檄文!!サッカー

熱くなり、何より愛すべきサッカーについて書きます。
その過程で得られた市民意識を元に、世情についても論述中。

名古屋 CB 千代反田選手入籍 1998年の高校サッカー決勝を思い出す。

2011年06月04日 22時08分41秒 | Jリーグ+日本代表+アジア

グランパス公式ニュース


 福岡出身で、東福岡高校で活躍。

アビスパでプロキャリアをスタートした選手なので、福岡の人々には嬉しいニュースですね。


 1998年の高校サッカー決勝 (wikipedia)は、スタジアムで観戦しました。

この時の決勝カードが、東福岡4-2帝京。

和製ロナウドと言われた矢野隼人高橋泰 - Wikipedia の帝京ツートップはカウンターでしか仕事がありませんでした。

この頃は超高校級というフレーズがある程、プロ入りしても直ぐに活躍出来る選手が出ていました。

高橋選手は広島に入り、その年に32試合で10ゴールを決めていました。(うちリーグ戦は24試合6ゴール)

高橋選手は高校サッカー決勝でも、鋭いカウンターの動きを披露してました。

広島は当時、堅守からの速攻がチームスタイルだったので見事にチームの歯車が噛み合った訳です。


 一方、東福岡。

高校でCBのコンビを組んだ、金古聖司 選手の方が有名でしたね。

金古選手はトルシエ監督に気に入られて、ナイジェリアで行われた1999年のワールドユース選手権に出場が期待されてました。

しかし彼は左膝十字靭帯断裂及び、左膝半月板損傷によって、活躍の場を失いました。

ヘディングでの得点能力は高く、清水戦で5点ぐらいアントラーズがゴールを奪った試合で森岡 隆三選手との競り合いに勝って……。

ヘディングゴールを、決めてました。



 さて、千代反田選手。

筑波大学を経て、当時J2だった福岡を選択した時には賢い選択だと思いました。

J2時代のプレーも、何試合かスタジアムから見ていると思います。

当時から自信を持ってプレーする選手で、同時に激しさも兼ね備えていました。


Yahoo! スポーツ の今季出場記録


 ACLとの過密日程から、今季はスタメンでの出場機会3試合得られている様です。

去年は、闘莉王不在時のバックアッパーとしてベンチを温める試合が多かった。

その中でも、去年はスタジアムでスタメン出場している試合を観戦出来ました。

落ち着いたプレーが持ち味なので、名古屋のバックラインに……。

これからも、安定感をもたらせてくれる筈です。

 

 

 

 


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