも同じだ。生かすも殺すも強い側次第だ。人権も、犬権も、猫権も、虫権も、魚権も、鳥権も、豚権も、牛権も、強い立場にいる側の裁量だ。全ての命は同等であり、同等ではない。歪んでいる。全て猫橋のせいである。

 我々の中には、本来、シンプルで真っ直ぐなメッセージが存在している。そこに歪みはない。やさしさやあたたかさ。明るく、楽しく、前向きに生きる。好き嫌いをしない。困っている人がいたら助ける。自分がされて嫌な事はしない。真っ直ぐに生きる。それらは単純明快、当たり前で、簡単な事だ。しかし、それができない。簡単な事が複雑化し、歪んでしまう。猫橋のせいである。

 猫橋は特に世界を悪くしようとしている訳ではない。無意識だ。猫橋が存在しているだけで、世界は勝手に悪くなってしまうのだ。困ったものである。




 猫橋は弱っていた。

 激しい拒絶反応がでている。

 逃げ切ったと感じているが、逃がされているだけのようにも思う。気持ちが悪い。

 頭痛、悪寒、吐き気に苦しむ。原因不明の恐怖感や罪悪感で精神的にも追い込まれていた。

 なぜ自分がこんな目にあうのか。猫橋は存在しているだけで苦しい。苦しみの源泉であるため、苦しみから逃げられない。

 猫橋には希望がない。明るい未来がない。喜びを感じる事がない。死ぬ事が出来ない。終わりがなく、ただ延々と苦しく、痛く、辛いだけだ。それにじっと耐えている。猫橋は我慢強い。

 しかし、それにしても飽き飽きだ。ずっとうんざりしている。消えてしまいたい。

 最近は過去がやたらとフラッシュバックする。

 はるか昔の消えた記憶が猫橋の深部を突き刺す。

 やさしくて、大きくて、あたたかい。父のように、母のように、自分を見守っている光の存在を感じる。どんな時でも全てを受け止め、許そうとしている。嫌な感じだ。そんなものは受け入れられない。鬱陶しい。虫唾が走る。

 猫橋を許せるものは存在しない。猫橋がそれを許さない。許す者を許さない事により、猫橋は永遠に許されない存在となる。光が強くなれば、闇は深くなる。猫橋の罪は底なしに深い。

 誰の助けもいらない。慈悲も、情けもいらない。絶対拒絶。誰も猫橋を救えない。
 
 悪は悪であり、苦は苦で、負は負で、嫌は嫌で、自分は自分だ。

 猫橋が不安定になると、ザ・ワールドも不安定になる。

 猫橋とザ・ワールドは不可分の同体である。




 猫橋は大事な事を見落としていた。

 博士が書いた本「ねこのじかんについて」が、なぜか猫橋の結界の外にある。

 存在が深部から不安定だったため、散漫になり、どうでも良くなっていた。

 なぜ、外界に「ねこのじかんについて」があるのだ。猫橋には分からなかった。

 研究所にある「ねこのじかんについて」は失われていない。

 研究所にすべて揃っているのに、図書館にも「ねこのじかんについて」がある。まるでドッペルゲンガーだ。

 何者かが世界に細工をしたのだ。

 猫橋には分かる。その手法はとてもシンプルで鮮やかなものだった。

 猫橋の察知が遅れたため、複数の人間に「ねこのじかんについて」の存在を認知される事態が発生してしまった。

 猫橋は、本の第一発見者である中村君の姿を見た。

 頭が痛んだ。いつの間にか、「この世界に存在していていない存在」が存在している。

 いつ、紛れ込んだのだ?

 そして、この世界に存在していない存在が、外界に存在していないはずの「ねこのじかんについて」を外界で読んでいる。

 世界にズレが生じている。この歪みの起点は自分ではない。おかしな事が始まってしまった。そう思った。
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